のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

移民

2006年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 長い道を  ♪ここをクリック♪(MP3の音楽が出ます)

 1. 小鈴をつけたトロイカに乗って走っていった 遠くには灯火が瞬いていた ああ、もし今あなたたちの後を追って行くことができるのなら 心の憂さを吹き払うことができるのに! (*)「長い道を、月明かりの夜に 遠く響きわたる歌と共に、  昔の7弦ギターの歌と共に、毎夜私をこんなにも苦しめた歌と共に(*)

 2. だから、いたずらに我々は歌い むだに夜ごとに遊びに金をつぎ込んだ もし、昔の事を断ち切ることができたなら これらの夜も消えうせただろう! (*)繰り替えし

 3. 祖国のはるかかなたへは新しい道を作って 今から我々は行かなければならない運命だ! 小鈴をつけたトロイカに乗って走っていったのは いまはもう遠い昔のことだ! (*)繰り替えし

 西側では1968年”悲しき天使”(Those Were the Days)という名前でメリー・ポプキンがアップルレコードから出してヒットした歌です。ビートルズのポール・マッカートニーがプロデュースしたレコードでした。日本ではピンキーとキラーズの「恋の季節」とヒットチャートでデットヒートを繰り広げた曲です。

 原作はロシアの”Дорогой длинною”という曲で、1920年代にロシアからの移民たちが歌い継いでいたものです。

 1920年と言う時代を想像すれば帝政ロシアがソビエトに変わった時代で、ロシアから欧米に移民する人々が多かった時代です。歌詞の内容からも、こうした移民の人たちがどんな思いで歌い継いだ由縁もわかることかと思います。

 強権体制で弾圧が起こった時代や、社会制度が変わる時代に国外へ移住する移民が増える時代があり、近くは東側諸国の体制崩壊前後の時代がありました。

 1970年代から80年代にかけてはベトナムのボートピープルが日本でも問題になりました。

060422  日本は”難民法”という法律があっても実質上機能していないので、亡命者や難民を受け付けませんが、2000年も遡ればアジア各地からのボートピープルが押し寄せてきた土地です。

 日本の基本的な言語の文法がウラルアルタイ語族ですから、中国とは文法がまったく異なります。

 言語は元々持っていた文法によそから来たボキャブラリーが加わって成り立つので、言語から中国とは別の人種と言うこともわかりますが、遺伝子的にも蒙古斑を持つ日本人と持たない中国人と異なっています。

06080526 この夏の祇園祭のパレードに参加した中国の人たち。浴衣を着てもどこか日本人と違います。

 ちなみに世に言うチャイナドレスは漢民族の衣装ではなく、清朝を作った騎馬民族の満州族の衣装。サイドに深く入ったスリットは皆様の目を楽しませるためではなく、馬に乗るときに足が広げられるように切れ目が入っています。

061212e  襟を肩のところで合わせるのは元を作ったモンゴルのデールからの名残で、風が強く寒いモンゴルでは肩まで襟を深くすると温かさが違います。

 流行の洋服姿にしてもどこかしら日本人とは違う中国人です。

 日本の和服を「呉服」などといいますが、呉服の「呉」は上海の西側にあった呉の国で、そこから入ってきた服がモデルになっているのではないでしょうか?

 朝鮮半島のことを「呉」と言うこともあり、つまりは外国そのものが「呉」と言う味方も出来なくはありませんが、私の住む群馬県は「くれま」と言う言葉が語源だそうで、呉から来た人たちがたくさん住み着いた土地らしいです。どうもこの「呉」の人たちは朝鮮半島から来たらしいです。

 私の姓の「こぐれ」も群馬県には多い姓ですが、韓国人の友人が言うには高句麗をハングル語で「コグリョ」というので、それが由来ではないかと言われています。

 山脈をはさんで日本海側は越後の国。越前、越中、越後と「越」の国が並ぶ北陸。中の悪いもの同士が一緒になることを「呉越同舟」と言いますが、新潟の田中角栄と群馬の福田赳夫の仲が悪かったことは有名。

