昨日は伊豆の「伊東薪能」に出勤してきました。
この薪能、なんといっても舞台のロケーションが最高に良いのです。仮設舞台が設えられる場所は。。なんと「川の上」(!)。伊東市の中心街を貫いて流れる松川がちょうど相模湾へ注ぎ込む河口の近くの水面の上に、鉄パイプの足場を縦横に組み上げ、そのうえに舞台も、見所も組み立てる、という驚異的な労力がつぎ込まれて舞台が作られます。演者も観客も、川のせせらぎを足下に聞きながらの観能はまことに風情がありますし、そのうえその舞台は「東海館」という昭和初期に建てられた、それはそれは見事な温泉旅館(現在は廃業して建物は市に寄贈され、伊東市の温泉文化を伝える博物館として解放されています)を背景にして演じられるのです。その趣のあること。ま、万が一、地謡が舞台から転落でもしたら、薪能は一瞬にして鮎のつかみ取り大会になってしまう、という危険性もはらんではおりますが。
東海館は松川の石積みの護岸(コンクリートじゃありませんよ)の直上に建てられていて、館内に掲げられているモノクロの写真を見ると、新婚さんがこの護岸のところどころに設けられた石段を下りて、浴衣姿で松川に釣り糸を垂れていたりしています。熱海や伊東、そして ぬえが毎年子ども能の指導をしている大仁など、伊豆の各地はかつて新婚旅行のあこがれの目的地だったんですよねー。現在の新婚旅行はほとんど海外だと思うけれど、なんかとってものんびりしていて、これはこれで捨てがたい風情です。
で。。昨日はご存じの通りあいにくの雨模様のお天気でした。しかも伊豆地方では一時横なぐりの強い雨。残念ながら今年の「伊東薪能」は雨天会場のホールに変更となりました。毎年この薪能ではお世話になっていますが、雨にたたられたのは初めて。昨日の上演曲目が師匠の『隅田川』だったので、ぬえは本当に残念でした。あの風情のある舞台で川風に吹かれながらの『隅田川』はどんなに良かっただろう。
それでもホールで上演された「薪能」は盛況で、『隅田川』の終盤で子方が作物から登場したときにはお客さまは本当に驚かれたようでした。それはそうでしょう。能の冒頭に舞台に据えられた作物の中で子方は1時間半ちかくを黙ってじっと座って出番を待っているのですから。子方が登場した時には、まさか最初から作物の中に子どもがいたとは思わなかったお客さまは、不意をつかれて驚かれる。。『隅田川』はよく舞台に掛けられる曲目だけれど、やはり地方都市では能をご覧になる機会も少ないでしょうから、そのような場面でのお客さまの驚きは地謡に座っていてもよく伝わってきます。こういう時にこそ、あらためてこの曲の演出がとんでもなく優れているのだ、と認識を新たにする事ができます。やっぱり元雅ってすごい人だと思う。。
もっともこの曲の子方は、当然だけれど大変な辛抱役で、稽古の際もともかく「動くな」と命じられて、自分が謡う箇所の直前のシテやワキのセリフだけを教えられて、ただひたすらその文句が聞こえてくるのを作物の中でじっと待っているのです。それなのに舞台上に登場しているのは ほんの2~3分というところでしょう。そのうえこの子方の謡は、節も難関だし、拍子当たりも難しい。。さらにさらに、この子方は、脚本では「十二歳」という設定になっているけれど、小さければ小さいほど「哀れさ」が増して舞台効果が大きいので、幼い子どもが大変な稽古を経てこの役を勤める事になります。そして作物。これも小さいほどその中に子どもが入っているとは想像しにくくなるので、やはりできるだけ小さく作ります。子方は窮屈な作物の中で、照明で外からあぶられて、通気も悪く、蒸し暑い状況のなか、白装束と黒頭を着込んで耐えているのです。
初役としてこの子方を演じる時には緊張もするけれど、何度か勤めてくるうちに「慣れ」も出てくるようで、暑い作物の中で意識が朦朧としてきて、眠くなってくる事もあるようですね。もちろん居眠りなどをしたら後見は気づくので、あとで大目玉をくらう羽目になりますし、謡う箇所を間違えたら、こういう静かな曲ではこっぴどく叱られる事になります。。(T.T)
大雨の薪能。しかし翌日の日曜日は朝には雨もあがり、昼からは快晴になって日差しが暑いほどになりました。今年は川の上の舞台に出演できなかった事は返すがえすも残念。来年は再びあのお舞台で薪能ができるよう、いまから てるてる坊主を作っておこうっと。
それから、この伊東薪能では ぬえの同門のKくんの指導によって地元の子どもたちによる仕舞も披露されました。地謡まで彼らが勤めて、みんなよくがんばりましたね。おめでとう~~ (^。^)