「帰田園」 陶淵明
種豆南山下/草盛豆苗稀/晨興理荒穢/帶月荷鋤歸/道狹草木長/夕露沾我衣/衣沾不足惜/但使願無違/
豆を種(う)う南山の下(もと)/草盛んなれば豆の苗は稀なり/晨(あした)に興(お)きて荒れ穢(つち)を理(おさ)め/月を帯び鋤(すき)を荷(にな)いて帰る/道狭くして草木(の影)は長し/夕べの夜露は我が衣を濡らす/衣の濡るるは惜しむに足らざれども/ただ願をして違うことなからしめよ
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大好きな陶淵明の詩を取り上げます。わくわくします。
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ほ。大好きな詩人さまは南山が見える麓の田畑に出て豆を植えておられたのか。ふうう。草が生えて生えて育ちが悪かったのか。ほほう。朝から畑に出て鋤を使って荒れた土地を耕しておられたのか。夕方、月が出るまでも精を出されたのか。田畑に通じる小径には草木の影が影を落としていて歩きにくかったであろう。夜露が足元の衣を潤してしとしとになってしまう。それはいい。それは我慢が出来る。ただ我には道教の道士としての利他の願がある。これだけは通さねばならぬ。豆を植えるのもこの願の実践である。この豆でまずは家族を、それから広く世の中を養わねばならぬ。「荒れた穢(つち)」をそのように解釈してみました。「沾」は「潤すこと」でしょう。
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「願」の内容はさぶろうの当て推量です。彼は隠士。老子荘子の教えを信奉しているからこその隠者である。世に出ることを嫌っているのではない。隠者としてするべきことがあるからである。濁りの世を澄ますには泉の水が湧き出しておらねばならぬ。この労を執れるのは隠者に他ならない。
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