ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

4月26日、京都でのセセデセミナー(2)

2014-04-27 13:47:14 | 日記


 昨日の続きです。

 10時半丁度にセミナーが始まり12時まで1時間半喋らせていただきました。

 5分間休憩した後1時までオモニたちとお話をすることになりました。

 鄭さんの軽妙な司会で始まりました。

 京都朝中高が参観日だったため参加することができなかった方々もいらっしゃったようです。








 オモニたち全員が自己紹介をされました。皆さん幼稚班や初級部に子供さんを入れていらっしゃっていて、子育て真っ最中という感じです。

 お一方以外は皆さんウリハッキョを出られた方々です。子供さんができる前まで、もしくは最近まで教員だった方も大勢いらっしゃいました。

 愛知や滋賀、新潟、舞鶴から京都に嫁いで来られた方もいらっしゃいました。

 今日の講演通じて皆さんが感じられたことの中に一番多かった感想は、「どうしたらぶれないで生きて行けるのか」という問題でした。

 子育てに没頭しながら周りの刺激もあまりなく、テレビやインターネットを通じてのバッシングの洪水を浴びながら、知らぬ間に心が折れてしまうことが多々あると仰っていました。

 中にはオモニたちが集まったら凄い力を発揮できるはずなのに、ついついマイナス思考になり不満を述べてしまうことがある事、これからは「ウリハッキョの良いところを探そう」をテーマに会話をしたいと仰る方もいました。

 今日の講演を通じ忘れかけた初心に戻れたと仰る方もいたし、自分もそうだったはずなのに、どうしてこんなに弱くなってしまったのだろうと自身を反省する方もいらっしゃいました。

 又講演を通じ「心の柱」をしっかり持ち続けるためにはどうすれば良いのかを、模索してみると仰る方もいらっしゃいました。

  現役から少し離れて子育てに没頭されている方々の発言には、常にこれでよいのだろうかという焦りがある事、自分にできることは無いだろうか?小さなことでも自分にできることから始めてみる等々話がどんどん前向きになってきました。

  又あるオモニは舞鶴に居たときの教え子がすでに親になったけれど、近くにウリハッキョが無いため日本の学校に入れざるを得なくなった現状に対し胸を痛め、舞鶴で行われる「土曜児童教室」の御手伝いを少しでもしようと思うという素晴らしい発言もありました。 

  又自分の子供をしっかりそだてながら、自由のきくお昼の時間を利用して子供たちに対する読み聞かせなどにも取り組んでいきたいと発言される方もいらっしゃいました。

  家庭の事情でお子さんを中学から日本の学校に行かせざるを得なくなってしまった一人のオモニが、涙ぐみながら、やむなく息子を日本の学校に行かせているけれど初級部時代の同級生たちとのつながりを大事にするよう機会を作っていこうと思うと仰っていました。又キムチ販売などを手伝っているが学校が無くなる事だけは止めたいと仰っていました。

  前向きに考えれば、いくらでもできることがあることをオモニたち自身が掴まれたようです。

  集まってワイワイ楽しくだけじゃなく、もっともっといろんなことの本質を知るため勉強したいと仰るオモニもいらっしゃいました。

  今までの講演会ではいつも時間が足りなくて、講演終わってから今回のようにオモニたちの生の悩みやお声を聴く機会があまりなかったので、とても勉強になりました。

  又20数年前「ソルマジ公演」の口演組で2か月間一緒に過ごしたソンスさんが、すっかり美しい大人になって受付をしていたことが凄く嬉しかったです。彼女は発言の中でお子さんが4年生になり少年団に入団するため家で号令の練習などをしている様子を見て、自分が少年団に入団したときのことが思い出され、時代は変わっても変わらないものがあることを思い知らされたと感無量な面持ちで話していました。

  又5~6年前、大阪での「プウム」公演で共演したこともある金さんは、ご自分のオモニが63歳になった今も現役の幼稚園の先生をしておられるが、オモニの想い、オモニの苦労がやっとわかったような気がすると仰っていたのが印象的でした。







  お別れの時間が来て記念写真を撮ることになりました。

  今日の集いの子守役を担当してくれた呉さんが写真を撮ってくれました。彼女は、4年前「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」に作品を提供てくれた京都朝高の16人中の一人だったのです。朝鮮大学を卒業し今年の4月から専従として働いているそうです。時の流れの速さに戸惑いすら感じました。

  皆さんに挨拶をして会館を後にしました。

  ソルマジの教え子のソンスさんと30分だけの約束で喫茶店でお茶を飲みながら近況報告をしあいました。

  話の中で彼女のご主人がうちの長女の同級生、すなわち私が良く存じ上げている大先輩の長男さんのお嫁さんであることを初めて知り驚いてしまいました。世間はなんて狭いのでしょう。20数年間、年賀状を交換し、家族の写真も送ってもらっていたのにソンスさん以外に眼が行かなかったようです。30分の約束がいつの間にか一時間を過ぎていました。




  大阪に来るとき、必ず前もって連絡をする約束を取り付けて名残惜しいけど別れました。


  今回京都に行って学んだことがあまりにも多かったです。これからも若い方々の少しでも役に立てたら嬉しいなぁと思いました。

  又それが2世である私自身の務めだと思いました。

コメント (6)
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