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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

廬生が得たもの…『邯鄲』(その13)

2012-11-20 21:16:53 | 能楽
心理描写よりも情景の描写に比重が多くかかる、これが『邯鄲』の、目立たないけれど、ほかの能と大きく違う点なのではないか、ぬえはそう思っています。それは、自分でも思わぬ帝位という境遇にいきなり放り出されるシテ自身の立場の激動、というこの能の特色そのものの故に必然的に導き出される舞台経過なのですが、この理由のためにシテの演技は心理の内面を濃密に描くよりも、むしろ呆然と経過を見守る、いわば消極的な演技に終始せざるを得ないことになります。

これが子方の舞童の舞を見ているうちに段々と我を忘れて、自らのために設えられた饗宴の快楽の中に埋没してゆく。。これがこの能に仕組まれた仕掛けでしょう。このシテの心情は取りも直さずお客さまの心情であって、夢の中でいきなり帝位に就く非現実感を、子方の舞の美しさをもって曖昧なものとし、その地点から夢と現実との端境を、シテの心情からも、お客さまのそれからも消し去る、という手法なのではないかと思います。考えてみれば『邯鄲』の舞台進行上で子方を出す必然性は必ずしもないわけで、子方の存在は、その舞が衆目の興味を集めると同時に、その前後の舞台進行とは切り取られた、別の興味をもって見られるべきもので、台本に現れるシテを巡る非現実な状況を、現実世界と錯覚させる。。それはシテにとってもお客さまにとっても。。ための、ひとつの仕掛けなのだと考えることができるのです。

こうして初めてシテが夢の世界から急転直下、現実の世界。。邯鄲の宿屋の一室。。に戻される場面は印象的になるのであって、いうなればこの能は、この大転換の場面ひとつのためにそれまでの演出が用意されていると考えることができます。

そこで作物の位置が重要になってくるのですが、子方とワキツレが突然座を蹴って立ち上がるように舞台から姿を消し、その代わりにシテが宮殿であったはずの一畳台に飛び込む。。作物はその瞬間に宮殿から邯鄲の宿屋の寝台へと瞬間的に変化する。。この場面の表現には、作物はやはり脇座に置かれているのが最も効果的なのです。

仮に大小前に作物が置かれたとして、それならば台の上の「楽」の視覚的効果は、脇座に作物が置かれてある場合とさほど変わらないと思います。むしろ廷臣が集っている宮殿の豪華壮麗な有様を表現するには、シテがそれらの中心、大小前に座している方がはるかに有利であるはずです。そうして、脇座に作物が置かれた現行の演出の場合では、前述のように横臥する型では正面に頭頂しか見せないことになり、大小前に置かれた場合より不利であるのも明白。

それではなぜ作物が脇座に出されるか、ということなのですが、これは稽古を重ねた ぬえの印象としては、ひとえにこの急展開の場面ひとつに最大の効果を得るための必要にして不可欠な条件だったのではないかと思うのです。

大小前に置かれた作物の中に、突然夢が覚める、という舞台展開のためにシテが横臥するには正面に背を向けたままで型をせねばならず、さらにそのうえ、そのシテの動線を考えると、子方やワキツレはシテの演技の前か後かに舞台から消え去らねばならず、これらの型を同時に行うには無理が生じます。これらのシテや子方、ワキツレの型を同時に処理し、一瞬のうちに宮廷の情景が霧消するという舞台効果をあらわすには、作物は大小前ではなく、脇座に置かれていなければならない。。それは台本の詞章が成立当初から現行とほとんど変化がない場合、作者が最初から導き出したであろう、必然的な演出だったのではないかと思うのです。
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廬生が得たもの…『邯鄲』(その12)

2012-11-20 01:26:06 | 能楽
ワキツレの臣下が「御位に就き給ひては早五十年なり」とシテの帝王に奏上するのは いかにも唐突ではありますが、舞台装置を極力出さずに言葉だけで場面展開をする能では常套の手法。でもじつは、ここには一つの仕掛けがあります。

この文句の直前に置かれた地謡の文句は「たとへばこれは。長生殿の内には。春秋をとゞめたり不老門の前には。日月遅しと言ふ心をまなばれたり」というものであって、これは栄華の御代が永久に続く、という意味の裏返しとして、時間の経過が遅くなるという喩えの意味です。この直後にワキツレが、五十年が経過した、と言うのは矛盾のように見えますが、これは明らかに作者の意図でしょう。後世に文言が改変されたのならば話は別ですが、五十年という帝位の年月は『邯鄲』では重要な時間なので、改変すると全体の構成に影響を及ぼすし、あえて改変する理由もないため原作の通りに伝えられていると考えるべきで、そうなると作者の意図は「五十年」という時間経過を、現実の時間の変化ではなく、すでに時間の経過が遅くなったその上で経過した時間。。要するに永久のように長大な時間の経過したあと、という意味に用いているのだと思います。

この長大な時間の経過は、とりもなおさずシテや、この能をご覧になっているお客さまが、夢の世界をいつの間にか現実と錯覚するのに必要な分量として作者が用意した時間だと ぬえには思われるのです。引立大宮がシテやお客さまにとって寝台から玉座になるのに必要な時間。。これを表す言葉が「五十年」なのではないでしょうか。

こうして晴れて玉座となった作物が急転直下、寝台に戻る瞬間が『邯鄲』のクライマックスで、その緊迫した場面の前には「四季折々は目の前にて。春夏秋冬万木千草も一日に花咲けり。面白や不思議やな」と、前に見てきたように超現実的な時間の加速が描かれている。。すなわちワキツレの「御位に就き給ひては早五十年なり」という言葉のあと、それまで停止していた夢の中の時間はどんどん加速しているのです。であればこそ、瞬間的に玉座が寝台に戻る場面が引き立ってくるのであり、まさに作者が期待する舞台の急展開の効果も現れてくるはずでしょう。

つまり、『邯鄲』の作者は、現代の我々が思うのと同じように、やはりシテが一畳台に飛び込む、あの夢が覚める瞬間の効果をこの曲の眼目に考えたに違いないはずです。『邯鄲』の古い形付に、「まへのごとく枕をし候てふし候」「枕をしてねて、うちハをかほにあつる」と書かれてあることから、往古は飛び込む型がなかった、もっと単純に、最初と同じように眠る型をするだけだった、と考える論考もありましたが、飛び込む、という表現ではなくとも、少なくともこの表記から、のんびりと、ゆっくりと横になる、という演技を限定的に指示したものとは ぬえには読めないです。

「まことは夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲の枕の上に。眠りの夢は。覚めにけり」という地謡の文句が、この能が成立した当初からの文言であるとすれば。。そうしてそれは、後世に改変される理由が見あたらないことから、ぬえは改変はなかったと信じているのですが、そうであるとすれば、形付の表現はどうであれ、古くから子方やワキツレが退場する、そうしてその間にシテが再び横臥する、その場面は急迫した表現でなければならないはずです。具体的な型はどうあれ、やはり現代と同じように、シテは素速く作物の中に入って瞬間的に眠りについた型を再現したに相違ないと ぬえは考えています。

すなわち、『邯鄲』の台本に描かれた世界は、ほかの能とはかなり違っているとは思いますが、心理の内側を描写するよりも、主人公を取り巻く環境の変化を描く割合が大きいために、演技をかなり限定的にしていると思います。そうであれば、『邯鄲』の型は、長い歴史の中でもその成立当初のものから大きく逸脱してはいないのではないか、と ぬえは考えるのでした。
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