<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

一人残らず仏陀の国に迎え取られて行きます

2019年11月29日 22時20分20秒 | Weblog

私たちは生まれたから死んでいきます。これを自らで体現して行きます。生まれたから死ぬという不生不滅の法を体現して、悟って行きます。

そして、無生法忍、つまり不退転の位にまで進んで来ます。仏国土の極楽浄土に往生成仏して行きます。

すべては、用意されています。仏陀、如来によって用意されています。

正定聚不退とは、退かずに進んで行くということが正しく定まった人たちという意味です。

死んで滅した者はみな仏国土に向かって進んで行きます。一人残らず。

これはわたしの理解です。

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人はみな阿弥陀如来の国へ向かって進んで行く

2019年11月29日 17時42分14秒 | Weblog
ブログを書いているわたしは仏教に暗い人間です。次の解釈も正しい解釈からは外れています。読者諸氏は自らで原書に触れて独自の解釈をしてみて下さい。
 
如来、今、未来世の一切衆生を教えて、西方極樂世界を観ぜしむ。仏力を持っての故に、まさに彼(か)の清浄の国土を見ることを得べし。明鏡を執(と)りて、自ら面像(めんぞう)を見るがごとし。彼(か)の国土の極妙の楽事(らくじ)を見て、心歓喜するが故に、時に応じて即ち無生法忍(むしょうほうにん)を得む。    「仏説観無量寿経」より
 
釈迦牟尼如来は、未来世の一切衆生にも、西方極楽世界を見せるようになさったのです。一切衆生は、如来の願いのままに、まさに清浄な仏国土を我が目で見ることができるようになったのです。それは鏡で自分の顔を映すようなものです。そして仏国土の極妙の極楽を見て取り、こころに歓喜を覚えた人たちに、ただちに無生法忍を授けられたのです。
 
これは無力非力のわたしの浅はか極まる解釈です。わたしはこう解釈を試みてみました。
 
「無生法忍」とは、梵語のアヌトバッテイカ・ダルマ・クhサーンテイの訳語です。「不生不滅の法」を悟り得た位、その悟りから退かない位を指します。「正定聚不退の位」と親鸞は読み替えておられます。不生不滅は、「生ぜずんば滅せず」の真理のことです。
 
不退とは、進んで行くということです。人はみな誰も阿弥陀如来の国へ向かって進んで行くのです。
 
ああ、嬉しい。
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そう言う役目を果たせたわたしこそがラッキーだったのかも

2019年11月29日 17時22分51秒 | Weblog
<今日の楽しいこと>は終わった。日が暮れた。とっぷりと日が暮れた。天も地も、山も海も空も、人も人影も、大きな大きな風呂敷ですっぽり包み込まれてしまった。もう何にも見えない。

<今日の楽しいこと>は、思い出だけになってしまった。こころの空に雲になって浮いて流れて、ふんわりしている。でもたしかに、それはあったのだ。楽しいことはあったのだ。それを鉛筆で、なぞろうとするが、ふんわりしていて掴み所がない。

今日は昼間、冬になって勢いが衰えてきた鉢植えの菊を、株ごと抜いて、土を作り替えて、そこに今度は春菊苗を植えてみた。春菊苗はプランターに種から蒔いて育てていた、その最後の一株。弱々しい一株。その一株でも大事にしたいのだ。粗末にしたくないのだ。普通だったら、そんな弱々しい最後の一株なんて、もう見向きもされないだろう。

わたしだったから、尊重されて大きめの鉢に、肥料を貰って、収まったのだった。「きみは幸運だったよ。わたしがいてよかったよ」と僕は幾分恩を着せるようにして言う。なになに、そういう役目を果たせたわたしこそがラッキーだったのかも知れないが。
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万葉集の、柿本人麻呂の、<羈旅の歌>を鑑賞する

2019年11月29日 16時47分26秒 | Weblog
玉藻かる敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島の埼(さき)に船ちかづきぬ    柿本人麻呂  万葉集巻の3

岩波新書の「万葉秀歌」上巻を読んでいる。著者は斉藤茂吉。よくよく研究されているなあと感心感歎する。

「羈旅歌八首」の中の一首。古人は、ここでは船の旅をしている。「船が敏馬(みぬめ)を過ぎて、さあ、いよいよ野島の埼に近づいて来た」という時間的空間的移動の、長い時間に跨がる<動き>を感動にしている。その頃の船の移動は危険を多く伴っていたのかも知れない。それとも、船の行く先に待ち人があったのだろうか。あるいは、船中に貴人がおられて、その方に、<もうしばらくでございますよ>とお慰めを申し上げているのだろうか。

