ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その17)

2006-05-07 03:10:54 | 能楽
突き詰めれば「四番目物」の能のように、一人の人間の死がもたらした残された者たちの哀傷、これが『朝長』の主たるテーマでありましょう。前シテもワキも、朝長の人となりの全貌を知っていたわけではなかったけれど、それでも朝長の死は彼らの人生を左右するような大事件でした。朝長は愛されていたのです。

では後場はこの曲の中でどのような位置を占めるのでしょうか。『謡曲大観』(佐成謙太郎 昭和6明治書院)の『朝長』の【概評】欄には次のように書かれています。

 修羅物のワキを後ジテと関係の深い人物とした劇的夢幻能(又は
 夢幻的劇能)には…普通の複式夢幻能よりも興味深い効果を挙げ
 たものが少なくない。本曲もその一で、殊に前段に朝長の傳と
 朝長の自害した宿の女とが、墓所に参り合はせて、その最期の様
 を物語ることとしたのは、誠に面白い趣向である。しかしその女
 を前ジテとして、前段のみで退場せしめ、後ジテにはこの前ジテ
 から回向される朝長の霊を登場せしめるのは、劇的葛藤の対者を
 失つた、空疎な脚色法といはなければならない。なるほど、この
 ワキも後ジテを回向する一人ではあるが、回向の力強さに於て前
 ジテよりも劣つたものと見られ、現にクセの文に於ても、後ジテ
 はワキの回向を問題としないで、前ジテの回向を感謝して成仏の
 喜びを述べているのであるから、ワキが甚だしく蔑視せられて
 ゐるばかりでなく、後ジテは見当外れな科白を述べることとなつ
 てゐるのである。宿の女をツレとして後段まで留まらせて、
 〔俊成忠度〕のやうな形をとるか、でなければ、寧ろ最初から
 これを出さないで、前ジテを普通の夢幻能のやうな里人か何かに
 した方がよかったと思ふ。

。。これはいくらなんでも言い過ぎで、後シテの存在意義そのものを疑ってしまっては能そのものが成立しなくなっちゃう。そんな能は、どんなに前シテの場面がすばらしくても600年の風雪を耐えて現行曲として生き残ることはなかったでしょう。なぜその曲に魅力があるのか言葉にして説明するのが難しい場合があるにせよ、すべての現行曲は後シテまでを見終えて「良い曲だな」と観客や演者がともに思ったからこそ現代にまで生き残ったのだと ぬえは信じたい。

『謡曲大観』の記述で「後ジテはワキの回向を問題としないで、前ジテの回向を感謝して成仏の喜びを述べているのであるから」とあるのは事実誤認だと、ぬえは思います。たしかにクセの文章ではその通りなんだけれども、後シテは登場してすぐにワキの唱えた「観音懺法」に「あらありがたの懺法やな」と謝辞を述べているし、その後もシテは「頼もしや、聞けば妙なる法の御声」「心耳を澄ませる玉文の瑞諷 感応肝に銘ずる折から、あら尊の弔ひやな」「なほなほ御法を講じ給へ」「声を力に頼り来る」「ただ何事もうち捨てて御法を説かせ給へや」とワキへの信頼を述べ、曲の最後には「亡き跡弔ひて賜び給へ」とワキヘ合掌して終わるのですから。

クセの文句にしても、このクセそのものが、ほかならぬワキに向けて語られている文だという点を見逃してはならないでしょう。シテ朝長は自分を回向してくれた僧体のワキに対して謝辞を述べながら、俗体の身でありながら同じように自分を厚く弔ってくれた宿の女長者に対して賛嘆したもので、クセの末尾の「さながら親子の如くに御嘆きあれば弔ひも真に深き志請け喜び申すなり。朝長が後生をも御心安く思し召せ」も、ワキの回向が自分の成仏に強い影響を与えたのは、言うなれば仏に仕える僧の力として「自明」のこととして、さらに女主人の回向の力強さがそれと同等の功力を自分の死後の運命に与えたのだ、とワキを通じて女長者に伝えたかったのだ、と読むべきでしょう。

言うなれば後シテの朝長の霊にしてみれば、幼少の頃から傳として自分を慈しんでくれ、また出家した後には平家の追求の目を逃れながらも自分の終焉の地を訪れて回向してくれるワキの重要性は言うまでもないことで、前シテの女長者が自分を思うその志は、「それに匹敵する」と言っているのです。ここに於いて、後シテの眼から見たワキと前シテは同一視される事になり、そのため、前シテが僧の回向の場に居合わせない事もなんら不合理ではなくなるのではないかと思います。

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