余談ですが、『朝長』の前シテの女長者が前場だけで退場してしまって後シテの回向の場に居合わせない、という事について、ぬえはあまり不都合を感じていません。
このブログで『鵜飼』について考察した際に「護法型」と言われる一連の能について言及しましたが、『朝長』も脚本上はその「護法型」の能の一つなのではないか、とも疑われる内容です。「護法型」とはすなわち主人公が事件の当事者か、またはそのごく身近な人物で、能の前半ではその主人公が事件を中心にして事件が起こるものの、後半では超自然的な力を持ったもう一人の主人公が登場して、閉塞する事件を一挙に救済する、という内容の能で、前半の主人公は後半にも居残って救済を受けるため一場物の能となります。能としては古い形と言われ、現行曲に残る「護法」型の能と考えられている『鵜飼』『昭君』『養老』などは近世以後の「シテ至上主義」の下では前後のシテが別人であることは許容されないため、脚本上は不合理ではあっても前半の主人公が中入して装束を改め、後半の主人公も兼ねるよう改作されたと考えられています。
『朝長』も後場に前シテの女長者が居残ってワキとともに朝長の霊と邂逅する方が理屈には合っているのかも知れませんが、ぬえは『朝長』は「護法型」の能ではなく、この能が作られた当初から現在のような形であったのではないかと思っていて、朝長の死を見届けた事によって心に深い傷を負った女長者が居残っていない方が演出上の効果が高いのではないか、と考えています。
前場の中入で女長者が召し使う者にワキ僧の世話を命じて去る事は、彼女が僧の回向には参加せずに日常の生活に戻っていく事を意味し、すなわちワキ僧と会ったその日が彼女にとって特別の日ではなかった、という事を意味します。彼女にとって朝長の墓に「七日七日に参り」跡を弔うことはすでに日常なのであって、朝長の「とりわきたる御馴染」であるワキ僧も彼女の心を動かして、生前の朝長の有様を問うなどの行動を起こさせません。いわば彼女は朝長の死そのものに呪縛された存在で、その死を見届けた事によって彼女が受けた心の傷のために、彼女はこの場を離れられずに朝長の墓を守る事に生涯を費やしているのです。そこがこの前シテの女長者の哀れなはかなさであるし、絶望的な美しさなのではないでしょうか。
さてそこで ぬえは後シテが登場する意義を見いだすのです。この曲の前場に登場する前シテの女長者とワキ僧は、ともに朝長への追想という点で結びつき、その死によって深い心の傷を受けた者同士なのです。後場で朝長の霊が現れてワキの回向によって成仏できる事を謝す、という形式は、ほかの多くの複式夢幻能と共通するものなのですが、前シテとワキのこの立場が、ほかの一般的な複式夢幻能と一線を画している舞台設定となっています。すなわち、後シテが登場して、ワキの回向やとりわけ女長者の弔いが冥土に届き、成仏する事が出来る、と告げる事は、朝長が救われると同時に、ワキや前シテが心に負った傷を癒す事に繋がっているのではないか、と思うのです。
とすれば、『朝長』は死者としての後シテが救済される立場でありながら、同時にワキ(や前シテをも)救済する立場でもある、という非常に特異な能だといえるでしょう。。そこで ぬえは、『朝長』の後シテの型の「少なさ」も、そんなところに理由があるのではないか、と気づきました。ぬえがこのブログで『朝長』について書いた最初の稿でも言ったのですが、この後シテは、どうも型が少ないのです。普通の修羅能と比べて、あちらこちらで一つずつ型が少ない印象です。
前シテは「哀傷」であるし、何と言っても前半の全体が「弔い」で終始しているのですから型が少ないのは当然でしょう。ところが、回向を受けて成仏を謝するべき若い後シテが颯爽、溌剌と登場して舞台を縦横に駆使して喜びを示すのではない事は、稽古を始めたばかりの ぬえにはとっても不審でした。しかし、上記のように考えてくると、朝長は一人自分が成仏できる事を喜ぶばかりにはとどまらない存在なのだと ぬえは感じています。なんだか説明は難しいですが、この後シテは凛々しい若武者でありながら、もっとずっと精神的な部分が重要な役なのだと思います。そして、そんな役であるからこそ動きが制約してあるのではないか…そう考えると作者…というかこの能を発展させてきた先人の心を見る思いです。
さて次回から『朝長』の本文に沿って型付けの解説をしてみようと思います。
ご鑑賞の参考になるかも。。お待ちどうさまでした~ m(__)m
→次の記事 『朝長』について(その19=舞台の実際その1)
→前の記事 『朝長』について(その17)
→保元の乱 『朝長』について(その1=朝長って。。誰?)
