にんげんに老いはあるのか?
老いたらもう少しはマシになっているはずだが、そうなっていない。
だから、このにんげんには老いはなかったことになるのではないか。
考えていることはなんともなんともチャチである。成長が伴っていない。
厚みがない。威厳がない。ふくらみがない。痩せたままである。なんだこりゃと思う。
そして、そのくせ、甘ったれる。でれでれする。人からばかりやさしくされたがる。遊んでもらいたがる。
老いていないのなら、若いのか。それがそうでもない。全身の皮膚には皺がある。頭は禿げている。よぼよぼしている。つまづく。顛倒する。肉体は確実に老いている。老いているのは肉体であって、精神はそうではない。老成がない。完成完熟にはほど遠い。なってない。
わたしの目は老いているが、目が見ている風景、見ている世界は不変である。山は山をしている。木々は緑色をしている。海は海をしている。波は力強く寄せて来る。これを不思議に思う。見る人に応じて風景も老いてよさそうなのに、と思う。風景には皺がない。禿げがない。
g