2014年4月6日、奈良ハッキョの第34回入園式が行われました。
あいにくの雨と寒の戻りで真冬のような寒い朝でしたが、心は春風のようにポカポカでした。
朝、9時40分に奈良のウリハッキョに到着しました。小雨降る中、耳成から学校まで歩きながらとても心はうきうきしていました。
待ちに待った開園式です。34回目の入園式ですが、33回目は丁度10年前の1994年に行われたそうです。
2010年朝鮮高校無償化除外問題が起こってから、何かと奈良とは縁のあった私です。
無償化除外反対アンソロジーに作品を投稿してくださった奈良在住の浅川さんや朴さんと親睦を重ね、2011年1月には「無償化除外反対アンソロジーの朗読会」を奈良のウリハッキョで行いました。
2011年3月11日に東日本大震災が起こり、東北地方の同胞たちを支援するためのチャリティコンサートを奈良出身の民族楽器を奏でる方々と共にここ奈良のハッキョで5月に一番最初に行いました。
その後、日本の方々が催す講演会にも出演したり、いろんなイベントの鑑賞にもお伺いしました。
又昨年6月から今年の3月末日まで、奈良のウリハッキョをお借りしての成人ハングル教室にも講師として招かれ、FBなどを通じて奈良の同胞たちの学校再建への意気込みを伝えて参りました。
この4年近い歳月、奈良は私にとって第2のふるさとのように大切な存在になっていました。
だから、今日の開園日が待ち遠しくて待ち遠しくて・・・
同胞たちが新園児たちのためにカンパを募り「力のある人は力を、お金のある人はお金を、知識のある人は知識を」出して素晴しく園舎を改修いたしました。
講堂に上がってみるとお祝いのメッセージや贈り物壁新聞が所狭しと並べられていました。
34回目の入園式が始まりました。
李校長先生が開会を宣言されました。
園児入場です。
金主任先生が園児たちにお話をされました。園児たちは元気いっぱいお返事をしました。
先生方お二人が紹介されました。
先生歴20年の大ベテラン金主任先生と3月に朝鮮大学校保育科を優秀な成績で卒業された朴先生です。言葉がはきはきしているばかりかとても美しい先生方です。保護者の方々は安堵されたことでしょう。
記念撮影のあと運動場で記念植樹もしました。
休校してからも1年中、運動場にお花が無い日は一度もありませんでした。奈良の同胞たちの学校再建への意気込みは至る所で現れていました。
又講堂に上がり、今度は大人たちの記念式典です。
学校再建までの経過が報告され、日本の友人たちのお祝いの挨拶が続きました。
祝賀公演も行われました。
奈良在住の初級部の子供たちの合唱や、東大阪初級学校幼稚班や初級部の皆さんの踊りが披露されました。
運動場で全員の記念撮影です。寒いです。なのに雹(ひょう)まで降ってきました。4月なのにまるで2月の天候です。
全員写真を撮り終え、今から運動場で大焼肉パーティが開かれるというところで、どんどん空が明るくなってきました。
同胞たちの熱気に雹も逃げたというところでしょうか。
運動場で若干美味しい焼肉や地元で採れたサンチュなどを美味しくいただきました。ハングル教室のスニさんがお祝いの赤飯まで準備してくださいました。今日はスニさんのお誕生日です。2重の喜びに浸りました。
ハングル教室受講生の森本さんがサンシン片手にアリランを熱唱しました。
続いて娘さんと「涙そうそう」をジュエットしてくれました。
遠く広島からハホンチョルさんがやってきました。13年間広島歌舞団で頑張ってきましたが、今年に入って独立されたようです。
福島出身の河さんは震災後も苦しんでいる福島の子供たちや同胞たちに心を痛め、これからも支援を続ける決意を述べられました。
司会者の方と共に「ナ~らのハッキョ」の歌も披露してくれました。学校再建の希望と夢を歌った歌です。今日の催しにぴったりの歌でした。卒業生の鄭君が作った歌詞に河さんがたしか曲をつけてくださったと思います。
明るくて軽やかでいっぺんに好きになった歌でした。自分も覚えたいなぁ、歌いたいなぁと心底思いました。
呉さんと申さんも御手伝いです。
公演は続きました。
時計を見ればもう2時近くになっていました。美味しく焼肉をいただいていましたが、30分ほど前から寒気がして頭がガンガンし始めました。
最後まで参加したかったけれど、明日からの日課を考えると家に帰って休まねばならないと思い、スニさんにだけそっと帰ることを伝え帰路に着きました。
決して諦めない!信念を持って、同胞たちと先進的な日本の方々と団結して成し遂げた今日の開園式です。本当に本当に嬉しかったです。
奈良で学んだことをこれからの活動でも必ず生かそうと思いました。
奈良の皆さん有難う!又明日から頑張れる希望と力をいただきました!
鶴橋駅から家まで45分歩いて帰るうちに寒気が抜けたようです。
(東小橋公園の桜が残っていました。)