のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

甘い話

2014年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 スーパーに行ったら、チョコレート販売コーナーがでかでかと展開されていました。
 2月14日は来週なんですね。毎年この季節になると2月14日に首を切られた平将門を思い起こしてしまいます。

 

 都で切り落とされた首が関東方面に向かって飛んできて、落ちた場所が今のお江戸の兜町。証券取引所があるところですね。
 このところ株価が下がっているのでアベノミクス失敗かなんて騒ぐ連中がいますが、民主党政権の時代と比べれば2倍でしょ。
 あんなもの半分博打なんだから赤が出ようが黒が出ようがガタガタ言うな!といいたいのが株には全く縁のない世界に住んでいる人間の本音。
 
 それでもみなさまのよいことがありますようにと、平将門を忍びつつチョコレートを食べましょう。と68円のロッテのガーナチョコを買ってきました。

 

 最近では「板チョコ」なんて言葉は私語になってしまったようですが、私が幼少の頃は板チョコはオトナが食べるもので、子供達はチューブに入ったチョコレートを駄菓子屋で買っていました。5円か10円だったと思いますが、おそ松くんの絵が買かれたチューブチョコはよくおぼえています。

 

 あの時代、駄菓子屋に並ぶお菓子には「人工甘味料」なるものが使われた甘いお菓子がたくさんあって、私が小学生の頃「チクロ」という人工甘味料が発ガン性を持つとかで問題になったことがありました。
 清涼飲料水のジュースなども軒並み人工甘味料使用食品に揚げられ、バヤリスともう一つ、人工甘味料を使わないジュースはそれだけだったような記憶があります。

 

 砂糖を使用している商品には「全糖」のステッカーがデカデカと張られ、製造業の良心を問われる事件だったと思います。

 

 チクロ禁止後もサッカリンはしばらく認められていましたが、やがてサッカリンも規制対象になりました。
 中国は野放しなのでどうでもいいけど、USAではまだサッカリンを使っているようです。

 

 混乱から抜け出した社会では甘いものが不足してその欲求が高くなる。90年代ロシアがそうでした。砂糖不足で甘いものに人々が殺到していました。

 第二次大戦後の日本など進駐軍の砂糖の横流しで財をなした人がいたほど砂糖は貴重なものでした。

 

 砂糖の安定供給に日本の政府も大変苦労してきたのですが、案外知られていません。今でこそ海外から輸入すれば格安の時代になりましたが、私が子供の頃など葬式や結婚式の引き物が砂糖でした。これで甘い煮物が食べられると喜んだものです。

 

 「甘い」=「おいしい」の代名詞だった時代。甘味に飢えていたんですね。

 何事もほどほどが良いことで、甘いものも過ぎれば糖尿病を招いてしまう。ほどほど飢えていて時折甘いものを食べて「ありがたい」が良いことなんでしょうが、なかなか節制できないもんです。

 

 甘い言葉に騙されぬよう人物も選びましょう。都民の皆様。

コメント
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