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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

奪い合っている人たちもいるけれど、分け合ってくれている人たちもいる。

2021年02月27日 17時07分27秒 | Weblog

有り余るほどの大金を所持している大金持ちさんがいますが、どうするんでしょうね。

 

暮らしていける分のお金で十分なはずです。

 

胃袋は一人にひとつしかついていません。3人分30人分300人分の食料は必要ありません。

 

「必要とする分は与えられる」などというフレーズがありましたよね。

でもそれでは足りない、と思うのですよね、お金持ちさんはみんな。

 

それでせっせせっせっせと働く。お金を得る。貯め込む。

 

しかしそれでもまだ安心ができなくて、さらにまた働く。お金を増やす。で、億万長者になる。

 

遣わないお金が山を為す。遣わないで、活用しないで、それで死んでしまうことになる。

 

貧乏人はこんな想像をしてしまうけど、そうじゃないんだよね、お金持ちはお金を役立てているんだよね。活用の道を開いているんだよね、きっと。

ビル・ゲイツさんなんてさかんに社会貢献をしているものね。恵まれていない人たちに多額の寄付をして。

 

みんなを幸福にしようとして活動をしている人たちがたくさんいてくれるから、われわれの住む社会が豊かになれているんだろう。

 

分け合えば余るけれど、奪い合えば足りない。そんなふうな諺もあったよね。

 

分け合ってくれている人たちがたくさんいてくれている、そのことも考えてみる必要がある。ありそうだ。

 

 

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それでいいんです、これでいいんです。

2021年02月27日 16時54分53秒 | Weblog

わたしはいずれ死にます。ここを去って行きます。

 

去って行っても、その後も、此処は此処。

 

何も変わることはありませんよね。

 

それでいいんです。

 

夜が明ければ朝になっていますよね、やっぱり。

 

夕暮れたら夜になるでしょう、やっぱり。

 

わたしが此処を去って行って、いなくなっても、変わることはないでしょう。

 

変わらない、これでいいんです。

 

 

・・・それはそうと、しかし、コロナ感染患者はどうなっているのでしょう?

 

すっかり解決済みになっていて、人々が元通り健康に元気よく明るく暮らしているでしょう。

 

これでいいんです。

 

去って行った者が心配することでもないのかもしれませんけど。

 

 

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いい加減もうわたしの顔を覚えてくれても良さそうなのに

2021年02月27日 16時46分25秒 | Weblog

雀たちにはもうずいぶん長く餌やりをしていますが、わたしはまだ覚えられていないようです。

 

わたしの姿を見ると彼らはいっせいに逃げてしまいます。

 

餌を撒いているのはわたしだよ、わたしは敵じゃないよ、あなたたちの味方だよ、と言いますが、聞こえていないようです。

 

もういい加減わたしの顔を覚えてくれたらいいだろうにと思います。

 

そうしたらいかにも鬼がやって来たぞと言う具合に、バタバタバタと音を立てて逃げていかなくても済むのにとも思います。

 

餌を撒き続けていても、雀は小さな鳥、やっぱり警戒心が解けないのかもしれませんね。

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仏像彫刻展に行って来ました

2021年02月27日 16時29分14秒 | Weblog

仏像彫刻展に行って来ました。財俊彦さんという方の一人展です。

 

わたしには、しかし、鑑賞眼はありません。

ですから、ただ、ああ、いいなあ、いいなあを呟くばかりなのですが。

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雀の塒は近くの椎の木の林のようです。

2021年02月27日 16時25分55秒 | Weblog

雀さんたちに餌を上げてきました、さっき庭に出て。

 

庭の4カ所に。餌はくず米です。

 

1カ所に10羽ほどが集まって来て食べます。

 

これだけたくさんいますから、すぐに食べ尽くされてしまいすです。

 

餌場は木の上に吊されています。

 

喧嘩はしません。順序よく食べています。

 

でもそこには来ないで、地面に降りている雀もいます。

 

強くない雀たちなのかあと思ったりします。

 

日が暮れたらみんな塒(ねぐら)に戻って行きます。

 

塒は近くの椎の木の林のようです。

 

 

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お昼から仏像彫刻展を見に行きました。

2021年02月27日 15時56分26秒 | Weblog

今日は曇り日。一日中ずっとぐずついています。すっきりしません。気温が少し下がり気味。

 

僕はお昼から佐賀市の専福寺というお寺で開催されている仏像彫刻展を見に行って来ました。ゆっくり鑑賞をして楽しんできました。

 

今朝の新聞で紹介されていました。写真も許されたので幾枚か撮ってきました。後でまたゆっくり見てみたいと思っています。

 

お昼はコンビニで北海道の昆布が入ったおにぎり1個を買って、軽くすませました。これでお腹が満ちました。

 

 

 

 

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さぶろう、この先どうする?

