ぬえの能楽通信blog

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絢爛豪華な脇能『嵐山』(その6)

2008-08-05 23:57:37 | 能楽
「初同」とは、地謡がその能の中ではじめて謡う小段を言います。小段ですから、能の冒頭にワキが「次第」の囃子で登場し、「次第」謡を謡ったあとに地謡が同じ文句を低吟する「地取」などは「初同」とは呼びません。また「一セイ」など短い拍子に合わない謡も初同とは呼びませんですね。事実上、初同は地謡がはじめて謡う「下歌」あるいは「上歌」の事を指すに限られるようです。

そこで『嵐山』の初同ですが、これがまた脇能としては型破りな構成となっています。

たとえば『高砂』では初同(とくにこの箇所を「四海波」〈しかいなみ〉と呼んでいます)があり、そこでシテは初めて演技らしい動作をします。脇能の初同はほかの多くの能の初同と変わることなく、地謡が描く文章の意味に合わせて定型の型、すなわち正へサシ込、ヒラキ、角トリ、左に廻り常座へ戻りワキに向いてサシ込、ヒラキという手順で舞われ、その中に随時 曲によって作物にサシ込、ヒラキをするとか、右へウケて遠くの景色を眺める、などの型が追加されます。

『高砂』ではその後シテが正中に座し、ほぼ地謡だけによってクリ・サシ・クセという膨大な分量の物語が謡われます。『高砂』ではこのクセの後半にシテが立ち上がって落ち葉を掃く所作が入るのが印象的ですが、ほとんどの脇能ではクセの中もシテは正中に座ったままで、文意の区切りのある箇所で何度かワキと向き合うのみです。クリ・サシ・クセが終わるとロンギとなり、主に地謡がワキの言葉を代弁してシテの素性を尋ね、シテは本当は神の化身だと謡うと、やがてシテは立ち上がり、姿を消した体でツレとともに中入するのです。

このように本格的な構成を持った、何というか「シッカリした」脇能では、初同→クリ→サシ→クセ→ロンギと一連の小段が続いて、ロンギの最後で中入となるのが定型なのです。

ちょっと話はそれますが、この本格的脇能の構成は、本三番目の鬘能とよく構成が似ていますね。能の中で脇能と鬘能はともに重視され、尊重されているので、演出にも意識的に儀式性が追求されているのではないかと思います。

ことにクリの前に「打掛ケ」という演式を用いるのが脇能と鬘能(および小書によって重く扱われる能であれば脇能や鬘能でなくても打掛ケになる例外あり)に限られているのも、儀式性を導入しようとする意識が作者か、あるいは歴史の中で先人にあったのでしょう。ちなみに「打掛ケ」とは、クリの冒頭に大小鼓が打つ手組の名称で、常の能ではこの手組にかかわらず地謡が謡い出すのに、「打掛ケ」の場合は、その手組を打ち終わるまで地謡は待機して、そのあとに謡い出す、というもので、難しい技術がとくに必要になるものではないのですが、囃子の華やかな手組が打たれる間に地謡が無言で待機するあたりに、不思議な緊張感が生まれますし、何というか「儀式」という印象も与えるのではないかと思います。

ところがまた、上記のように脇能と鬘能はともに初同~ロンギという本格的な構成を持つ場合が多いのですが、一方この二つの曲籍の違いによって、演出も異なる場面もあるのです。それがロンギで、脇能のロンギでは初句に打切が入ります。『高砂』であれば「げに名を得たる松が枝の」の初句のあとに囃子の打切があり、そのあと地謡はあらためて「げに名を得たる。。」と返シ句を謡います。これは鬘能には行われません。

で『嵐山』に戻って、この曲では初同は「下歌」ですが、そのあとに「上歌」が続き、この上歌は非常に構成が破格です。どうも下歌らしき部分も含んでいるし、さらに別の上歌と考えた方がよいような箇所もあって、しかもそのような小段の集合体のような構成ですから結果的に長文になった上歌の、その終末部でシテは中入してしまうのです。