さて『邯鄲』の楽は、その大部分を一畳台の上で舞うのがなんと言っても大きな特長ですね。台の上で舞うだけなら特に難しいことでもないのですが、問題は一畳台に立てられた引立大宮なんですよね。柱に衝突しないように注意しながら、さりとて型が縮こまらないように舞うのは本当に難しいです。
これは先輩からのアドバイスなのですが、柱も支障ではありますが、意外に天井。。大宮の屋根の部分に唐団扇をぶつけてしまうのですって。こういうのは経験者でなければわからないことです。能の稽古は、師匠にお稽古を受ける際とか、稽古能、申合などでは着物を着ますけれども、通常の自習ではほとんど洋服のままで稽古しています。ですから作物を毎度組み立てて稽古するとか、装束を着て稽古する、ということは ごく稀です。このときに「本当はここに作物があって。。」「本来はここで袖を返して。。」とシミュレートしながら稽古するのが常で、装束を着、作物を据えるのは ぶっつけ本番だけ、というのが普通。
実物を用いなくてもそのつもりでシミュレートして稽古するのは、もちろん経験値に裏打ちされているわけで、初心の頃は師匠から装束を拝借して稽古したり、作物もある程度形を拵えて稽古したものです。現在では ぬえもそういう事はなくなりましたが、今回ばかりは別。一畳台の広さの寸法を測ったロープを持ち歩いて、暇さえあればそれを使って引立大宮の柱を再現して稽古しています。
この稽古で柱に衝突しないで舞うコツをいくつかつかんで。。そうなると次には面を掛けて、視界が遮られた状態での稽古になりますが。。いやかえって不安が増しました。シミュレーションが出来上がってくるにつれて、装束を着た場合の違いなど、未経験の要素がどんどん膨れあがってくるんですよね。こうして今は装束も、面も着けて稽古をしています。それでも作物の天井の高さまでは想像しながら稽古をしなければなりませんけれども。。
よくよく柱と自分の立ち位置との関係を頭にたたき込んで、遮られた視界から得られる情報を頭の中でフル回転で計算しながら舞うのですが。。それでも予想外のところで右手が柱にぶつかったりする。自分のシミュレーションではぶつかるはずがないのですが、それは計算違いなのです。でも、自分では予想もしていなかったところでの衝突ですから、びっくりしますね。最初の頃はよく、手が柱に触れると「おぁっ、びっくりした」…って、どうしても声に出して言っちゃう ぬえ。ようやく最近は声が出る事はなくなりました。(^◇^;)
さてそれから三段目には有名な「空下り」(そらおり)があります。
三段目のヲロシが過ぎてから(作物の中で)角へ出て、左に廻って常座に戻り、ヒラキをした後に、それはあります。楽に特徴的な数拍子を踏んだ直後に左足を踏み外して台から舞台の床へ下ろし、すぐにこの足を引き上げて片足で立ち、右手は柱をつかんで下の方を見回す。。『邯鄲』に固有の型です。時々お客さまには本当に足を踏み外したのかと誤解されてしまいますが、もちろんこれは わざと演じるので、失敗ではありません。意味としてはシテの夢が一瞬だけ覚めかかる、と解されていますが、これはその通りでしょう。
。。ところが今回初めて「空下り」を勤めてみて、その複雑さに驚嘆しました。東京にある笛方の森田流と一噌流とではその部分の譜がまるで違いますし、そのうえ太鼓の観世流と金春流とではそこに打つ「空下りノ手」が、これまた違う。この笛と太鼓のお流儀のコンビネーションによって、シテが足拍子を踏むタイミングも違いますし、その足拍子の数さえ違う。。都合、2×2で4通りの足拍子の踏み方のバリエーションがあるのでした。
ぬえは今回の『邯鄲』を、笛・森田流と太鼓・観世流の取り合わせで勤めさせて頂くのですが、このお流儀の取り合わせが最も複雑になるようです。太鼓に「空下りノ手」のバリエーションがあったり、型に合わせて打つ太鼓の手が、笛のちょうど良い譜に当たるようにしなければならない。。すなわちシテが舞い方を調節して笛と太鼓とが うまく当たるようにしなければならないのでした。囃子オタクを自認する ぬえでも今回は頭を抱えながら型の配分を考えています。
さらにさらに、師家の型では「空下り」のあと二足に飛び下がって、呆然とこの「事故」の原因を探るかのように下を見回す型があるのですが、流儀の中では一足に飛び下がる型の方がポピュラーのように思います。難易度は同じようなので、どちらのやり方を取るか。。
「空下り」のあとシテは一畳台の後ろ。。脇座の後方に向いて台より下り、一畳台に腰掛けてしばしの休息を取ります。このところ、「遠見」(えんけん)と呼ぶようですが、楽屋言葉としてあまり定着していない、というのが ぬえの感想です。シテ方のお流儀によって違いがあるのかしらん。ぬえの師家の形付にも「遠見」という記述はありませんでした。
しばし休息の間に笛は2クサリの繰り返しを吹き続けて、これを「吹き返し」と呼んでいます。やがてシテが立ち上がり、一畳台の前方を通り過ぎて舞台の中で舞い始めると、太鼓が知らせの手を打ち、これにて笛も通常の譜に戻ります。とはいえ、シテが台から下りて舞台で舞い始めるのは「楽」の三段目のほとんど終わりに近いところで、そのあと短い四段目を舞うと、すぐに「楽」は終わりになります。
