ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

お~い木本、「をかしら屋」が「お菓子屋」始めるってさ!

2016-04-01 01:18:18 | をかしら屋
悩みに悩んだ。
この歳になると、悩みすぎると逆に頭の回転にブレーキがかかり眠くなるが、その夢のなかでも悩んだ。

「ホルモン一筋」と今年で約十年、豚内臓を一頭セットで仕入れ、毎日丁寧に洗って自慢の辛味噌とともに供する毎日。
その手触りで、「このホルモンの肌艶からすると、きっとおいしく召し上がっていただけるだろうな~」とか「たくさん子供を産んだあとの母豚の立派なコブクロだが、焼くとこれがまたいけるんだな~」などと、シンクの中の豚さんの内臓と会話を繰り返して来た。



鮮度なら盛岡一、県内二番(石鳥谷にあの敬愛する店がある)と自負し、日々精進してきたが、いかんせん腰をかがめての重作業、冬は冷たい水でアトピー肌も凍え、長年連れ合った足腰膝肘が歳には勝てないと弱気を吐き、喘息・静脈瘤・心房細動などと医者の戯言(たわごと)も気になり始めた。

従業員の手助けは心強いが、そろそろ自分の歳と体を考えなければと、ここ半年、うつらうつらと考えていたわけだ。

客の退けた夜半近く、カウンターの端のテレビの前の席に独り座り、ふとレジ方向を見上げると、そこには母の店から引き継いだ大黒様と恵比寿様の面が額縁に入れられている。

母は若いころ代用教員などを経て、父との結婚を機に新居に万屋(よろずや)を開業した。
父は職業柄、年のほとんどを現場泊まり込みで不在。
その間に、幼子の私を養いながら、体の弱い母は副業として慣れぬ商売を始めた。
小さい店は日常の生活品、お菓子、その頃は貴重品のジュースなどを置いており、地元民の利用もさることながら子供にも人気で、少額のくじ(風船やおもちゃが当たる)は小銭を握りしめたその子供たちの憧れでもあったと思う。

あぁ、ああいうのもいいなぁと郷愁にかられ、想いだしたのはこの昔話を聞いたときの長男の反応。
「おやじ、俺たち、もう一度、〇〇商店(母の店の屋号)はじめようよ」
成長とともに大人びてくるのか、少し奥に退いた感のある彼の目が、このとき輝いたのに驚いた記憶がある。

そして先週、今季初めての催事、アピオで行われたテレビ岩手の「わん博」に出店した際、子ども向けのイベントということでなかなか手持ちにそれらしいメニューが無いホルモン屋は、えいとばかりに「わたあめ」をやったのだ。



その「わたあめ」の反応。
子供たちの長い行列、興味深い目に、あぁやはりこれでいこうと決めたのだ。

結論が出れば動くのが早いのがワタシの自慢。

♫♫パンパカパ~~ン♫♫

この春から「ホルモン・焼肉 をかしら屋」は、

昼の部、朝9時から午後5時までは表階段から入店する「お菓子屋 昭和の駄菓子 〇〇商店(ワタシの名字=母の店の屋号をそのまま引き継いだ)」。
お菓子・ジュース・パン・雑貨とカウンターでは「わたあめ」「たい焼き」「たこ焼き」を供する。
できれば夏にはあの「マルカン大食堂」に勝るとも劣らない「十巻ソフトクリーム」を出したいと思っている。
そして、お子さま人気の「くじ引き」ももちろん。
店内はトーマスのプラレールが走り回っている。



夜の部は裏階段(といってもこのビル初期のワタシの店にあった「むらさき」はここが正面入口だったようだ)から入る、小上がり個室4室のこじんまりした「ホルモンと和牛の店 をかしら屋」を菓子屋が軌道に乗るまで営業する。

今朝方、大通サンビルから「ハンバーグのベル」さん並びにある当店の前を通る方は、カラフルな花模様に塗り替えられた外階段と新しい看板を見るに違いない。

大げさに広告展開はしないが、ぜひお立ち寄りいただきたい。
子供はもちろん、幼な心を持った大人にも楽しめるはずです。
また、明日からの「材木町よ市」と明後日のJ3「グルージャ盛岡」公式戦の出店では、催事一番人気の「鉄板焼き辛味噌ホルモン」の横で「わたあめ」「くじ引き」「リンゴ飴」「チョコバナナ」をお出ししようと思う。

皆さま、ぜひこの新しい「をかしら屋」の門出を祝ってください。

PS:なお、お祝いの花やお酒等は固くご辞退いたします。ぜひ、そのありがたきお気持ちは何枚かの「お札」にかえてお願いいたします。

じゃ、、

(2016年4月1日 店主)