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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

南米ペルー? 行ってみたいなあ!

2025年01月09日 20時08分01秒 | Weblog

夕食に日本酒の熱燗を飲みました,1・2合ほど。おいしかった!

その後で、お風呂に入って温まりました。

そのままベッドに潜り込んでもいいのですが、生きている時間がもったいなくて、起きています。

俳優、玉木宏さんの南米ペルーを行く旅行番組をテレビで見ています。

南米ペルー? 行ってみたいなあ。若かったら,チャンスもあろうけれど、この高齢者にはもう。

夕方、雪が東北地方に降る雪のように降って降って、あっという間に降り積もりました。

いまはもう止んでいます。

 

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わたしたちは誰もが永遠に向上して行く。

2025年01月09日 15時38分27秒 | Weblog

ハイヤーセルフというわたしがいます。

「より向上したわたし」です。

 

ハイヤーセルフはいまのわたしを導いています。

守ってもいます。助けてもいます。

 

もちろんハイエストセルフも考えられます。

でもその「最高に達したわたし」は存在しません。

なぜならわたしはどんどんどんどん向上を果たして止むときがないからです。

 

わたしは永遠に向上をして行くからです

永遠に向上して行くわたしですから、今現在のわたしは道半ばのわたし、途中のわたしです。

今は、不完全の不完全の不完全を曝しています。

 

仏陀も、だからラストの姿ではありません。

無量寿であり、無量光です。エターナルです。

これは宇宙も同じです。銀河も同じです。地球も同じです。

これはわたしの理解です。わたしの宇宙観です。

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大空には大空図書館があります。

2025年01月09日 15時22分22秒 | Weblog

大空には大空図書館があります

ここにわたしの一生を記録した蔵書が収められています

わたしが日記を書かないでも

わたしの毎日が自動的に日記になって記録されています

(これはアカシック・レコードと呼ばれています)

これは後で読みに行けます

 

100年前のわたしも1000年前のわたしも10000年前のわたしも記録されています

ここに来ればそれも読めます

100年先のわたしも1000年先のわたしも一〇〇〇〇年先のわたしも記録されています

早々と記録されています

 

それを、生きている間に読む能力を開発した人もいます

(アカシック・レコード・リーダーと呼ばれています)

わたしはまだそれができません

死後に読むしかありません

楽しみにしています

 

なぜそういうシステムになっているか、その理由もわたしは知りません

 

わたしが今日をよろこんで過ごしたという記録もちゃんと残されます

その逆もあります

悲しんで過ごしたという記録も残されます

 

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今日の即興詩 「ふふふって笑うと」

2025年01月09日 14時52分28秒 | Weblog

今日の即興詩 「ふふふって笑うと」

 

ふふふって笑うと

大空もいきなりふふふって笑って来る

わたしが笑いを止めると大空も笑いを止める

 

わたしを二人に増やしてもおんなじだった

三人にしても四人にしても十人にしても

大空はふふふって笑って返してきた

 

実に従順だった

わたしたちに実に見事に従順だった

こんなに従順でいいのか知らんと心配になって来た

 

大空のこころが大きかったのだ

ずっとずっと大きかったのだ

人間のする自己主張のこだわりがなかったのだ

 

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大根の尻尾で書く短い詩「窓の外のジョウビタキ」

2025年01月09日 14時36分14秒 | Weblog

これは大根の尻尾を筆にして墨で書くための短い詩です

大根の尻尾で書く詩 「窓の外のジョウビタキ」

 

ジョウビタキは小鳥です

人間ではありませんが

次に人間に生まれるためのリハーサルをして

窓の外からわたしのことを見ています

人間になったらどう過ごすのかを学んでいます

 

人間代表のわたしは責任重大です

ににっににっと明るく笑って輝いてみせました

ジョウビタキは肯いた顔をして去って行きました

次には人間に生まれて来られるかもしれません

もしかしたらのもしかしたら

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今日の即興詩 3 「雪男雪女」

2025年01月09日 13時59分15秒 | Weblog

今日の即興詩 3 「雪男雪女」

 

雪男のお嫁さんは雪女ですか

はいそうです

雪が降り出すと

雪が雪女をこしらえて雪山を歩かせます

雪が降り積もると

山が雪男をこしらえて雪山を歩かせます

 

