ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

狩野川薪能、大成功で終了しました!(その5)

2008-08-29 00:43:41 | 能楽

まずは綸子ちゃんの勇姿を見よ!(^。^)

じつは今日は薪能が終わってからはじめての休日でした。特に今回の薪能は前日も翌日も東京で催しがあって、とても慌ただしいスケジュールでしたね~。少し疲れました。今日は出来上がってきた薪能の写真などを子どもたちのためにコピーしたり、それを発送したりしながらでしたが、ゆっくり過ごしました。

今回の薪能の撮影には能楽写真家の渡辺国茂さんと、山口宏子さんがわざわざ東京からお出まし頂きましたが、わけても山口さんは7月に市内の小学校で行われた中間発表会、およびその前日の稽古にボランティアで撮影に参加してくださいました。山口さんは舞台での演技ももちろんですが、子どもたちの素顔や、ぬえと彼らが触れあっているところを撮影したい、とかねて希望しておられ、稽古の日程をお伝えしたところ、自費で稽古の撮影にお出でになったのです。その時も薪能も、子どもたちのために大急ぎで写真をCDに納めて ぬえに発送してくださいました。当初は子どもたち全員に紙焼きをして郵送してあげる、とまで山口さんはおっしゃったのですが、それは巨費が掛かるので、ただでさえボランティアで撮影してくださっているので、紙焼きは辞謝させて頂き、ぬえがCDで焼き増しすることにしたのです。

薪能の撮影そのものは、渡辺さんも山口さんも、実行委員会からの用命を受けて撮影、という形が整って、交通費程度はお礼することができたようですが、それでもどちらも事実上はボランティアに近いお仕事だったと思います。中間発表会の撮影をしてくださった山口さんには、薪能の当日に子どもたちから寄せ書きが贈られたようですね。ぬえも寄せ書きを頂きました。こういうのを頂くと、長いお稽古もやって良かったな~と思えますですね。山口さんと渡辺さんにはこの場で失礼ながら、子どもたちになり代わって厚く御礼申し上げます。m(__)m

さて、「連管」が上演されている間に、ぬえは紋付から装束に着替えて、能『嵐山』の準備にとり掛かりました。思えばこの薪能ではシテを舞う前に、連調『高砂』の地謡、子ども創作能『江間の小四郎』の地謡担当の後見、仕舞『吉野天人』の地謡、と、短い曲とはいえ3番も出演しているんですよね~。まあ毎年のことですが。。

ただ、それだけに 絶対に舞台上で間違えない、とは心に言い聞かせていましたし、その稽古もしてきたつもりです。薪能にお手伝い頂く能楽師、とくにシテ方は ほぼ全員『嵐山』に出演するためだけに伊豆にお出まし頂いていますし、その方たちは「子ども創作能」や「仕舞」「連管」などの子どもたちの出演の間は楽屋でお待ち頂いています。能の上演の準備をしようにも、シテ(←ぬえ)は子どもたちにつきあって舞台に出ずっぱりで装束さえ着けられない。そのうえこの日は開演が微妙に遅れたことから急遽、子どもたちが出演する番組と、プロによる狂言・能の上演との間に用意してあった休憩時間はナシとなったと告げられました。えっ??その休憩時間は ぬえが装束に着替えるために用意した時間なのに????

能のお後見にはかなり無理を強いる公演スケジュールとなってしまいましたが、後見もプロですね~。イヤな顔ひとつせずにサッと装束を着けて下さいました。いや、前シテが出るには時間的にはむしろ余裕があったほどでしたね。

楽屋で着替えをしているときに見ると、子方はすでに装束が着け終わっていました。天冠や風折烏帽子の具合や紐のきつさ、両手をちゃんと上げることができるかなどを ぬえからも子方に確認して、装束を着け終えた ぬえは幕に向かいます。このとき子方は前シテの間は出番がないのですが、幕の内側で待機するよう言いつけました。こういう場面では大切なことで、出番はまだ先であっても、幕の向こうで前シテが演じている様子を肌で感じて自分の心の中で登場する準備を整えていかせるのです。とくに子方は、前シテの間に楽屋で待機しているのではダメですね。中入で突然真っ暗な幕のそばに連れて行かれ、そしていきなり出番になり、照明が煌々と照り、みんなが注目する中に出てゆく。。それでは平常な心で舞台に出ることはできません。。失敗が起きる原因にもなります。囃子方の音や、シテとワキが問答を交わし、地謡が謡っている様子。幕一枚向こうで行われている舞台を感じながら集中を高めていくのが最も良いと ぬえは最初から子方には幕内で待機させるつもりでした。