『邯鄲』の稽古と公演準備のために時間を奪われまして、だいぶご紹介が遅くなってしまいました。。今年10月に「能楽の心と癒やしプロジェクト」として第10次になる支援活動のご報告です。
今回の活動の発端は、なんとお呼ばれによる能楽の上演でした。ぬえらプロジェクトは何度か石巻を中心にして活動を展開して参りましたが、そんな中から、ひょんなご縁から石巻市立女子高の同窓会の場での出演のご依頼を頂いたのでした。同窓会といっても「還暦記念」とのことでしたが、いや、みなさんお若いこと! そうして元気! こちらまで元気を頂戴してしまいました~。
石巻市立女子高。。この名を聞いたとき ぬえは「あ。。あそこの高校か。。」と思って身を固くしてしまいました。市立女子高は石巻市の日和山の南端に位置していて、ちょうど、津波が押し寄せてきた時に焼けてしまった門脇小学校のすぐ上に位置しているのです。日和山と門脇地区。。その高低差がある地形によって、津波の被害はまさに明暗を分けてしまい、市立女子高は津波の被害を免れました。
焼けた門脇小学校(2011.6撮影)その背後の高台(日和山)に見えるのが市立女子高

それでも女子高自体は甚大な被害を受けなかったのですから、ほっと安心していたのですが。。じつは現在、その市立女子高の校庭には仮設校舎が建っていて、そこには渡波にあったために甚大な被害を受けた市立女子商業高校が間借りして授業を行っているのですって。。
石巻市立女子商業高校の体育館(2012.8撮影)

今年の春頃でしたでしょうか、プロジェクト協力者の方からこの同窓会のお話が ぬえらに持ち込まれたのは。趣旨としては、還暦を記念して去年行うはずだった同窓会。それが震災のために開催できなくなり、1年遅れで今年ようやく開催することになった。還暦を祝う会でもあり、しかしながら震災によって亡くなったお友達もあり。。震災から1年を過ぎて、ようやくお祝いと、追悼を兼ねた同窓会を挙行することになったとのこと。そこで、この同窓会の実行委員の方のご友人を経て、同窓会のイベントとして能楽の上演の依頼があったのでした。
う~ん、今回はいろいろ考えましたね~。なんせ指定された同窓会の日が、プロジェクトのメンバーのスケジュールの都合がつかないため、ぬえ一人しか参上できないこと。これには参りました。プロジェクト始まって以来の問題。とはいえ、せっかくお声を掛けて頂いたのにお断りするのも忍びなく。。結局 ぬえ一人でお引き受けすることにし、家族で話し合って、今回は子方を卒業したばかりの チビぬえと、装束の着付け要員としてママぬえと、3人でお伺いする事に致しました。
震災から1年7ヶ月。。ぬえの経験では まだまだ子どもが不用意に近づくのはどうか、と思うこともある場所なのですけれども、ひとつには ぬえが引率するから細心の注意は払うことができるであろう、と。もうひとつは、リスクもあるのだけれど、これまで ぬえが行ってきた被災地での活動に理解を示して応援してくれた家族だからこそ、一度現地を見ておいてほしい、とぬえが考えたこと。これが今回お引き受けした理由です。
同行者の体調も把握しながら行動すること。。最近になってようやく ぬえもそこまで気を配ることができるようになりました。。遅すぎっ! まあ、ぬえも笛のTさんも体力には自信がある方なので、ついつい強行軍のスケジュールになってしまっても気にしないで限られた滞在時間のうちに多くの仮設住宅や商店街などをまわる計画を立ててしまうのですよね。それが時としてシビアな計画に。。いろいろな意味で。。なってしまう事に気がついて、せっかくのプロジェクトの協力者の体調管理まで考えるようになったのでした。
次に問題となったのは、家族で上演する曲目がかなり限られてしまうこと。う~んと、う~んと。。
でも夏頃に石巻での活動の合間に同窓会の主催者の方と直接ご相談する機会がありまして、追悼もするけれど、気分は本来還暦を迎えた喜びの催し。未来に向かって進んで行きたい、それが亡くなった友達への供養でもある。。と、このようなメッセージを頂きました。こうして 考えた末に ぬえは喜びの曲でありますけれども、チビぬえが勤めた経験がある『嵐山』を上演曲に選ぶことに致しました。
今回の活動の発端は、なんとお呼ばれによる能楽の上演でした。ぬえらプロジェクトは何度か石巻を中心にして活動を展開して参りましたが、そんな中から、ひょんなご縁から石巻市立女子高の同窓会の場での出演のご依頼を頂いたのでした。同窓会といっても「還暦記念」とのことでしたが、いや、みなさんお若いこと! そうして元気! こちらまで元気を頂戴してしまいました~。
石巻市立女子高。。この名を聞いたとき ぬえは「あ。。あそこの高校か。。」と思って身を固くしてしまいました。市立女子高は石巻市の日和山の南端に位置していて、ちょうど、津波が押し寄せてきた時に焼けてしまった門脇小学校のすぐ上に位置しているのです。日和山と門脇地区。。その高低差がある地形によって、津波の被害はまさに明暗を分けてしまい、市立女子高は津波の被害を免れました。
焼けた門脇小学校(2011.6撮影)その背後の高台(日和山)に見えるのが市立女子高

