ぬえの能楽通信blog

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絢爛豪華な脇能『嵐山』(その16)

2008-08-19 21:48:34 | 能楽
子方ばかりが目立つ『嵐山』ですが、このキリにもちょっと面白い型のお話があります。

まずはトメの両袖を巻き上げる型について。『嵐山』では

地謡「さながらこゝも金の峰の(正先へ出て左袖を巻き上げ)。光も輝く千本の桜(すぐに左へトリ右袖も巻き上げ)。光も輝く千本の桜の(常座へ行き小廻り袖を払いヒラキ))。栄ゆく春こそ久しけれ(右ウケ左袖を返し留拍子)。

と、まず正先へ出て左袖を巻き上げてから、すぐに右に取って左袖を巻き上げて、ここで両袖を巻き上げる型が完成するのですが、じつはこれ、脇能に固有の型なのです。『高砂』でも『養老』でも『白楽天』でも、脇能であればトメには必ず両袖を巻き上げる型があります。反対に、切能では必ず左袖だけを巻き上げて、それから正面にヒラキなどトメの型に続く事になっています(広袖でない装束の場合はもちろん例外になりますが。。)。

次に『嵐山』に特徴的な型について。

地謡「金胎両部の(右ウケ少し出、扇を左手に取り)一足をひつさげ(ヒラキながら左手と左足を上げ)。

というところなんですが、同じ蔵王権現をシテとするもう一つの能。。『国栖』に、同じ型がありながら、そちらでは右足を上げるのです。

蔵王権現は異相の風貌の神ながら、日本で生まれた純粋に和風の神です。役行者が大和国吉野の金峰山(きんぷせん)で修行中に感得したと伝えられ、修験道の本尊とされているそうです。吉野の金峯山寺には本堂である国宝の蔵王堂があって、そこには7mという巨大な金剛蔵王権現像(重文)が三体祀られています。それぞれ釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の権化として仮にとった姿とされているのです。そしてこの三体の蔵王権現像はすべて同じポーズを取っていて、右手に三鈷杵を持ち、そして上げているのは。。右足なんですよね~。能『嵐山』『国栖』のシテの蔵王権現がどちらも片足を上げるのは、蔵王権現の誓約をそのまま表しているわけで、おそらく金峯山寺の金剛蔵王権現像もモチーフとして作者の念頭にあったのかもしれません。

ちなみに金峯山寺の金剛蔵王権現像は秘仏で、ほとんど公開されることがなく、前立ち本尊さえ撮影禁止なのだそうです。画像はどこかにあるまいか。。と探したら。ありました。

→ 蔵王堂と金剛蔵王権現像

ん~、見るからに恐ろしい形相ですが、三体とも同じお顔、同じポーズというのが珍しい。なお『国栖』の後シテは普通は『嵐山』と同じ「大飛出」を掛けるのですが、ときに「不動」の面を掛けることがあります。「不動」の面は不動明王が登場する能『調伏曽我』(宝生・金剛・喜多流の所演曲)専用の面のように言われていますが、熊野権現が登場する『檀風』(やはり前掲の三流で所演)にも使われることがあるそうです。金峯山寺の金剛蔵王権現像の青い顔、憤怒の表情はまさに不動明王によく似ていますね。この仏像のお顔からの連想でしょうか。

がしかし。同じ蔵王権現の役であっても、『嵐山』に「不動」の面を使うことは考えにくかったりします。ちょっと説明が難しいですが、「不動」はやはり切能に向いていて、脇能にはやや似合わない、というか。。

と思ったら、『嵐山』であっても「白頭」の小書が着いた場合には、流儀によっては「不動」で演じることもある、という資料がありました。観世流もそういう選択肢があるのかわかりませんが、必ずしも脇能には「不動」が避けられるワケではないようですが。。