外に出ましたが、そりゃそりゃ暑くって、汗がだらだらだら。ギブアップして戻って来ました。ふううっ、たまらない! 老人には過酷すぎました。夕方、幾らか日が翳って来たら、また出ることにします。木陰を舞う揚羽蝶ばかりはすいすいして涼しそうです。
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読者の皆様はいかがお過ごしですか。お顔を見る機会はありませんが。
そろそろ五月も下旬になってきました。梅雨にはまだちょっと合間があります。元気をばりばり貯め込んで、あれこれいろんな領域でご活躍をなさっておいででしょうね。お若い方なら、今日くらいの、これくらいの日差しなんかには引き下がってこられないでしょう。そっかあ、畑になんか出ることもないですよね。そうでしたそうでした。
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僕はもうバッハにもモーツアルトにも倦み果てた/あの幸福な、お調子者のジャズにも倦み果てた/僕は雨上がりの曇った空の下の鉄橋のように生きてゐる/僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂寞だ 中原中也詩集「いのちの声」より
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そうか、そんなに何時でも寂寞に押し寄せられて暮らしていたのか。でもそうしていながら、彼は、バッハやモーツアルトや現代のジャズにもすっかり飽きが来てしまったというのに、雨上がりの曇った空の下を流れている大きな河のように、大河に渡してある鉄橋のように、力強く生きていた、というのだ。そしてそのお陰でこの詩が書けたのだ。寂寞が彼に充実した仕事をさせていたのだ。その充実した仕事も30年間で切り上げることになった。彼はしかし、その30年間を短いとはしていなかったかのもしれないけれど。