コラム
「夢を追う」
初級学校の3年生ぐらいの時だと思う。
作文の時間に「私の夢」というテーマーが出た時「私の夢は祖国が統一したら故郷-済州島に帰って、離れ離れになっていた長兄と暮らしながら、故郷のアナウンサーになること」と書いた事がある。
それが掲載された文集をアボジに見せたところ、いつもは厳格なアボジが涙を流しながら「チャッカダ、チャッカダ(えらい)」と私の頭を撫ぜてくれた事が今も記憶の片隅に残っている。
あれから半世紀が過ぎ去り夢は夢で終わってしまったが私はまだ夢を追いながら生きているような気がする。
ウリハッキョを卒業した後、歌舞団、女性同盟、文芸同の専従として過ごした14年間、33才の時初めて教壇に立ち中級学校で過ごした28年間、退職した後も家でじっとできなくて初級学校の学童で活動している。
職種はそれぞれ違うのだが共通しているものがある。それはウリマルであり話術だ。
夢であった故郷のアナウンサーではないがどの仕事も喋る事、声を出す事、ウリマルを使う事と結びついている。
無意識のうちに心の奥底で私は夢を追い続けていたのではないだろうか。
今日も学童の子供達と、クゴ教科書の昔話<金の斧銀の斧>の練習を一緒にしながら夢を追い続けている。
2011・6
「夢を追う」
初級学校の3年生ぐらいの時だと思う。
作文の時間に「私の夢」というテーマーが出た時「私の夢は祖国が統一したら故郷-済州島に帰って、離れ離れになっていた長兄と暮らしながら、故郷のアナウンサーになること」と書いた事がある。
それが掲載された文集をアボジに見せたところ、いつもは厳格なアボジが涙を流しながら「チャッカダ、チャッカダ(えらい)」と私の頭を撫ぜてくれた事が今も記憶の片隅に残っている。
あれから半世紀が過ぎ去り夢は夢で終わってしまったが私はまだ夢を追いながら生きているような気がする。
ウリハッキョを卒業した後、歌舞団、女性同盟、文芸同の専従として過ごした14年間、33才の時初めて教壇に立ち中級学校で過ごした28年間、退職した後も家でじっとできなくて初級学校の学童で活動している。
職種はそれぞれ違うのだが共通しているものがある。それはウリマルであり話術だ。
夢であった故郷のアナウンサーではないがどの仕事も喋る事、声を出す事、ウリマルを使う事と結びついている。
無意識のうちに心の奥底で私は夢を追い続けていたのではないだろうか。
今日も学童の子供達と、クゴ教科書の昔話<金の斧銀の斧>の練習を一緒にしながら夢を追い続けている。
2011・6
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