大きな安らぎの世界にいるのは、風だ。山だ。空だ。空を飛び回っている燕だ。
大きな安らぎを得て光っているのは、畑だ。畑の茄子だ。茄子の葉っぱだ。夕暮れだ。
それを見せて、それを見せて、みんなでわたしに見せて、ここへお出でお出でをして手招いている。ここの安らぎの世界は、しかし、広がって広がって、わたしをすっぽり包み込んでもいる。
大きな安らぎの世界にいるのは、風だ。山だ。空だ。空を飛び回っている燕だ。
大きな安らぎを得て光っているのは、畑だ。畑の茄子だ。茄子の葉っぱだ。夕暮れだ。
それを見せて、それを見せて、みんなでわたしに見せて、ここへお出でお出でをして手招いている。ここの安らぎの世界は、しかし、広がって広がって、わたしをすっぽり包み込んでもいる。
吾誓得仏 普行此願 一切恐懼 為作大安
浄土真宗経典 「讃仏偈」より。
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ごせいとくぶつ ふぎょうしがん いっさいくく いさだいあん。
吾、誓うらく、仏となるを得て、普(あまね)く此の願いを行じて、一切の恐懼(くく)を、為に大安となさん。
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わたし(=法蔵菩薩)は、誓いを立てて、(願い通りに)阿弥陀如来となることを得て、(苦しみ悩めるすべての人を救い取ろうという)此の願いを普く悉く完成させようと思います。そうすれば、この世にある一切の恐怖は、そこでたちどころに大きな安らぎへと変わって行くことになるでしょう。(わたしが師と仰ぐ世自在王如来様、それを果たすことが、修行中のわたしの本願であります)
(さぶろうの訳です。読者諸氏はご自分で解釈を試みて下さい)
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一切恐懼を大安となさん。恐れのない世界、大きな安らぎの世界、それが仏の世界であります。そういう世界があることを教えているのが仏教だろうと思います。
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この経典のこのところへ来ると、わたしはほっとします。
いまは右往左往して恐怖におののいているわたしですが、やがてわたしも安らぎの世界、仏の世界に入ります。安らぎを得たわたしはそこでもう仏陀の智慧を得て仏陀に成っているでしょう。
久しぶりの久しぶりに、お日様が顔を出している。外が明るい。畑の西瓜の蔓が、雨粒を光らせている。(西瓜の蔓は、猪避けの柵の、網を登って来ている)
気温29℃。蒸し暑いけれど、お日様が妙に親しく感じられて懐かしい。静かだ。静かな夕暮れだ。
畑の牛蒡が収穫できたので、今夜は急遽天麩羅料理になった。
僕も準備に加わった。
掘り上げて来た牛蒡を、丁寧に洗って、よく切れる包丁を使って、天麩羅用に短冊に切った。
あと、我が家の畑で獲れたズッキーニと薩摩芋を、天麩羅用に切って整えた。
そのほか、インゲン豆、満願寺唐辛子、茄子も加わった。いずれも我が家で収穫した野菜ばかりである。
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6時半からの夕食だ。もうしばらくだ。お腹も減ってきた。熱々の精進料理天麩羅がおいしかろう。
隣の町に住んでいる友人がやって来た。台所に上がって来てもらった。冷房をした。
家内が、お菓子とお茶とコーヒーでおもてなしした。
春先に、我が家の畑を、持参のトラクターで耕してくれた友人である。
彼のお陰で、そこは西瓜畑と薩摩芋畑になった。彼にも見てもらった。改めてお礼を述べた。
3時間ほど彼とあれやこれやのお話をした。彼は電気屋さんほどの先進技術を持っている。羨ましい限りだ。僕は機械音痴である。
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畑に行って、牛蒡を掘り上げてもらった。1年ものである。樹木の根っこのように、ごつごつになっていた。
帰るときに、彼にも差し上げた。
茗荷が実を着けていたので、これも差し上げた。
ほんとうの名前は知りません。
夏撫子のような白い小さな花が、庭先に咲きだしました。
かわいいです。
苗を春先にご近所さんから頂きました。
大目玉トマト🍅、我が家の夏の畑の。
全部で12株を育てています。
赤く熟したのから食べています。
毎朝の収穫を楽しみにしています。
人間に、人間の日々の活動エネルギーとなる食べ物を、あっさり、無条件で、提供してくれる植物様ありがとうございます。
鈴なりのミニトマト、我が家の夏の畑の。
赤く色づくのを待っている。
赤くなればさっそく食べる。
カラスが空から狙っているので、油断がならない。
トマトは子宝屋さんだなあ!
我が家の裏庭に咲いたヘメロカリス、夏の花。
夏の花ヘメロカリスが咲きました。
一日花。朝に咲いて夕方にはしぼむ。明日を待ってまた咲く、明日待ち花。