のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

大阪万博

2023年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 風呂で大阪万博の話をしました。このおやじさんは当時中学3年生で、修学旅行で大阪万博を見てきた人です。電電公社だったかのパビリオンで、電線がない電話で自分の家に電話をかけたときの感動が今でも忘れられないと言ってました。

 今や電線のある電話や、ダイヤル式の電話なんて若い人たちにはわからない時代。当時のこの辺りはその電話だってダイヤル式じゃなくて右側の発電のレバーくるくる回して、交換手が出て「●番お願いします」なんて時代で、村の中だって電話局が二つあって市外通話になることもありました。ダイヤル式になったのは昭和47年の4月1日からで、あんときゃ感動モノでしたよ。ちょうど我が家は祖母の葬儀の最中で、あわただしい春休みの時でした。

 「電話を持ち歩くようになるなんて夢に思わなかったなぁ。」と、言ってましたが、今がそんな「未来」なんですね。

 この修学旅行で村の中学生が止まった宿が琵琶湖の近くの雄琴温泉。いかがわしいお風呂がなかった時代は修学旅行で使われていたんですね。万博が終わって閑散とした温泉街を立て直すために歓楽街になって行ったようですが、後にこのおやじさんも消防団の旅行で何回も雄琴温泉に行って修学旅行を思い出したそうです。

 各国のパビリオンよりも企業のパビリオンの方が面白かったそうで、外国なんてどうせ行くこともないけれど、企業パビリオンで見られる技術はもしかしたら自分の手の届くところにやってくるかもしれない。と期待が持てたそうです。実際、実現通り越してその先を走っているのが現状でしょうが、「そんなに昔のことじゃなかったよなぁ。」と、50年ちょっと前を振り返っています。

 昭和39年の東京オリンピックの時、このおやじさんの家ではテレビを買って画期的な時代を幕開けしたのですが、何かと問題が多かった令和の東京オリンピックの時、テレビはすたれる時代になり我が家ではすでにテレビを持たず、ネット配信も含めて協議は全く見なかった。博覧会と名がつくところにも足を運んだことがない。混雑嫌いなので。

 このおやじさんは長久手の戦いのあたりで開催された愛・地球博にも行っているんですね。名古屋のいかがわしいお風呂があるあたりに泊まりながら。「今度の大阪万博はどうなるかなぁ。」と言ってましたが、その先の下心の方がやけに目に付く。

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