さて本稿の最後の話題は、邯鄲の枕から学んだこととは一体なにか、ということ。「身の一大事をも尋ねばやと思ひ」と故郷を離れた廬生は、邯鄲の里で遭遇した不思議な枕の力で見た夢を見たことによって「望み叶へて帰りけり」と、楚国の羊飛山に住むという「尊き知識」を訪ねることを止めて、旅をも中止したのでした。
しかしねえ。。この能の終末部の静けさといったら。諦めにも似たネガティブな感情が舞台に漂うのはなぜなのでしょう。
これすなわち、栄華の夢が一瞬に消えた事から、現実世界で起きる現象は水泡のようなものだという「悟り」を廬生は得たのでした。一瞬で夢が消えたのは、間狂言の宿屋の女主人が炊きあげた粟の飯が完成したからではないでしょう。何かの原因で夢が覚めたのであって、その理由は台本には はっきりとは書かれていません。
しかし、前述のように超現実的な時間の加速があって、「かくて時過ぎ頃去れば。五十年の栄花も尽きて」とある点に ぬえは注目しています。どうしても「まことは夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ」…と、夢が覚めた、という事件にばかり気を取られますが、ある事件があって、シテの夢が覚めたのはその結果にしか過ぎないのではなかろうか。。じつは ぬえが考えているのは帝王の「死」によって夢が覚めたのではないかと思っています。
帝位に就いてこれ以上の喜びはなく、しかも政権は安定していて、すでに五十年の月日が平和に流れたようです。この帝位の夢が破局するのは、他国との戦に敗北して国が滅亡するとか、まあ平和裡に子孫に譲位したということも考えられますが、いずれも『邯鄲』の台本には暗示される言葉はありません。一方「五十年の栄花も尽きて」「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし」。。これらの詞章から ぬえが考えるのは「死」のイメージです。『邯鄲』は、少なくとも帝位に廬生が就いている間の場面は祝言性に満ちているために、表現は婉曲ではありますが、廬生が直面したどうしようもない宿命としての「死」…すなわち天寿を全うしたところで夢は覚めたのだ、と ぬえは考えています。ワキツレ臣下がせっかく用意した「天の漿」も「瀣の盃」も功を奏せず、帝王の寿命は五十の賀のあとほどなく尽きてしまったのでした。
であるとすれば「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし。五十年の栄花こそ。身の為にはこれまでなり。五十年栄花の望みも齢の長さも。五十年の歓楽も。王位になれば。これまでなりげに。何事も一炊の夢」という詞章の意味は、「たとい歓楽が百年続いたとしても、寿命が尽きれば自分の身とともにたちまち霧散してしまう。自分が仮初めに得た栄華の期間はその半分の五十年であったけれど、寿命が来ればすべては終わりと思えば十分な長さであった。出世の望みも長寿の願いも、ともに五十年の長きに渡って得たけれども、王位にまで上り詰めれば、もうこれ以上の望みはない。しかしそれは俗世の望みが達成されたに過ぎなかった。たしかに、その長さは寿命の内にしか留まらないと知れば、現実にこれが実現したとしても、いま粟の飯が炊きあがる間に見たはかない夢とかわらない」。。ということでしょう。
ああ、これが「諦念」となって廬生の気持ちを暗くするのでしょうか。言うまでもなく仏教では現世の執着を捨てて輪廻からの脱却を勧めるのであり、『邯鄲』の本文にも「よくよく思へば出離を求むる知識はこの枕なり」と、邯鄲の枕にはそれを使って夢を見た者に煩悩の迷いの苦海から離れることを勧める機能があった事が描かれています。
しかし出離の道を志すことは喜びであるはず。。ましてや「我人間にありながら仏道をも願はず」と自己反省し「身の一大事をも尋ねばやと思」って旅だち、夢を通じて悟りに導いてくれた邯鄲の枕に対して「げに有難や」と感謝する廬生であるはずなのに、「望み叶へて」という割にはうれしそうでもありませんね。今自分が生きている現実世界は夢のようにはかないもの、というニヒリズムと、来世をも視野に入れた人生の指標を見つけた静かな安堵感。。これらが ないまぜになった複雑な感情が、廬生が得たものであって、この曲の終結部分の静けさもそれを表しているのかもしれません。