それでも女子高自体は甚大な被害を受けなかったのですから、ほっと安心していたのですが。。じつは現在、その市立女子高の校庭には仮設校舎が建っていて、そこには渡波にあったために甚大な被害を受けた市立女子商業高校が間借りして授業を行っているのですって。。
石巻市立女子商業高校の体育館(2012.8撮影)

今年の春頃でしたでしょうか、プロジェクト協力者の方からこの同窓会のお話が ぬえらに持ち込まれたのは。趣旨としては、還暦を記念して去年行うはずだった同窓会。それが震災のために開催できなくなり、1年遅れで今年ようやく開催することになった。還暦を祝う会でもあり、しかしながら震災によって亡くなったお友達もあり。。震災から1年を過ぎて、ようやくお祝いと、追悼を兼ねた同窓会を挙行することになったとのこと。そこで、この同窓会の実行委員の方のご友人を経て、同窓会のイベントとして能楽の上演の依頼があったのでした。
う~ん、今回はいろいろ考えましたね~。なんせ指定された同窓会の日が、プロジェクトのメンバーのスケジュールの都合がつかないため、ぬえ一人しか参上できないこと。これには参りました。プロジェクト始まって以来の問題。とはいえ、せっかくお声を掛けて頂いたのにお断りするのも忍びなく。。結局 ぬえ一人でお引き受けすることにし、家族で話し合って、今回は子方を卒業したばかりの チビぬえと、装束の着付け要員としてママぬえと、3人でお伺いする事に致しました。
震災から1年7ヶ月。。ぬえの経験では まだまだ子どもが不用意に近づくのはどうか、と思うこともある場所なのですけれども、ひとつには ぬえが引率するから細心の注意は払うことができるであろう、と。もうひとつは、リスクもあるのだけれど、これまで ぬえが行ってきた被災地での活動に理解を示して応援してくれた家族だからこそ、一度現地を見ておいてほしい、とぬえが考えたこと。これが今回お引き受けした理由です。
同行者の体調も把握しながら行動すること。。最近になってようやく ぬえもそこまで気を配ることができるようになりました。。遅すぎっ! まあ、ぬえも笛のTさんも体力には自信がある方なので、ついつい強行軍のスケジュールになってしまっても気にしないで限られた滞在時間のうちに多くの仮設住宅や商店街などをまわる計画を立ててしまうのですよね。それが時としてシビアな計画に。。いろいろな意味で。。なってしまう事に気がついて、せっかくのプロジェクトの協力者の体調管理まで考えるようになったのでした。
次に問題となったのは、家族で上演する曲目がかなり限られてしまうこと。う~んと、う~んと。。
でも夏頃に石巻での活動の合間に同窓会の主催者の方と直接ご相談する機会がありまして、追悼もするけれど、気分は本来還暦を迎えた喜びの催し。未来に向かって進んで行きたい、それが亡くなった友達への供養でもある。。と、このようなメッセージを頂きました。こうして 考えた末に ぬえは喜びの曲でありますけれども、チビぬえが勤めた経験がある『嵐山』を上演曲に選ぶことに致しました。