まもなく雪解けの春が来ます

雪が解け出すともう雪男も雪女も生きらないので

冷たいまんまで抱き合います

冷たいまんまで抱き合うと凍り付いてしまいます

もうしばらくです

もうすぐあたたかい春の日が訪れて来ます

 

 

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即興詩 「杏子姉さんと台所」

2025年01月09日 13時40分26秒 | Weblog

即興詩 「杏子姉さんと台所」

 

杏子姉さんが悲しい目をしていると台所が悲しい目をします

俎が悲しい目をします

目がない俎に目が生まれます

包丁が悲しい目をします

目がない包丁に目が生まれます

そんなふうに見えてしまいます

 

その反対に

杏子姉さんが嬉しい目をしますと台所がきっと嬉しい目をします

俎が嬉しい目をします

目がない俎に目が生まれます

包丁が嬉しい目をします

目のない包丁に目が生まれます

そんなふうに見えてしまいます

 

杏子姉さんは朝昼晩ほとんどいつも台所にいます

家族分の食事を作っています

お父さんとお母さんとわたしの3人分の食事です

病気になったお母さんは寝たきりになっています

お父さんは夜中に仕事を終えて帰って来ます

わたしは下校してからは

後ろからいつも杏子姉さんを見ています

姉さんは二十歳をいくつか超えました

 

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即興詩 「ある寒い晩のこと」

2025年01月09日 13時18分25秒 | Weblog

即興詩 「ある寒い晩のこと」

 

ある晩のことです

三郎の目に

明かりが灯りました

すると

暗かった部屋がふっと明るくなりました

そこにいっしょにいた四郞が

これをよろこびました

四郞は

三郎に悲しみが積もっていることを知っていたからです

 

三郎の後ろに回って

三郎の背中を両手で撫で下ろしました

三度ゆっくり

三度目に三郎が泣き出しました

涙が畳を濡らしました

四郞がお風呂場に掛けてあった雑巾を下ろして来て

涙を拭き取りました

 

これは1月の寒い晩のことでした

窓の外に綿雪がちらちら舞い降りて来ていました

四郞は実直な生き方をする兄の三郎が好きなのです

でも

帰宅した三郎にこの日何があったのかは知りません

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これで冬の寒さを凌ごう。

2025年01月09日 12時22分34秒 | Weblog

去年の冬にしていた手袋を探してきてもらった。今日はお昼からそれをしている。

革手袋ではない。毛糸の手袋である。でも、軍手ではない。絵柄がついていて、しゃれている。

この手袋をしてパソコンのキーも叩く。

いままで炬燵の外に出して冷たかった手指が、これであたたかくなる。助かる。

もっと早く、この世の冬には手袋の助けがあることに気付くべきだった。

ま、いい。冬は長い。補助を得た。これで寒さを凌ごう。

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そう思っても、やはり切ない。

2025年01月09日 12時05分14秒 | Weblog

もうすぐで、ここに居られなくなってしまう。居られなくなってしまうんだもんなあ。この世には。

でも、あの世、次の世がある。

いのちの河は途切れることなく連綿と続いて流れているのだから。

終わりは始まりに通じている。

この世の始まりは、だから、前の世の終わりに繋がっていたのである。

記憶をなくしてあるので、それをそうだと言えないところがあって、もどかしいのだけれど。

たぶん、生と死の1セットが終了すると、そこでワンランク、或いはそれ以上、高くなって、次へ進むことになるので、前の記憶が通用しなくなるせいではないかと、思う。

わたしたちは進歩と向上を次々と辿って行けるようになっているのだろう、きっと。

そのたんびに、よろこびが大きくなるのだ。輝きが大きくなって行くのだ。

わたしたちは良い方向へ良い方向へ導かれているのだ。と思う。

だから、ここを去って行くことを無闇に悲しまないでいいのではないか、とわたしは思う。

次のよろこび、次の歓喜、次の輝くに会えるんだから、楽しみに待っていていい。そう思う。

そう思っても、やはり切ない。此処を去って行くのは切ない。

此処には此処の美しい大空と美しい大地、明るく輝く大空と明るく輝く大地があったんだから。

 

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