でもまあ、ぬえは廬生という人の悩みは、生活臭のまったくないブルジョア階級の憂鬱にも感じるので、まずは現実世界の中に帰って来て欲しいかな。悟りを得た廬生が現実世界の中でどう社会と接しながら生きてゆくのか。ちょっと興味があったりします。
【この項 了】
しかしねえ。。この能の終末部の静けさといったら。諦めにも似たネガティブな感情が舞台に漂うのはなぜなのでしょう。
これすなわち、栄華の夢が一瞬に消えた事から、現実世界で起きる現象は水泡のようなものだという「悟り」を廬生は得たのでした。一瞬で夢が消えたのは、間狂言の宿屋の女主人が炊きあげた粟の飯が完成したからではないでしょう。何かの原因で夢が覚めたのであって、その理由は台本には はっきりとは書かれていません。
しかし、前述のように超現実的な時間の加速があって、「かくて時過ぎ頃去れば。五十年の栄花も尽きて」とある点に ぬえは注目しています。どうしても「まことは夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ」…と、夢が覚めた、という事件にばかり気を取られますが、ある事件があって、シテの夢が覚めたのはその結果にしか過ぎないのではなかろうか。。じつは ぬえが考えているのは帝王の「死」によって夢が覚めたのではないかと思っています。
帝位に就いてこれ以上の喜びはなく、しかも政権は安定していて、すでに五十年の月日が平和に流れたようです。この帝位の夢が破局するのは、他国との戦に敗北して国が滅亡するとか、まあ平和裡に子孫に譲位したということも考えられますが、いずれも『邯鄲』の台本には暗示される言葉はありません。一方「五十年の栄花も尽きて」「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし」。。これらの詞章から ぬえが考えるのは「死」のイメージです。『邯鄲』は、少なくとも帝位に廬生が就いている間の場面は祝言性に満ちているために、表現は婉曲ではありますが、廬生が直面したどうしようもない宿命としての「死」…すなわち天寿を全うしたところで夢は覚めたのだ、と ぬえは考えています。ワキツレ臣下がせっかく用意した「天の漿」も「瀣の盃」も功を奏せず、帝王の寿命は五十の賀のあとほどなく尽きてしまったのでした。
であるとすれば「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし。五十年の栄花こそ。身の為にはこれまでなり。五十年栄花の望みも齢の長さも。五十年の歓楽も。王位になれば。これまでなりげに。何事も一炊の夢」という詞章の意味は、「たとい歓楽が百年続いたとしても、寿命が尽きれば自分の身とともにたちまち霧散してしまう。自分が仮初めに得た栄華の期間はその半分の五十年であったけれど、寿命が来ればすべては終わりと思えば十分な長さであった。出世の望みも長寿の願いも、ともに五十年の長きに渡って得たけれども、王位にまで上り詰めれば、もうこれ以上の望みはない。しかしそれは俗世の望みが達成されたに過ぎなかった。たしかに、その長さは寿命の内にしか留まらないと知れば、現実にこれが実現したとしても、いま粟の飯が炊きあがる間に見たはかない夢とかわらない」。。ということでしょう。
ああ、これが「諦念」となって廬生の気持ちを暗くするのでしょうか。言うまでもなく仏教では現世の執着を捨てて輪廻からの脱却を勧めるのであり、『邯鄲』の本文にも「よくよく思へば出離を求むる知識はこの枕なり」と、邯鄲の枕にはそれを使って夢を見た者に煩悩の迷いの苦海から離れることを勧める機能があった事が描かれています。
しかし出離の道を志すことは喜びであるはず。。ましてや「我人間にありながら仏道をも願はず」と自己反省し「身の一大事をも尋ねばやと思」って旅だち、夢を通じて悟りに導いてくれた邯鄲の枕に対して「げに有難や」と感謝する廬生であるはずなのに、「望み叶へて」という割にはうれしそうでもありませんね。今自分が生きている現実世界は夢のようにはかないもの、というニヒリズムと、来世をも視野に入れた人生の指標を見つけた静かな安堵感。。これらが ないまぜになった複雑な感情が、廬生が得たものであって、この曲の終結部分の静けさもそれを表しているのかもしれません。
でもまあ、ぬえは廬生という人の悩みは、生活臭のまったくないブルジョア階級の憂鬱にも感じるので、まずは現実世界の中に帰って来て欲しいかな。悟りを得た廬生が現実世界の中でどう社会と接しながら生きてゆくのか。ちょっと興味があったりします。
【この項 了】