段階的に緊急事態から規制が緩んでいくようですが、この週末は少しは人が外に出てくるのかな?人は出てこないが今朝は熊が出ました。
家の庭に植えてあったプラムの木が巨大化しすぎたので伐採しました。白いきれいな花が咲くので、花を楽しんでから切ろうと計画していたのですが花が終わって時間がたちすぎたもんだから葉っぱが出てしまい重くなってしまった。
切り込みを入れてからロープで引っ張って倒しましたが、冬のうちにやっておけばよかった。
雨が降て来たので作業は倒しただけで終了し、後日玉切りして薪にします。
雨で作業をやめてスーパーに買い出しに行きましたが、なんか随分品物がなかったですね。パスタ、粉類、バターなど棚が閑散としてました。輸入品に頼っている食材が入ってこないんでしょうね。
卵がおひとり様一パック限定で93円。
先週、酪農家に手作りバターをひと瓶もらったのですが、まさか瓶に入れて持ってくるとは思わなかったので、昨年桜の木で作ったバターナイフでは歯が立たない。
トーストを焼くこともあまりないので、今日はバターを使った夕食にしよう。と思いつきました。
卵安売り、冷蔵庫には昨夜炊いたご飯があるので、バターライスにしてオムライスを作ろう!と、ケチャップを買ってきました。
が、家に戻って棚の中に未開封のケチャップ発見!先週買ったのを忘れてた。
まぁ、スペインが今あのざまですし、そこからの輸入に頼っているトマトピューレだっていつ入ってこなくなるかわからないから、ケチャップが余分にあっても問題ないか。
私が小学生の頃はデルモンテのケチャップ用のトマトをこの一帯で作ってました。いつの間にか輸入製品にとって代わって、トマトケチャップの原材料はほぼ100パーセント輸入物になってしまったようです。
国産のありがたみがこの分野に来るのだろうか?
食材の買出しにスーパーに行きましたが、マヨネーズやケチャップなんかの容器がほとんどビン入りだったのに驚きました。
固いプラ容器に入っているのはありましたが、日本のようなポリチューブに入っているのは皆無でした。
味も日本のものとは違っていたので、ニュージャージーのヤオハンに行った時に日本のキューピーマヨネーズを買って来ました。
同僚のアメリカ人が遊びに来た時にその容器を見て「こんなの初めて見た」とちょっと驚いていたので「日本ではこれが普通なんだよ」と言っておきました。
あれから35年くらい経ちましたが、アメリカでは今でもポリチューブ入りのマヨネーズはないみたいです。
ヘインツのケチャップはプラスチック製の瓶の容器ですが、かつてのガラス容器の名残がありますね。
こちらにはデルモンテの工場があり、そこで地元産トマトを使ってケチャップを作っていました。濃縮還元技術を持っている工場ですが、この技術者がコンニャク加工工場に引き抜けれて、コンニャクからセルアミドをひねり出す仕事をしています。化粧品や人工皮膚などに使われるみたいです。
そういえばUSAのマヨネーズは広口のガラス瓶でスプーンですくいだしてましたね。
我が家は鶏飼ってたので、卵黄と酢でマヨネーズ作って、白身は玉子焼き(明石焼き)なんか作りました。
キューピーマヨネーズに星型の模様が出る口が出てきた時は画期的でした。昭和45-6年ごろかな?あれ以来変化していない。
萌ゆりんも英語ペラペラの方だったんですねぇ〜!
熊さんだけでなく、萌ゆりんにも英語の動画等、共有できますね〜🎵
嬉しや、嬉しや 🎵
ニュージャージーのヤオハンは、
今ではミツワに変わってしまってます。
噂では在日韓国人の経営に変わったと言われていましたが・・・。
もともとヤオハンの社員だった人らしいです。
確かに以前に比べて、すんごい韓国商品の品揃えが豊富になっていました・・・
昔はわざわざニュージャージーまで足を運んで買い物に行ったものですが・・・自然に行かなくなっていました。日経の大型スーパーは、あそこだけなんですがね・・・
でもマンハッタンに小ぶりの商店がありますので、そこで用は足りてました。
ニューヨークで商売をしている日経人達は、日本人同士での皮肉な争い事も多く・・・
小さい池の中で争っている感じ。
具体的に店名は言えませんが・・・
日本料理店料理長が、客間の座敷で日本刀で首を切って自殺したなど・・・・
え?江戸時代?
みたいな事件もあったり。
あれは自殺ではないと地元の日系人は誰でも知っています。
でも、日本人が殺されたところでNYPは動きません。
調書に自殺と明記されてしまえば、それで終わり。
ちゃん、ちゃん。
また・・・数年間でマンハッタンに数店舗を開店させたやり手某食料品店の店主の家が火事で焼死体でオーナーが発見されたりとかも・・・。
これも・・・怪しい話でした。
会社の内部規定で、係長に昇進するためにはTOEIC600点、課長だと730点が最低ラインでした。
アメリカに2回出張(3ヶ月半と3ヶ月)がありましたが、一回目に行った時は350点でした。
戻ってきてTOEICを受けなおしたら550点で、おお、上がっとるやんと思いましたが、2回目の出張から帰ったら505点で、下がっとるやんかと課長に怒られました。
で、それでも係長になったのは下が詰まってたからだと思います。
管理職になるのを逃げ回ってたんですけど、35歳で逃げ切れなくなってしまいました。
英語って、日常会話程度なら辞書と旅行英会話みたいなのがあればなんとかなります。
困ったのは仕事の話で、特に電話がかかってきた時が最悪です。
それでも男性は「ゆっくり喋ってくれ」と言うとそれなりの対応をしてくれるのですが、相手が女性だとたちまちいつもの速さに戻るので何度も聞き返したりして、最後には隣にいる同僚に代わってもらったり。
なので英語はぺらぺらどころか「ぺ」くらいなんですわ。
ヤオハンには月一くらい買出しに行ってました。
ニューヨークから70kmくらい北のポーキプシーというところでしたから、ホテルからヤオハンまでは100kmくらいありました。
特にまともな米(田牧米というカリフォルニア米)はここしか売ってなかったので、しかたがありません。
日本人は米がまずいと働けませんからね。
事件といえば、最初に泊まったモーテルのオーナーが強盗に射殺されたってのを2回目の出張の時に聞きました。
アメリカって怖えーと思ったものでした。
昭和の時代、小田原のヤオハンに行ったことがあります。「おしん」のモデルだって。と見てきましたが、バブルのあたりから突然世界展開しだして、瞬く間に収束してしまった。
ヒューストンにはヤオハンなかったけど、ステーキ屋のベニハナはあったので、日本人や日系人の集まりによく利用されてました。
そういえばコリアン経営の日本料理屋もあったな。料理がゴマ油っぽい。
そういえばおそロシアの日本料理屋もコリアンがやっていた。連中どこにでもやってきて他人のふんどしで相撲を取る。