これは先輩からのアドバイスなのですが、柱も支障ではありますが、意外に天井。。大宮の屋根の部分に唐団扇をぶつけてしまうのですって。こういうのは経験者でなければわからないことです。能の稽古は、師匠にお稽古を受ける際とか、稽古能、申合などでは着物を着ますけれども、通常の自習ではほとんど洋服のままで稽古しています。ですから作物を毎度組み立てて稽古するとか、装束を着て稽古する、ということは ごく稀です。このときに「本当はここに作物があって。。」「本来はここで袖を返して。。」とシミュレートしながら稽古するのが常で、装束を着、作物を据えるのは ぶっつけ本番だけ、というのが普通。
実物を用いなくてもそのつもりでシミュレートして稽古するのは、もちろん経験値に裏打ちされているわけで、初心の頃は師匠から装束を拝借して稽古したり、作物もある程度形を拵えて稽古したものです。現在では ぬえもそういう事はなくなりましたが、今回ばかりは別。一畳台の広さの寸法を測ったロープを持ち歩いて、暇さえあればそれを使って引立大宮の柱を再現して稽古しています。
この稽古で柱に衝突しないで舞うコツをいくつかつかんで。。そうなると次には面を掛けて、視界が遮られた状態での稽古になりますが。。いやかえって不安が増しました。シミュレーションが出来上がってくるにつれて、装束を着た場合の違いなど、未経験の要素がどんどん膨れあがってくるんですよね。こうして今は装束も、面も着けて稽古をしています。それでも作物の天井の高さまでは想像しながら稽古をしなければなりませんけれども。。
よくよく柱と自分の立ち位置との関係を頭にたたき込んで、遮られた視界から得られる情報を頭の中でフル回転で計算しながら舞うのですが。。それでも予想外のところで右手が柱にぶつかったりする。自分のシミュレーションではぶつかるはずがないのですが、それは計算違いなのです。でも、自分では予想もしていなかったところでの衝突ですから、びっくりしますね。最初の頃はよく、手が柱に触れると「おぁっ、びっくりした」…って、どうしても声に出して言っちゃう ぬえ。ようやく最近は声が出る事はなくなりました。(^◇^;)
さてそれから三段目には有名な「空下り」(そらおり)があります。
三段目のヲロシが過ぎてから(作物の中で)角へ出て、左に廻って常座に戻り、ヒラキをした後に、それはあります。楽に特徴的な数拍子を踏んだ直後に左足を踏み外して台から舞台の床へ下ろし、すぐにこの足を引き上げて片足で立ち、右手は柱をつかんで下の方を見回す。。『邯鄲』に固有の型です。時々お客さまには本当に足を踏み外したのかと誤解されてしまいますが、もちろんこれは わざと演じるので、失敗ではありません。意味としてはシテの夢が一瞬だけ覚めかかる、と解されていますが、これはその通りでしょう。
。。ところが今回初めて「空下り」を勤めてみて、その複雑さに驚嘆しました。東京にある笛方の森田流と一噌流とではその部分の譜がまるで違いますし、そのうえ太鼓の観世流と金春流とではそこに打つ「空下りノ手」が、これまた違う。この笛と太鼓のお流儀のコンビネーションによって、シテが足拍子を踏むタイミングも違いますし、その足拍子の数さえ違う。。都合、2×2で4通りの足拍子の踏み方のバリエーションがあるのでした。
ぬえは今回の『邯鄲』を、笛・森田流と太鼓・観世流の取り合わせで勤めさせて頂くのですが、このお流儀の取り合わせが最も複雑になるようです。太鼓に「空下りノ手」のバリエーションがあったり、型に合わせて打つ太鼓の手が、笛のちょうど良い譜に当たるようにしなければならない。。すなわちシテが舞い方を調節して笛と太鼓とが うまく当たるようにしなければならないのでした。囃子オタクを自認する ぬえでも今回は頭を抱えながら型の配分を考えています。
さらにさらに、師家の型では「空下り」のあと二足に飛び下がって、呆然とこの「事故」の原因を探るかのように下を見回す型があるのですが、流儀の中では一足に飛び下がる型の方がポピュラーのように思います。難易度は同じようなので、どちらのやり方を取るか。。
「空下り」のあとシテは一畳台の後ろ。。脇座の後方に向いて台より下り、一畳台に腰掛けてしばしの休息を取ります。このところ、「遠見」(えんけん)と呼ぶようですが、楽屋言葉としてあまり定着していない、というのが ぬえの感想です。シテ方のお流儀によって違いがあるのかしらん。ぬえの師家の形付にも「遠見」という記述はありませんでした。
しばし休息の間に笛は2クサリの繰り返しを吹き続けて、これを「吹き返し」と呼んでいます。やがてシテが立ち上がり、一畳台の前方を通り過ぎて舞台の中で舞い始めると、太鼓が知らせの手を打ち、これにて笛も通常の譜に戻ります。とはいえ、シテが台から下りて舞台で舞い始めるのは「楽」の三段目のほとんど終わりに近いところで、そのあと短い四段目を舞うと、すぐに「楽」は終わりになります。