漢和辞典をひもといていていただけるとお分かりでしょうが、漢字の音読みには呉音漢音の二種類があります。

 呉は今の上海から蘇州あたりに開けた国で、7世紀以前に日本に持ち込まれた漢字の読み方は呉音だといわれています。呉音は当時のこの地方の方言的な発音だったようです。日本に漢字が来たのは朝鮮半島の百済からだといわれていますので、百済の読み方が呉の影響を受けたものだったのかもしれません。

 8世紀中ごろには唐の長安や洛陽の発音の漢音が日本に伝えられます。そのころ、漢音が正しい漢字の読み方とされて、天皇家から勅令が出ます。呉音を憶えて唐にわたった遣唐使達が発音が通じないもので呉音の読み方が違うのだろうと、唐の読み方を持ち帰ったとも言われています。

 今ではありませんが、天皇家の出す勅令は漢音読みで読まなければなりません。戦前なら教育勅語などというものがあって「兄弟」を「ケイテイ」と読んだり、「上下」を「ショウカ」などと、日常なじみのない読み方をしました。一方で、神事としての天皇家の祝詞は全て純日本語の訓読みにて読まれます。

 呉音は漢音が日本に来る前にすでに広まってしまった読み方で、漢音伝来以前に日本に伝わっていた仏教関係の言葉はおおむね呉音で読まれるようです。犯行声明などの「声明」は(セイメイ)と読まれますが、仏教では(ショウミョウ)と呉音で読まれます。スターを意味する「明星」なら漢音で(メイセイ)、呉音で(ミョウジョウ)。

 抹香臭いというのもへんですが、仏教風の読み方は呉音が多いので、「石(訓読みならイシ)」なら、芭蕉の俳句で有名な「立石寺(リッシャクジ)」のように(シャク)と読みます。磁石もそうですね。一方、漢音なら(セキ)と読みます。「暦(コヨミ)」なら「延暦寺(エンリャクジ)」のように(リャク)と読むのが呉音。「還暦(カンレキ)」などのように(レキ)と読むのが漢音です。

 仏教用語ではなぜか「上人(ショウニン)」が漢音です。面白いところでは「」で「怨霊(オンリョウ)」は呉音、「幽霊(ユウレイ)」は漢音です。

 音読みと訓読みが混ざった読み方を重箱読みなどと言いますが、音読みにもマナーがあって、呉音で始まった複合語呉音で読む、漢音で始まった単語はそれで読むのだそうですが、いちいち考えてはいられません。「言語(ゲンゴ)」は呉音で読めば「ゲンギョ」、漢音なら「ゴンゴ」になってしまうので、呉漢のあわせ読みですね。「美男(ビダン)」も実はそうでして、呉音なら(ミナン)、漢音なら(ビナン)。音声(オンセイ)も仏教では大音声(ダイオンジョウ)などという言葉上がるように呉音ではかように読みますが、漢音では(インセイ)と読むのであわせ読みですね。

 難しく考えるとわれわれ日本人は漢字の読み方一つにしても訓読みのほかに呉音・漢音・他の音読みを駆使しています。その上地名特有の読み方。さらに人名用の読み方。追い討ちをかけるように最近の子供達の名前のように、言われてみればそう読めないこともないけどいくらなんでも無理があるんじゃないかいという読み方。柔軟な思考を持った民族なのかもしれません。

 中国人なら漢字は大丈夫だろうと甘く見てると目を回すことになります。余談の余談ですが、「丈夫」というのは中国語では「亭主関白」という意味です。「大丈夫」は暴君のような夫になってしまいます。それを知ってか、日本語を勉強している中国人は「大丈夫」の意味は面白エピソードとして憶えるのでよく使います。彼らの言う「ダイジョウブ」が大丈夫だったためしがあんまりないので気が滅入るのですが。

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