ぬえの能楽通信blog

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絢爛豪華な脇能『嵐山』(その7)

2008-08-06 01:34:13 | 能楽
地謡「花はよも散らじ。風にも勝手木守とて。夫婦の神はわれぞかし(とシテとツレはワキへ向き)。音たかや嵐山。人にな知らせ給ひそ(とシテは二足ツメ)。
地謡「笙の岩屋の松風は(ここでツレは地謡の前に行き着座)。笙の岩屋の松風は。実相の花盛(右ウケ)。開くる法の声立てゝ今は嵐の山桜(正へ出ヒラキ)。菜摘の川の水清く(角トリ)。真如の月の澄める世に。五濁の濁ありとても。流れは大堰川その水上はよも尽きじ(常座に廻りワキへ向きヒラキ)。いざいざ花を守らうよいざいざ花を守らうよ(ツレへ向きツメ足)。春の風は空に満ちて。春の風は空に満ちて(右へウケ見)。庭前の木を切るとも。神風にて吹きかへさば妄想の雲も晴れぬべし(正へ出ヒラキ)。千本の山桜(と右へウケ少し出〈面つかっても〉)のどけき嵐の山風は。吹くとも枝は鳴らさじ(作物へ向きヒラキ)。この日もすでに呉竹の(幕の方を見)。夜の間を待たせ給ふべし(ワキへ向きツメ足)。明日も三吉野の山桜(脇座の方へ行き幕へ向き)。立ちくる雲にうち乗りて(正の方へノリ込拍子)。夕陽残る西山や(幕へ向きヒラキ、箒を捨て)。南の方に行きにけり(常座へ行きトメ)南の方に行きにけり(右へトリ橋掛りの入口へ行き)中入〈来序〉。

「笙の岩屋の松風は」から「その水上はよも尽きじ」までを見ると、なるほど初同の定型の型、すなわち正へ出ヒラキ、角トリ、常座へ廻りワキへヒラキ、という一連の型があり、そこで囃子の打切がありますから、ここまでの範囲を上歌と考えることができます。がしかし、この文章の内容を見ると、脇能の常套としてワキに対して神の威光を伝えるわけでもなく、まあ仏教の慈悲の顕現と捉えられてはいるとしても、この嵐山の花盛りの景色を描写していて、むしろシテ自身がその美しい光景を楽しんでいるかのようです。

続く「いざいざ花を守らうよいざいざ花を守らうよ」は型としても謡の形としても下歌と考えられますが、これが下歌とされていないのは、この文句の最後に囃子の打切がないため次の文言との境目が曖昧なこと、さらに次の「春の風は空に満ちて」以下の本文の節扱いが上歌やクセなどの定型にあてはまらず、「いざいざ花を」を下歌とするとそれ以下の文に名称がつけにくいことなどによるのでしょう。

また、「春の風は空に満ちて」以下の本文は、今度は神について言及しながら、内容としては「笙の岩屋の松風は」のところと同じく、遠回しな表現ではありながら嵐山の致景の賞賛で、内容としての一致があるため、小段として分けにくい、という事もあるでしょう。

ともあれクリもサシもクセもないままに、『嵐山』は初同がそのまま渾然一体となって中入にまで続いていく、という感じに作られています。儀式性を重んずる脇能としてはまさに破格です。このあたりの文章や作曲には『賀茂』とよく似ているのですが、それでも『賀茂』にはロンギもあり、また中入の地謡は独立して存在しています。女性がシテという脇能としてはやはり破格な『賀茂』と比べても『嵐山』の作者には簡素化、脱・儀式性の明確な意志があったと考えるのが自然ではないかと思います。

ところが中入は本式の脇能の通り、シテ・ツレ二人が「来序」という大小鼓に太鼓、笛も加わった囃子で中入となります。

来序はまさに儀式としての中入で、太鼓の手に合わせていくつか足遣いをしてから幕に入ることになっており、またシテが中入してからは「狂言来序」という洒脱な囃子に変化し、末社の神など立ちシャベリをする間狂言が登場するのも特徴です。来序は脇能に限らず天狗物の能や切能に広く用いられるのですが、足遣いの歩数の長短に、脇能とそれ以外の能とでは多少の区別があります。