ワキツレの臣下が「御位に就き給ひては早五十年なり」とシテの帝王に奏上するのは いかにも唐突ではありますが、舞台装置を極力出さずに言葉だけで場面展開をする能では常套の手法。でもじつは、ここには一つの仕掛けがあります。
この文句の直前に置かれた地謡の文句は「たとへばこれは。長生殿の内には。春秋をとゞめたり不老門の前には。日月遅しと言ふ心をまなばれたり」というものであって、これは栄華の御代が永久に続く、という意味の裏返しとして、時間の経過が遅くなるという喩えの意味です。この直後にワキツレが、五十年が経過した、と言うのは矛盾のように見えますが、これは明らかに作者の意図でしょう。後世に文言が改変されたのならば話は別ですが、五十年という帝位の年月は『邯鄲』では重要な時間なので、改変すると全体の構成に影響を及ぼすし、あえて改変する理由もないため原作の通りに伝えられていると考えるべきで、そうなると作者の意図は「五十年」という時間経過を、現実の時間の変化ではなく、すでに時間の経過が遅くなったその上で経過した時間。。要するに永久のように長大な時間の経過したあと、という意味に用いているのだと思います。
この長大な時間の経過は、とりもなおさずシテや、この能をご覧になっているお客さまが、夢の世界をいつの間にか現実と錯覚するのに必要な分量として作者が用意した時間だと ぬえには思われるのです。引立大宮がシテやお客さまにとって寝台から玉座になるのに必要な時間。。これを表す言葉が「五十年」なのではないでしょうか。
こうして晴れて玉座となった作物が急転直下、寝台に戻る瞬間が『邯鄲』のクライマックスで、その緊迫した場面の前には「四季折々は目の前にて。春夏秋冬万木千草も一日に花咲けり。面白や不思議やな」と、前に見てきたように超現実的な時間の加速が描かれている。。すなわちワキツレの「御位に就き給ひては早五十年なり」という言葉のあと、それまで停止していた夢の中の時間はどんどん加速しているのです。であればこそ、瞬間的に玉座が寝台に戻る場面が引き立ってくるのであり、まさに作者が期待する舞台の急展開の効果も現れてくるはずでしょう。
つまり、『邯鄲』の作者は、現代の我々が思うのと同じように、やはりシテが一畳台に飛び込む、あの夢が覚める瞬間の効果をこの曲の眼目に考えたに違いないはずです。『邯鄲』の古い形付に、「まへのごとく枕をし候てふし候」「枕をしてねて、うちハをかほにあつる」と書かれてあることから、往古は飛び込む型がなかった、もっと単純に、最初と同じように眠る型をするだけだった、と考える論考もありましたが、飛び込む、という表現ではなくとも、少なくともこの表記から、のんびりと、ゆっくりと横になる、という演技を限定的に指示したものとは ぬえには読めないです。
「まことは夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲の枕の上に。眠りの夢は。覚めにけり」という地謡の文句が、この能が成立した当初からの文言であるとすれば。。そうしてそれは、後世に改変される理由が見あたらないことから、ぬえは改変はなかったと信じているのですが、そうであるとすれば、形付の表現はどうであれ、古くから子方やワキツレが退場する、そうしてその間にシテが再び横臥する、その場面は急迫した表現でなければならないはずです。具体的な型はどうあれ、やはり現代と同じように、シテは素速く作物の中に入って瞬間的に眠りについた型を再現したに相違ないと ぬえは考えています。
すなわち、『邯鄲』の台本に描かれた世界は、ほかの能とはかなり違っているとは思いますが、心理の内側を描写するよりも、主人公を取り巻く環境の変化を描く割合が大きいために、演技をかなり限定的にしていると思います。そうであれば、『邯鄲』の型は、長い歴史の中でもその成立当初のものから大きく逸脱してはいないのではないか、と ぬえは考えるのでした。
この文句の直前に置かれた地謡の文句は「たとへばこれは。長生殿の内には。春秋をとゞめたり不老門の前には。日月遅しと言ふ心をまなばれたり」というものであって、これは栄華の御代が永久に続く、という意味の裏返しとして、時間の経過が遅くなるという喩えの意味です。この直後にワキツレが、五十年が経過した、と言うのは矛盾のように見えますが、これは明らかに作者の意図でしょう。後世に文言が改変されたのならば話は別ですが、五十年という帝位の年月は『邯鄲』では重要な時間なので、改変すると全体の構成に影響を及ぼすし、あえて改変する理由もないため原作の通りに伝えられていると考えるべきで、そうなると作者の意図は「五十年」という時間経過を、現実の時間の変化ではなく、すでに時間の経過が遅くなったその上で経過した時間。。要するに永久のように長大な時間の経過したあと、という意味に用いているのだと思います。
この長大な時間の経過は、とりもなおさずシテや、この能をご覧になっているお客さまが、夢の世界をいつの間にか現実と錯覚するのに必要な分量として作者が用意した時間だと ぬえには思われるのです。引立大宮がシテやお客さまにとって寝台から玉座になるのに必要な時間。。これを表す言葉が「五十年」なのではないでしょうか。
こうして晴れて玉座となった作物が急転直下、寝台に戻る瞬間が『邯鄲』のクライマックスで、その緊迫した場面の前には「四季折々は目の前にて。春夏秋冬万木千草も一日に花咲けり。面白や不思議やな」と、前に見てきたように超現実的な時間の加速が描かれている。。すなわちワキツレの「御位に就き給ひては早五十年なり」という言葉のあと、それまで停止していた夢の中の時間はどんどん加速しているのです。であればこそ、瞬間的に玉座が寝台に戻る場面が引き立ってくるのであり、まさに作者が期待する舞台の急展開の効果も現れてくるはずでしょう。
つまり、『邯鄲』の作者は、現代の我々が思うのと同じように、やはりシテが一畳台に飛び込む、あの夢が覚める瞬間の効果をこの曲の眼目に考えたに違いないはずです。『邯鄲』の古い形付に、「まへのごとく枕をし候てふし候」「枕をしてねて、うちハをかほにあつる」と書かれてあることから、往古は飛び込む型がなかった、もっと単純に、最初と同じように眠る型をするだけだった、と考える論考もありましたが、飛び込む、という表現ではなくとも、少なくともこの表記から、のんびりと、ゆっくりと横になる、という演技を限定的に指示したものとは ぬえには読めないです。
「まことは夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲の枕の上に。眠りの夢は。覚めにけり」という地謡の文句が、この能が成立した当初からの文言であるとすれば。。そうしてそれは、後世に改変される理由が見あたらないことから、ぬえは改変はなかったと信じているのですが、そうであるとすれば、形付の表現はどうであれ、古くから子方やワキツレが退場する、そうしてその間にシテが再び横臥する、その場面は急迫した表現でなければならないはずです。具体的な型はどうあれ、やはり現代と同じように、シテは素速く作物の中に入って瞬間的に眠りについた型を再現したに相違ないと ぬえは考えています。
すなわち、『邯鄲』の台本に描かれた世界は、ほかの能とはかなり違っているとは思いますが、心理の内側を描写するよりも、主人公を取り巻く環境の変化を描く割合が大きいために、演技をかなり限定的にしていると思います。そうであれば、『邯鄲』の型は、長い歴史の中でもその成立当初のものから大きく逸脱してはいないのではないか、と ぬえは考えるのでした。
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