2021年02月27日 09時57分45秒 | Weblog

なんとしょうなんとしょう。

 

わたしが威張ってなんとしょう。自慢たらたらを列べたところで、なんとしょう。

 

ほんとうのわたしは空っぽなんだから。

 

なんにもないんだから。

 

なんにもないから、恐くなって、それを穴埋めするようにしてよそから借りて来て、威張ってしまう。ありもしない自慢を列べてしまう。

 

みんな無実態の、ヴァーチャルリアリテイ。

 

おのれの一人劇場の、一人芝居、これは。

 

わたしのまわりに来る人なんか、いない。

 

寂しい。それでその寂しい穴を塞いでしまおうとする。穴はちっとも塞がらない。藻掻く。苦しむ。

 

どのみち、なっちゃいないなあ。さぶろう、この先、どうする。

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我はしんから愚か者。

2021年02月27日 09時45分02秒 | Weblog

好かれていたいよなあ。

 

嫌われていたくないよなあ。

 

勝手だなあ。

 

わたしのぜんぶを好いていてほしい。嫌いになるところでも嫌いにならずにいてほしい。

 

そうしてほしいとほしがるばかり。

 

そして、当然のことながら、そうならないで、悲しんでいるばかり。その願望の対極に居て、対岸に立ち尽くして、苦しんでいるばかり。

 

愚か者、愚か者。われはしんから愚か者。

 

わざわざ愚か者を好いていてくれる人なんかいるものか。いるものか。

 

今日はお天気もぐずっている。天の何処にも青空が見えてこない。すかっとしない。

 

寒い風がときおり吹いて、ひゅるるっと吹いて、庭の侘助が寒がって震えるばかり。

 

 

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我関せずを押し通すばかりで

2021年02月27日 09時27分26秒 | Weblog

地蔵さまいつも見守りありがとう     伊万里市 牛島隆治さん  川柳入選の作品。

難しいことが書いてあるわけではない。おしきせでもない。命令でもない。小言めいてもいない。

でも、読者の僕は頷けた。素直に受け止められた。そうだよなあ、そうだよなあ、見守って頂いているんだよなあ、と。北風の吹きすさぶ寒い日も、カンカン照りの暑い日も、そこを離れずじっと立って。行く人々を目にして。慈愛の眼をそこに注いで。自己主張を聲高高に叫ぶこともなく。終始無言で。他者に手を合わせているのきり道ばたの石の地蔵さま。こちらもこちら、我関せずを押し通すばかりで、立ち止まってただの一遍も「ありがとう」の声を発したこともない。

見えない百体千体のお慈悲さま、熱いお情けさまに、見守られて見守られて暮らしていながら。

 

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笑顔の人にすれ違って笑顔を分けてもらう。

2021年02月27日 09時08分04秒 | Weblog

春風のやうな笑顔にすれ違ふ      佐賀市 吉川正信さん  

田中南獄選、入選の俳句の作品。今朝のS新聞、読者文芸の。

ああいいなと思う。笑顔の人にすれ違う。会話をしないで通り過ぎてしまう。でも、こちらも嬉しくなっている。すれ違った人の笑顔の、嬉しさを瞬時にそっともらい受けている。

その人を笑顔にさせたのはなんだったのか。句に登場しているのは春風。春の風。そよろそよろと吹いて来るあたたかい春の風。風に、蕾が開くように、こころの扉が開かれてくるのだろう。木々の新芽がほぐれて来るように、こころのうちがほぐれて来るのだろう。

笑顔は偉大だ。すれ違っただけの人をも、こんな気にさせてくる。人を笑顔にさせた春風はもっと偉大だ。万物を開花させる。人の心をも開花させる。開かれたこころには、春の日の風景が映る。次々と映る。そして、苦海に沈みがちの人間どもを、あっさり笑顔にさせて来る。

今日はいまいちお天気が優れない。曇っている。寒そうだ。いますぐにはそとに出て行く気になれない。ま、そのうちに快復するだろう。そうすれば、わたしも笑顔を探しにふらりと散歩に出てみようか。のこのこ登山用の両手の杖を借りながら。

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