ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その23=舞台の実際その5)

2006-05-18 03:00:07 | 能楽
昨日は催しの申合の終了後に地謡の方々にもお手伝い願って『朝長』の稽古をしました。と言っても師家の舞台の空き時間を狙って稽古をするので、昨日できたのはようやく前場だけ。。

ぬえは以前から地謡にも参加して頂いて稽古をしたい、と希望を出していたのですが、地謡のみなさんもなかなか忙しいので、これがまた、時間を合わせてみんなで集合して稽古する、という機会がまったく取れない。。申合のあとに稽古をする、というのは、必ず同門のみなさんが集まる機会なので名案でしたが、今度はみんなが集まった師家のお舞台のスケジュールが混み合っていて。。(/_;)

しかし、昨日の稽古はやってみて良かった! いろいろと示唆に富んだ稽古となりました。分けても印象的だったのは、ある先輩から「もう少し歳を取った方がいいんじゃないか?」というものでした。「歳をとる」。。その先輩の言によれば、それまでの舞台経験から『朝長』の前シテの女長者はずっと年輩の女性、という印象をお持ちだそうで、おそらくその経験値から考えて ぬえの謡を聞いて違和感を持たれたのでしょう。

ぬえは『朝長』の前シテの年齢について、漠然としか考えを持っていなかったので、この指摘は新鮮でした。前シテが年輩なのかどうか。。『平治物語』の中の大炊が前シテであるとすれば、その娘・延寿と義朝との間の子・夜叉御前がすでに十歳なのですから、ある程度の年齢である事は確かでしょう。しかし、先輩が ぬえに言ったのはそういう史実の問題ではなくて、『朝長』の前シテは、もっとずっと沈潜した、ある種の諦観のような雰囲気を漂わせた演じ方をするべきなのではないか、という事なのだと思います。

実際のところ、たとえばこの前シテの演技の一番の眼目である「語リ」は、淡々と語る演者が多いのもまた事実。でも、ぬえはまた「そういう演じ方をしなかった」演者の『朝長』も拝見していて、それに非常に共感を持っていたりするのです。

いろいろな演者がいて、それぞれの演じ方を工夫する。。でも能が伝統芸能である以上、「創作」である事はよほどの大家ででもない限り、簡単に許される事ではないでしょう。では ぬえが書生時代に師匠から『朝長』の謡をどう習ったかというと。。最初の1~2句を謡っただけで散々に直されました。(~~;) そしてそのまま稽古はどうにかこうにか進行して行って。。「語リ」の部分が終わったとき、師匠が ぬえに言ったひと言は。。「まあ、難しいからな、この語リは」。。見捨てられた。。(;_:)

当時二十歳そこそこの ぬえには『朝長』の前シテの稽古は無理だったのです。だからこの曲について、師伝というものが ぬえの中には確固としたものがない。ぬえにとって『朝長』という曲はそういう、なんと言うかトラウマのようなものがつきまとっている曲でして、今回のこの曲への挑戦は、その克服もひそかに意図しています。そのためにずっと以前から他門の大先輩の舞台があればほとんど欠かさず参上して拝見しましたし、昨年暮れから今年の春にかけて、ぬえの自分の上演が決まってからの『朝長』の上演には、演技を「盗み取る」目的で拝見していました。

。。今回 ぬえがどのように「語リ」を処理するつもりなのか。。それは当日のお楽しみにしたいと存じます。舞台人がこれから勤める曲について事前に「このようなつもりで演じる」と書く事は、「そのように見てください」と観客に先入観を吹き込んでしまう事に他ならないので。。

ただ、昨日の稽古で先輩から頂戴した「歳を取る」というご意見は ぬえにはなかった発想なので、これからまた考えていかなければならない問題ですし、来週には再度、師匠に稽古をつけて頂ける事にもなっているので、その時の師匠の指導もあります。それやこれや、ぬえが考えた結果を舞台に出してみたいと考えています。その「考えている事」を舞台に出せる技術があるかどうか、 ぬえに求められるのはそこのところなのでしょう。。(;_:)

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