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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

廬生が得たもの…『邯鄲』(その6)

2012-11-07 00:55:24 | 能楽
子方 舞童の装束付は金風折烏帽子(黒にても)、襟=赤、着付=紅入縫箔、白大口、長絹、縫紋腰帯、黒骨紅扇、となっています。これは男の子の扮装ですが、女児にすることもあって、その場合は垂髪、翼元結、緋大口、紅入唐織とすることになっています…が、女児の場合も長絹を着ることも多いです。

なお師家の型付にはなおこの他に鬘、鬘帯、天冠(月ナシ)という記載もありました。もちろん女児の舞童ですが、これは本格的な…皇女のような姿ですね。『楊貴妃』のシテ、『皇帝』のツレの楊貴妃をつい連想してしまい、ちょっと舞台の上のバランスが取れないようにも思いますが。。まあ、一つの考え方として、シテが夢の中の仮の帝王であることを黒頭の姿で暗示するとするならば、その帝王を受け止める宮殿はどこまでも豪華である方が効果的ではあるかもしれません。美の極致の世界と、それに属しながら、その対極に位置しているような不似合いの俗の男。。ちょっと『一角仙人』に通じる趣向です。

これに対してワキツレは洞烏帽子、厚板、白大口、袷狩衣、男扇という姿で、そのうち主になるワキツレ一人が紺の狩衣、残りの二人が赤地の狩衣を着ます。要するに脇能のワキとワキツレと同じ扮装になるわけなのですが、狩衣は日本独自の装束なので、中国が舞台の『邯鄲』では本当はおかしいのですが。

子方、ワキツレ一同が着座すると太鼓が「真之来序」の終わりの手を打ち、シテはこれを聞いて見所の方へ向き直ります。

シテはここは玉座に座って臣下の礼を受けている場面だと思いますが、これ以降、シテにもワキツレにもほとんど動きはありませんが、意外にシテ方の流儀や家によって違いがあるところです。すなわちシテが見所に向き直るその向きに違いがあって、真正面に…見所に正対する場合と、角かけて…斜め右に向いて着座するかの違いです。一見些細な違いのようにも思われると思われがちですが、シテが描く世界の大きさが、向く方角によって大きく変わるところだと思います。ぬえの師家の型ですと、ここは真正面に向くことになっていますが、工夫によって角かけて向く事も多いようです。

地謡「有難の気色やな。有難の気色やな。もとより高き雲の上。月も光は明らけき。雲龍閣や阿房殿。光も満ちみちてげにも妙なる有様の。庭には金銀の砂を敷き。四方の門辺の玉の戸を。出で入る人までも。光を飾るよそほひは。誠や名に聞きし寂光の都喜見城の。楽しみもかくやと思ふばかりの気色かな。
地謡「千顆万顆の御宝の数をつらねて捧物。千戸万戸の旗のあし。天に色めき地にひゞく。礼の声も。夥し礼の声も夥し。
シテ「東に三十余丈に。(と左の方を見)
地謡「白金の山を築かせては。黄金の日輪を出されたり。
シテ「西に三十余丈に。(と右の方を見)
地謡「黄金の山を築かせては。白金の月輪を出されたり。たとへばこれは。長生殿の内には。春秋をとゞめたり不老門の前には。日月遅しと言ふ心をまなばれたり。(と両手を上げる)

庭には金銀の砂を敷き、東には銀の築山と金の太陽、西には金の築山と銀の月。。ちょいと成金趣味のような気もしないではありませんが、ともあれ豪勢な宮殿の様子。こういうところは舞台セットを持ち出さずに言葉だけで描写をする能の真骨頂ですね。『鶴亀』『咸陽宮』の方が宮殿の豪華さの描写は際だっているとも思いますが、『邯鄲』では宮殿に出入りする人々や貢ぎ物、帝王を礼賛する庶民にまで描写が及んでいて優れていると思います。ところで「千戸万戸の旗のあし。天に色めき地にひゞく」を広大な領地を持つ諸侯がはためかす幡、と解することが多いようですが、ぬえはここは、この後に続く「礼の声も夥し」という表現から考えて、単純に「庶民の門々にも帝王を賞賛するための旗が掲げられ、その翻る有様は天を染め、地面が揺れ動くかのようだ」…というあたりでよろしいのではないかと思います。

この長い地謡…実際にはかなり急調に謡うのでそれほど時間が掛かるわけでもないのですが…の中で、シテはわずかに築山を左右に見る型をするほか、最後に両手を挙げる型をします。能として珍しい型と思いますが、ほかにも『枕慈童』に同じ型があります(少々意味合いは異なっているとは思いますが…)。

この型は簡単に言えばこれは見た目の通り「ばんざい」をしている型だと ぬえは思っていますが、もちろんそれほど単純な言葉ではくくるべきではないでしょう。ここまで地謡が言葉を極めて豪華な宮殿の有様、人民が帝王を敬愛し、支持している安定して繁栄する帝国の描写を尽くした上での、完璧な栄華を楽しむ最大の喜びの心でありながら、感情を抑制し、尊厳と慎みをもった静かさでその喜びの表現だと考えています。
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