<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

限りなく小さく生きているが、限りなく大きな生き方もある。

2023年07月08日 17時50分54秒 | Weblog

わたしは限りなく小さくもなりますが、限りなく大きくもなります。限りなく低くなりますが、限りなく高くもなります。上下運動をしています。

わたしが仏陀の教えに遠くなるとわたしは限りなく小さくなって行きます。仏陀の教えに近くなると限りなく大きくなっていきます。

わたしは小さくなったり大きくなったりしています。化け物をしています。苦しんだり悲しんだりしています。悪事に走ったり、そこから逃げて来たりもします。

わたしだけの幸福・不幸に奔走しているときにはわたしは限りなく小さい存在です。

でもそれだけではない生き方があるということ、それを教えてもらうとわたしは大きく膨らみ始めます。

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人はこの後、煩悩を離れて、仏の国に入ることになる。

2023年07月08日 17時13分06秒 | Weblog

(法華経の修行者・法師は)久しからずして道場に詣して、無漏無為を得て、広く諸々の天・人を利せん。

妙法蓮華経「分別功徳品第十七」より。

「道場に詣す」仏の悟りの道場に入ること。涅槃を得て仏道を完成すること。

「無漏」:「漏」は煩悩のこと。煩悩がなくなった状態。

「無為」:生滅変化を離れた永遠の存在。涅槃に入っている仏。

法華経の行者は、近い未来に仏陀の悟りの道場に入って、煩悩を脱した涅槃の境地に安んじ、ひいては天上界・地上界の人々を普く救済することができるようになるだろう。

法華経は目的地を持っています。仏弟子として利他の実践をすること、つまり利他行です。自己の悟りの境地に甘んじないのです。自己完成を差し置く、その修行を重要視しています。

わたしにはとてもできないことです。ですからわたしはニセモノ法華経信者です。わたしはわたしの煩悩解決に追われています。それで精一杯です。

ですから、わたしが法華経のこの箇所を読むとこころが痛みます。と同時に、嬉しくもなります。人はこの後、やがて煩悩を離れて仏の国に入るからです。

でもそういう修行者がいるということ、仏陀の教えを聞いて実践をしている人たちが、同じ地上にいるということ、それがわたしを安らげます。

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これだけでももう十分

2023年07月08日 16時35分52秒 | Weblog

わたしには法華経があります。此処へ帰って来ればいいのです。落ち着きが得られます。

といっても、説法をいちいち理解をしているのでもありません。

わたしは大雑把な人間です。仏様が法を説いておられるということ、わたしを導いていて下さっていること、これだけでもう十分です。落ち着きが来ます。

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楽しみ方は無数。

2023年07月08日 16時30分16秒 | Weblog

また雨音がしてきました。降り出しました。洪水にならなければいいのですが。

家の中にじっとしているしかありません。

閉じ込められてたら、嫌なはずですが、そうでもありません。

YouTubeで好きな音楽を聴いて楽しんでいます。楽しみ方は無数ですから。

広がって広がって無限定ですね、すべては。

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仏は、いずこの国にあっても常に説法教化す。

2023年07月08日 16時03分10秒 | Weblog

我は常に此の娑婆世界に在りて説法教化す。亦、余所にある百千万億の那由佗阿僧祇国に於いても、衆生を導利しき。

「法華経如来寿量品第十六」より

「我」とは仏様。法華経を説かれている釈迦牟尼世尊です。娑婆世界とはわたしたちのいる忍土、苦しみの世界を指しています。「那由佗阿僧祇(なゆたあそうぎ)」は「数え切れない、無数の、たくさんの」という意味です。

わたしは此の苦しみの世界に居て苦しめる人々にいつも法を説き正しい方へ教え導いて来ましたが、此は此の世界だけに限られたことではありません。百千万億の数え切れないほど多くの国々の人々にも同じように法を説き導き利益を与えて来ました。

このブログを書いているわたしは、法華経を読むと、それだけで救われた気持ちになります。なぜか? 此処が仏の国だからです。仏様がわたしたちに法を説いて正しい方へ導いておられるからです。

でも、仏様の活動の範囲は此の娑婆世界だけではなかったのです。娑婆世界のような国々がほかにもたくさんたくさん存在しているからです。宇宙は広大なのです。しかもさまざまな宇宙があるのです。物質世界だけでもないのです。不可称不可説不可思議世界です、此の宇宙全体は。無限定無際限なのです。だから仏様の守備範囲もまた無限定無際限です。

わたしもやがて此の娑婆世界を離れます。そしてまた次の旅に出ます。ストップがありません。行くところ行くところに国があります。国々は特有です。美しさも特有です。美しい其の国に降り立って、そこで亦わたしはわたしの修行を続けて行きます。いつも仏様に見守られながら導かれながら。

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我がこころを苦しめる鬼がいる。

2023年07月08日 15時34分30秒 | Weblog

我がこころを苦しめる鬼がいる。こいつに捕まることがある。苦しめられる。

だが長くはいつかない。ぽいと去って行く。うまく行かないと判れば、次へ行く。案外に気まぐれ鬼である。

どうなることかと思ったが、やり過ごせた。ほっとした。しばらくは苦しんだ。

危うく地獄へ落ちて行くところだった。助かった。

 

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夏祭りの浴衣を着て

2023年07月08日 13時21分43秒 | Weblog

肉体はこんなにおとろえているのに、肉体の住人は、せいぜいが15歳だ。ここにとどまっている。一致しないので、シーソーに、ならない。

夏祭りの浴衣を来て、笛と太鼓を聞いて、はしゃいでいる。

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風景がうっとり熟れる

2023年07月08日 13時02分26秒 | Weblog

魅力をたたえたあなたがいると、風景がうっとり熟れる。

やにわにトマトになって熟れる。

 

風景までむしゃむしゃ食べてしまいたくなる。

風景は、しかし、いまは遠く遠く思い出の中にしかない。

そうであるのに、あなたの魅力はみずみずしさを失わない。

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おいしい時間の庭に

2023年07月08日 12時56分13秒 | Weblog

おいしい時間の庭に、夏菊が咲いている。

雨がしとしと降っている。

 

午後1時。うっすら赤い夏菊なので、おいしい時間もうっすら赤い。

 

時間がおいしかったり、そうでなかったりする。

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木曽川の上流に

2023年07月08日 12時46分12秒 | Weblog

木曽川の上流の、上流。渓谷の谷水の青さ。

透き通る青さ。熊が出没するらしい。

熊よけの鐘が山中に設置してあった。

 

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