<敏馬>は、摂津の武庫郡の、小野浜から和田岬までの一帯を指す地名。現在では神戸市灘区のあたりらしい。<野島>は淡路島津名郡にある村の地名。とすると瀬戸内海を越えて行く旅をしていることになる。小さな舟であれば、勢いのある潮の流れに棹さしていかねばならない。長い時間を要したであろう。

<玉藻かる>は、<敏馬>に掛かる枕詞。<夏草の>は、<野島>に掛かる枕詞。

斉藤茂吉は此の歌を高く評価している。<驚くべき好い歌である>としている。結句の<船ちかづきぬ>が、枕詞の重複によって、それ以外の句に余計<客観的で感慨が籠もり、特別の重みがついている>としている。

<そろそろ目的地に着きましたよ>に力点が絞れたのかもしれない。

歌というのは、ことばによる<意思の伝達>に力が籠もっているのだろうか。本来はそうであったかも知れない。

浅学非才の僕にはここらあたりがよく分かっていない。どんな歌であれば、秀歌なのだろう? 斉藤茂吉に説明を受けて初めてなるほどこういうのが秀歌なのかと思わせられるだけである。
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冬の夕べはじわりじわりと寒くなる

2019年11月29日 16時35分23秒 | Weblog
夕方になった。冬の夕方であることを認めさせようとするかのように、じわりと寒くなった。もう外に出てはいられない。このままだと風邪を引いてしまう。手も、手の指も冷たくなった。「冬の夕方様、分かりました、それではあなた様から遠離ることに致します」と、小声の挨拶をした後で、僕は急いで炬燵の中に入って、身を温める。これがいい。そうして窓ガラスから、次第に明度を落として暮れて行く冬の夕べを見ている。まだ5時にもなっていない。
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そこでハグをするんだっ

2019年11月29日 09時43分04秒 | Weblog
いい天気になってきたぞ。お天道様が地上に降りて来て活気のいい踊りを踊っておられる。風もない。そろそろ炬燵を出るとするか。外に出て行けば、何だかいいことがありそうに思えるぞ。ふっふっふ。へっへっへ。いいことって何だ? うん、気分がよくなること、さ。固まっていたこころがあたたまると膨張が起こって来る。軽くなって来る。そうすると、気分様が上機嫌になる。上機嫌になれば、万物が我が味方になって馳せ参じて来る。それを両手を広げてお迎えすればいいことになる。そこでハグをするんだ。

ハグは合致すること。他者を受け入れること。全面肯定をすること。2を1にしてみること。生命の勢いを二倍にしてみること。
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万葉集 弓削の皇子の歌を読む 人は雲ではいられない

2019年11月28日 17時49分15秒 | Weblog
滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむとわが思(も)はなくに    弓削皇子 万葉集巻の3

弓削皇子は天武天皇の第6皇子。吉野に遊ばれたときの歌。

滝の上の三船山には雲が懸かっている。滝から落ちる水が霧となって、空に昇って行き、雲となる。それが常に、このように勢いよく懸かっている。それに引き替え、わたしはどうだ。わたしを思ってみると、常にこうして勢いを増した雲のようにしてはいられないようだ。

弓削の皇子は政争に敗れた人物。文武天皇3年に崩御されている。

人の命は、雲ではない。雲も、生まれて消えて、儚いが、途絶えることがない。滝に水が流れていれば、滝水が霧になって上昇する。そして雲として山に懸かる。弓削の皇子は一人しか居ないから、雲のようには行かない。雲には名前がないのだ。だからわたしという一人を主張することがないのだ。自然界は姿を変えて連続して行く。人間といっても、自然界の一部だから、姿を変えて連続していることに違いはないのだが、人間は名を持つ。個体を尊重する。「わたし」を持つ。そこに憂いがある。感激もあるが憂いもある。

悲劇の皇子の歌を掲げる万葉集を読みながら、僕は、そんなことを考えてしまった。脱輪である。
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我が家の裏手に椎茸の原木がずらり

2019年11月28日 13時12分24秒 | Weblog

我が家の裏手に並べてる椎茸の原木です。日陰に置いています。時々水やりもしています。友人にいただいた原木です。二本は買い求めて来ました。

右端の原木に小さい椎茸が発芽しています。まだ小指の先くらいです。

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庭先のもみじが赤く染まって来ました

2019年11月28日 13時02分01秒 | Weblog

我が家の庭先のもみじが、赤く染まって来ました。今日は寒い風が吹いています。

 

でも、あんまりキレイな出来上がりではないみたいだなあ。このまま散ってしまうのかなあ。

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冷たい風が吹いているよ

2019年11月28日 12時25分16秒 | Weblog
冷たい風が吹いている。寒い。それでも畑に出ていた。中生の玉葱苗100本を畝を作って植え付けた。寒い風に吹かれながら、お昼になった。では、おいしくご飯を食べよう。
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