◆シテ(およびツレ・トモ)の登場音楽である「次第」が演奏され、シテ・女ツレ・トモの順に登場します。シテの扮装は面は「深井」、着付けは襟=白二枚(または白・浅黄)、摺箔(白地・銀小模様の類)、無紅唐織、鬘、無紅鬘帯で、右手に水晶数珠、左手に木の葉を持って出ます(今回は木の葉の代わりに水桶を持って出ます)。またツレは面「小面」、着付け=赤襟・摺箔(白地銀小模様の類)、紅入唐織、鬘、紅入鬘帯。トモは襟は萌黄(近来は浅黄)、無地熨斗目の着付けに素袍上下、小さ刀、鎮メ扇で持ち太刀を右手に抱え持って出ます。
◆上記の画像は ぬえ所蔵の「深井」の面。能面師の故・入江美法氏の作です。今回はこれは使わず、師家から同じく「深井」の面を拝借するつもりでおりますが。。
◆「次第」の囃子はごく静かに奏され、登場人物が沈鬱な思いでこの場所にやってきた事を象徴します。
◆宿場の女長者という身分のシテがツレ・トモの二人もの同伴者を伴って登場するのは、非常に仰々しい雰囲気です。まして身分が高いながら市井の女性として太刀持ちを従える、というのは実際にある事なのでしょうか。そうだとすれば太刀持ちは長者のボディガードといった役割の人間でしょうし、捧げ持った太刀は長者の家に伝わる重代の太刀、といった趣なのでしょう。また、シテは自分の名前を名乗りませんが、『平治物語』に登場する大炊であるとしたら、連れている女ツレはその娘で義朝の愛妾だった延寿(後日義朝の後を追って入水自殺を遂げる)なのではないか、という見解があるようです。
◆ところが、岩波講座『能・狂言』(Ⅳ能鑑賞案内)を見たところ、どうやら下掛リの諸流(金春・金剛・喜多流)では前シテは一人で登場し、ツレ・トモは登場しないのだそうです(!)。この場合は登場してすぐに謡われる【次第】【サシ】【下歌】【上歌】はシテ一人で謡うことになるので、この本に解説されているように哀傷の気分がより強くなり、前シテは化身のような趣で、全体的に複式夢幻能のような雰囲気となるでしょう。
◆また上掛リ(観世・宝生流)でもトモの太刀持ちは出さずに、前シテと女ツレの二人だけが登場する事もあります。この場合は身分に上下はありながら女性だけによって朝長の墓がずっと守られていた、という印象になり、戦乱がうち続く殺伐とした世相の中で、ひっそりと弔いを続けるこの女性の哀感が強調されるでしょう。なお ぬえの師家では女ツレを略して前シテが太刀持ちだけを連れて登場した事もありました。
◆ぬえは、どうもこの前シテが、この悲しい場面にこれほどの大人数で登場するのは、前シテにあえて複式夢幻能のような化身としての印象を持たせないように作者が工夫してあるのではないかと思っています。たしかに前シテが一人で登場すれば、その登場の場面では亡くなった朝長を追慕する孤独な女長者の悲しみが強調されるのですが、同時にどうしてもこの前シテが、朝長の死後もここに留まって亡き若武者の後を弔う「現実の」女性としての存在感が薄れてしまって、『巴』の前シテのように「幽霊」に見えてしまうと思うのです。【語リ】は、朝長の死を目前にしながら後に残された現実の人間の悲しみの吐露であるからこそ意味があるので、上掛リのこの登場人物の多さも優れた演出だと考えています。いずれにせよ、大人数で謡うのですから賑やかにならないように工夫しなければなりませんですけれども。。(/_;)
◆一同は舞台に入り、向き合って謡い出します。
【次第】シテ・ツレ「花の跡訪ふ松風や。花の跡訪ふ松風や。雪にも恨みなるらん。
【地取リ】地謡「花の跡訪ふ松風や。雪にも恨みなるらん。
◆ここでシテは正面に向き名宣リ(自己紹介)をします。ツレ・トモはシテへ向いたまま下居し、再び同吟するところで立ち上がり、一同はまた向かい合って謡います。
【サシ】シテ「これは青墓の長者にて候。
シテ・ツレ「それ草の露水の泡。はかなき心のたぐひにも。哀れを知るは習ひなるに。これは殊更思はずも。人の嘆きを身のうへに。かゝる涙の雨とのみ。しをるゝ袖の花薄。穂に出すべき言の葉も。なくばかりなる。ありさまかな。
【下歌】「光の陰を惜しめども。月日の数は程ふりて。
【上歌】「雪の中。春は来にけりうぐひすの。春は来にけりうぐひすの。氷れる涙今ははや。解けても寝ざれば夢にだに御面影の見えもせで。痛はしかりし有様を。思ひ出づるもあさましや。思ひ出づるもあさましや。
◆この上歌の中で少々型があり、シテは謡いながら舞台常座へ行き、ツレとトモは地謡の前に行き着座します(本来の型はツレとトモは地謡の前に立ち並んで、ずっと後の【語リ】の場面までそのまま立っています。この曲の太刀持ちの役が辛抱役と言われる所以ですが、今回は「替エ」の型で上記の通りツレ・トモには早めに着座してもらいます。