→平治の乱 『朝長』について(その5=平治の乱勃発。。朝長登場!)
このブログで『鵜飼』について考察した際に「護法型」と言われる一連の能について言及しましたが、『朝長』も脚本上はその「護法型」の能の一つなのではないか、とも疑われる内容です。「護法型」とはすなわち主人公が事件の当事者か、またはそのごく身近な人物で、能の前半ではその主人公が事件を中心にして事件が起こるものの、後半では超自然的な力を持ったもう一人の主人公が登場して、閉塞する事件を一挙に救済する、という内容の能で、前半の主人公は後半にも居残って救済を受けるため一場物の能となります。能としては古い形と言われ、現行曲に残る「護法」型の能と考えられている『鵜飼』『昭君』『養老』などは近世以後の「シテ至上主義」の下では前後のシテが別人であることは許容されないため、脚本上は不合理ではあっても前半の主人公が中入して装束を改め、後半の主人公も兼ねるよう改作されたと考えられています。
『朝長』も後場に前シテの女長者が居残ってワキとともに朝長の霊と邂逅する方が理屈には合っているのかも知れませんが、ぬえは『朝長』は「護法型」の能ではなく、この能が作られた当初から現在のような形であったのではないかと思っていて、朝長の死を見届けた事によって心に深い傷を負った女長者が居残っていない方が演出上の効果が高いのではないか、と考えています。
前場の中入で女長者が召し使う者にワキ僧の世話を命じて去る事は、彼女が僧の回向には参加せずに日常の生活に戻っていく事を意味し、すなわちワキ僧と会ったその日が彼女にとって特別の日ではなかった、という事を意味します。彼女にとって朝長の墓に「七日七日に参り」跡を弔うことはすでに日常なのであって、朝長の「とりわきたる御馴染」であるワキ僧も彼女の心を動かして、生前の朝長の有様を問うなどの行動を起こさせません。いわば彼女は朝長の死そのものに呪縛された存在で、その死を見届けた事によって彼女が受けた心の傷のために、彼女はこの場を離れられずに朝長の墓を守る事に生涯を費やしているのです。そこがこの前シテの女長者の哀れなはかなさであるし、絶望的な美しさなのではないでしょうか。
さてそこで ぬえは後シテが登場する意義を見いだすのです。この曲の前場に登場する前シテの女長者とワキ僧は、ともに朝長への追想という点で結びつき、その死によって深い心の傷を受けた者同士なのです。後場で朝長の霊が現れてワキの回向によって成仏できる事を謝す、という形式は、ほかの多くの複式夢幻能と共通するものなのですが、前シテとワキのこの立場が、ほかの一般的な複式夢幻能と一線を画している舞台設定となっています。すなわち、後シテが登場して、ワキの回向やとりわけ女長者の弔いが冥土に届き、成仏する事が出来る、と告げる事は、朝長が救われると同時に、ワキや前シテが心に負った傷を癒す事に繋がっているのではないか、と思うのです。
とすれば、『朝長』は死者としての後シテが救済される立場でありながら、同時にワキ(や前シテをも)救済する立場でもある、という非常に特異な能だといえるでしょう。。そこで ぬえは、『朝長』の後シテの型の「少なさ」も、そんなところに理由があるのではないか、と気づきました。ぬえがこのブログで『朝長』について書いた最初の稿でも言ったのですが、この後シテは、どうも型が少ないのです。普通の修羅能と比べて、あちらこちらで一つずつ型が少ない印象です。
前シテは「哀傷」であるし、何と言っても前半の全体が「弔い」で終始しているのですから型が少ないのは当然でしょう。ところが、回向を受けて成仏を謝するべき若い後シテが颯爽、溌剌と登場して舞台を縦横に駆使して喜びを示すのではない事は、稽古を始めたばかりの ぬえにはとっても不審でした。しかし、上記のように考えてくると、朝長は一人自分が成仏できる事を喜ぶばかりにはとどまらない存在なのだと ぬえは感じています。なんだか説明は難しいですが、この後シテは凛々しい若武者でありながら、もっとずっと精神的な部分が重要な役なのだと思います。そして、そんな役であるからこそ動きが制約してあるのではないか…そう考えると作者…というかこの能を発展させてきた先人の心を見る思いです。
さて次回から『朝長』の本文に沿って型付けの解説をしてみようと思います。
ご鑑賞の参考になるかも。。お待ちどうさまでした~ m(__)m
→次の記事 『朝長』について(その19=舞台の実際その1)
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