あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさみしさをきみはほほえむ 秋艸道人 会津八一 歌集「鹿鳴集」より
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奈良法隆寺での作である。「夢殿の救世観音に」と題されている。だから、此処の「きみ」は救世観音のことである。微笑んでおられるのは救世観世音菩薩である。「我一人」ではなかったのである。天地の間に立っているのはわたしひとりだと思っていたのは間違いだったのである。そこには救世観音がおられたのである。だからこの発見に、作者は安堵したのである。安堵の微笑みを貰い受けることができたのである。世の中の悲しみ苦しみを引き受けてくれる観音菩薩がおられたのである。此処は無仏の地獄ではない。菩薩とともに如来とともに生きていることができるところだったのである。仏国土だったのである。
寂しさに徹することでこの安堵を授かることができる。そういう仕組みが仕組まれている。一人生まれて来て、その一人を生涯通し、一人で死んで行く、一人で来て一人で去って行く。その悲しみその寂しさ。それだけなら、人は耐えて行けない。
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会津八一は新潟の人。良寛禅師もまた新潟の人である。作者は良寛を崇敬している人である。良寛がそうであったように、彼も短歌と書に才能を開花させた。