→次の記事 『朝長』について(その21=舞台の実際その3)
→前の記事 『朝長』について(その19=舞台の実際その1)
◆上記の画像は ぬえ所蔵の「深井」の面。能面師の故・入江美法氏の作です。今回はこれは使わず、師家から同じく「深井」の面を拝借するつもりでおりますが。。
◆「次第」の囃子はごく静かに奏され、登場人物が沈鬱な思いでこの場所にやってきた事を象徴します。
◆宿場の女長者という身分のシテがツレ・トモの二人もの同伴者を伴って登場するのは、非常に仰々しい雰囲気です。まして身分が高いながら市井の女性として太刀持ちを従える、というのは実際にある事なのでしょうか。そうだとすれば太刀持ちは長者のボディガードといった役割の人間でしょうし、捧げ持った太刀は長者の家に伝わる重代の太刀、といった趣なのでしょう。また、シテは自分の名前を名乗りませんが、『平治物語』に登場する大炊であるとしたら、連れている女ツレはその娘で義朝の愛妾だった延寿(後日義朝の後を追って入水自殺を遂げる)なのではないか、という見解があるようです。
◆ところが、岩波講座『能・狂言』(Ⅳ能鑑賞案内)を見たところ、どうやら下掛リの諸流(金春・金剛・喜多流)では前シテは一人で登場し、ツレ・トモは登場しないのだそうです(!)。この場合は登場してすぐに謡われる【次第】【サシ】【下歌】【上歌】はシテ一人で謡うことになるので、この本に解説されているように哀傷の気分がより強くなり、前シテは化身のような趣で、全体的に複式夢幻能のような雰囲気となるでしょう。
◆また上掛リ(観世・宝生流)でもトモの太刀持ちは出さずに、前シテと女ツレの二人だけが登場する事もあります。この場合は身分に上下はありながら女性だけによって朝長の墓がずっと守られていた、という印象になり、戦乱がうち続く殺伐とした世相の中で、ひっそりと弔いを続けるこの女性の哀感が強調されるでしょう。なお ぬえの師家では女ツレを略して前シテが太刀持ちだけを連れて登場した事もありました。
◆ぬえは、どうもこの前シテが、この悲しい場面にこれほどの大人数で登場するのは、前シテにあえて複式夢幻能のような化身としての印象を持たせないように作者が工夫してあるのではないかと思っています。たしかに前シテが一人で登場すれば、その登場の場面では亡くなった朝長を追慕する孤独な女長者の悲しみが強調されるのですが、同時にどうしてもこの前シテが、朝長の死後もここに留まって亡き若武者の後を弔う「現実の」女性としての存在感が薄れてしまって、『巴』の前シテのように「幽霊」に見えてしまうと思うのです。【語リ】は、朝長の死を目前にしながら後に残された現実の人間の悲しみの吐露であるからこそ意味があるので、上掛リのこの登場人物の多さも優れた演出だと考えています。いずれにせよ、大人数で謡うのですから賑やかにならないように工夫しなければなりませんですけれども。。(/_;)
◆一同は舞台に入り、向き合って謡い出します。
【次第】シテ・ツレ「花の跡訪ふ松風や。花の跡訪ふ松風や。雪にも恨みなるらん。
【地取リ】地謡「花の跡訪ふ松風や。雪にも恨みなるらん。
◆ここでシテは正面に向き名宣リ(自己紹介)をします。ツレ・トモはシテへ向いたまま下居し、再び同吟するところで立ち上がり、一同はまた向かい合って謡います。
【サシ】シテ「これは青墓の長者にて候。
シテ・ツレ「それ草の露水の泡。はかなき心のたぐひにも。哀れを知るは習ひなるに。これは殊更思はずも。人の嘆きを身のうへに。かゝる涙の雨とのみ。しをるゝ袖の花薄。穂に出すべき言の葉も。なくばかりなる。ありさまかな。
【下歌】「光の陰を惜しめども。月日の数は程ふりて。
【上歌】「雪の中。春は来にけりうぐひすの。春は来にけりうぐひすの。氷れる涙今ははや。解けても寝ざれば夢にだに御面影の見えもせで。痛はしかりし有様を。思ひ出づるもあさましや。思ひ出づるもあさましや。
◆この上歌の中で少々型があり、シテは謡いながら舞台常座へ行き、ツレとトモは地謡の前に行き着座します(本来の型はツレとトモは地謡の前に立ち並んで、ずっと後の【語リ】の場面までそのまま立っています。この曲の太刀持ちの役が辛抱役と言われる所以ですが、今回は「替エ」の型で上記の通りツレ・トモには早めに着座してもらいます。
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