のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

花なんかやめたら?

2018年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から地区の花植えで、雷が飛び交いました。

 花の色が違うだの、数が少ないだの、種類が違うだの。毎年のことなんですが、町から支給されるもんだからなんとしてみようもない。

 一応、公共の場に植える花となっていますが、昨年は花が余ったのでプランターに植えて、よく目につきそうな個人宅の前にも置かせてもらったのですが、町の規約に反すると言い出す人がいたので、そんじゃぁ今年は少なくしようでねぇの、と、数を減らしました。

 地域美化より地域不和の元なので、こんなバカな行事はなくした方が良いのでは?と言う意見もチラホラ出ています。

 一昨年の春、京都の友人宅に泊まった朝、小路を散歩していると花売りのおばさんがいて、町家から出てきたお婆さんが一束買うと路地角の祠に花を供えて柏手を打って礼拝。この心のゆとりに敬服しました。

 やる気満々はありがたいんだけど、そのたびに悶着起こしているようでは成熟度が足りない。霜枯れた年齢相応の味の出し方があると思うのですが、いつまでも「花」じゃあるまい。

 そんなわけでバス停の小屋のまわりに植える予定だったシバザクラは有志で植えることにしました。土が足りないので文字通り泥の泥棒をしてきたのですが、今度は量が多かったので、スイセンの球根を持っていると言う人がいたので、スイセンならトイレでしょう!と、文学的判断で公衆トイレの裏に泥を入れました。

 そんなことをしているうちにいい時間になったので「あとはかあちゃんと一緒に植えとくから」と、それじゃぁ求婚した時のことなんぞを思い出しながら球根を植えてください!と散会しました。

 天気が崩れる前に仕事をすすめておきたいので、午後からは丸太運びに行ってきました。

 午後3時半ごろ携帯がけたたましく鳴って地震発生の知らせ。県の南部で発生した地震で旧赤城村あたりで震度5弱だったようですが、こちらは全く揺れを感じませんでした。

 ワールドカップではドイツに勝ったメキシコで、人々が喚起して飛び跳ねたために小規模な地震が観測されたようです。アステカのナマズ恐るべし。

 あちこちにマタタビの葉っぱが目立つようになりました樹木に巻き付くつる性植物なので、こんなのが生えていると山が荒れている証拠です。昔は山林の手入れが行き届いていたので人後近くでは見かけないものでしたが、夏休みの頃になると実がつくので、ちょっと山の中に入って実を取って来ては猫に与えて遊んだもんです。

コメント
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