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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

廬生が得たもの…『邯鄲』(その3)

2012-11-04 06:45:56 | 能楽
名宣リのトメの立拝を見て大小鼓は打切を打ち、シテは「道行」を謡います。

シテ「住み馴れし。国を雲路のあとに見て。国を雲路のあとに見て。山また山を越えゆけばそことしもなき旅衣。野暮れ山暮れ里くれて。名にのみ聞きし邯鄲の。里にもはやく着きにけり。里にもはやく着きにけり。

「道行」の方は定型で、「そことしもなき旅衣」の打切でシテは右ウケ、三足ほど出てから左へ取って、また元来た方向に三足ほどツメて「邯鄲の里にも早く尽きにけり」一杯に足を止めます。

邯鄲は中国に今も実在する地名なのだそうですが、この「道行」には邯鄲以外に具体的な地名は一切出てきません。当たり前のことですが、能の作者は現地に行って取材したわけではなく、文学作品など先行作品や、あるいは人口に膾炙した説話などを題材にして能を書いているからで、このような例は『楊貴妃』や『玉井』など、想像の世界へ旅をする能にはよく見られることです。

日本の国内の旅の場合は具体的な地名がたくさん出てくるのですが、遠方が舞台の曲ではやはり歌枕を並べただけのような曲もあります。。反対に都の近辺を舞台とする能の「道行」は具体的です。ぬえが聞いて印象深かったのは『鉄輪』の道行で、この曲の「道行」に登場する地名は、もちろん実在しているし、その順番を追っていけば貴船神社にも到着するのですが、これが神社に至る道順としては一般的なものではなく、獣道のような場所も通るような道らしい。自分を裏切った不実の夫を呪うシテが、人目を避けて丑の時詣でに通う道であれば、それにふさわしい道順であるらしく、この道順を知っているお客さまにとっては臨場感が増すのでしょう。

「道行」を謡い終えたシテは地謡が謡う「地取り」の間に正面に向きます。

シテ「急ぎ候程に。これははや邯鄲の里に着きて候。未だ日は高く候へども。この所に旅宿せうずるにて候。

これにてシテは橋掛リ一之松裏欄干の狂言座に向いて呼び掛け、間狂言との問答になります。

シテ「いかに案内申し候。
狂言「案内とは誰にて渡り候ぞ
シテ「これは旅人にて候。一夜の宿を御貸し候へ。
狂言「安き間の事お宿参らせう。こなたへ御入り候へ。

シテは再び正面に向き直り、その間に間狂言は後見座に行って後見より床几(鬘桶)を受け取りシテの後ろに着座して

狂言「まづこれにお腰を召され候へ。

と声を掛けると同時に床几をシテのカカトにつけて知らせ、シテは床几に腰掛けます。間狂言はシテが着座したのを見て角へ出てシテヘ向き着座して、これより宿屋の中での問答となります。

狂言「さてこれはいづ方よりいづ方へ。御通りなさるる旅人にて候ぞ。
シテ「これは蜀の国のかたはらに。廬生といへる者なり。われ人間にありながら仏道をも願はず。たゞ茫然と明かし暮らすところに。楚国の羊飛山に。尊き知識のまします由承り及びて候程に。身の一大事をも尋ねばやと思ひ立ちて候。
狂言「近頃奇特なる御望みにて候。さやうに候はば。わらは邯鄲の枕と申して。奇特なる枕を持ちて候。この枕を召され。一睡まどろみ給へば。来し方行く末の事を。知ろし召さるる枕にて候間。一睡まどろみ。御望みの事をも知ろし召されかしと思ひ候。
シテ「さてその枕はいづくに御座候ぞ。
狂言「あれなる大床にある枕にて候
シテ「さらば立ち越え一睡見うずるにて候。
狂言「その間に粟の飯をこしらえ参らせうずるにて候

これにてシテは立ち上がり、間狂言は床几を持ち去って後見に渡し、再び橋掛リ狂言座に着座します。
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