わたしを仏にしようとして、草が仏になっている。
わたしを仏にしようとして、木が仏になっている。
わたしを仏にしようとして、山が仏になっている。
わたしを仏にしようとして、川が仏になっている。
山川草木みなが、わたしを仏にしようとして、そのはっきりした意思を持って、わたしに向き合っている。
・・・とすれば、それだけのものがすべて、その意思を持って、わたしに向き合っているのであるとすれば、わたしはいったいどうすればいいか。
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それだけの意思をみんな受け止めねばなるまいが、わたしはそれを無視して、知らぬ存ぜぬの一点張りを通して、ちゃらんぽらんな暮らしをしている。だらだらだらして過ごしている。不平不満を鳴らしている。我が苦痛をひたすら苦痛している。それで終わっている。
ギャップがあり過ぎる。
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でも、それでも、それでもなおもわたしを仏にしようとして、夏空が夏空をして広がっている。わたしの拒否を叱咤することも非難することもなく、はっきりした意思を持って、わたしの前にどどっどど~んと青空を広げている。わたしが死ぬまでずっとこうだ。
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であるとすれば、・・・
意思が、もしかしたら、勝手にわたしの毛穴から侵入することがあるかもしれない。仏のパワーは偉大だから、そういうハタラキを起こさせてしまうかもしれない。
虫がよすぎる話か、これは?