傍観者の独り言

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福島原発事故:ETV特集(原発事故への道程・・・後編)・・・原発至上の盲信

2011-09-29 10:51:52 | 社会
25日のETV特集の「シリーズ 原発事故への道程 後編 そして“安全”は神話になった」を視聴し、福島原発事故の背景は、戦後の経済成長時の副作用であるが、経済性第一で安全性を軽視してきた事が起因であり、原子力専門家を「錦の御旗」にし、安全性を敵視してきた「原子力ムラ」は責任大ですね。

ETV特集『そして“安全”は神話になった』の番組紹介を転載すると、

”「原子力政策研究会に集った原発関係者たちの録音テープと新たな証言により、なぜ福島原発事故が起きたのか、その歴史的深層を探るシリーズ。後編は原発が次々に建設された1970年代以降、日本の原発で事故は起きないという「安全神話」がいかにして誕生したか、その過程を明らかにする。

1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し、「安全」を前提に原発建設が加速していった。このとき、日本で初めて原発の安全性を科学的に問う裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と、建設を推進しようとする国によって争われた。
そこでは今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態がほぼすべて俎上に載せられていた。公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き、安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし、反対派の訴えを退けた。

原発の安全性を正面から問うルートが失われるなか、誰も疑問を挟めなくなった行政と業界、学術界により安全神話は膨張していくことになる。日本における最初で最後の本格的な原発法廷の消長を軸にして、安全神話がいかにして一人歩きしていったか、その歴史的メカニズムを検証する
。」

とあり、「シリーズ 原発事故への道程(前編)」で紹介していた「島村原子力政策研究会」の録音テープを基軸とした構成であるが、「伊方原発訴訟」の最高裁判決が原子力ムラ(行政と業界、学術界)により安全神話は形成・醸成を促進したという内容です。

当方は、ETV特集の前編を視聴し、本ブログで、福島原発事故は戦後の経済成長時の副作用と書いたが、後編を視聴し、原発重大事故を原子力専門家が言う「想定不適当」を「錦の御旗」し、安全性を黙殺・封殺し、「安全神話」を形成・醸成し、経済性第一を盲信してきたと思いましたね。

印象的な内容は、1973年8月の「伊方原発訴訟」の内容でした。
伊方原発の導入反対の35名の住民が立地許可した内閣総理大臣を提訴したが、原告団には原子力の専門家は不在で、法定闘争は困難と見込まれたが、京都大・大阪大らの若手の研究者が支援者となる。
その1人に、当時、工学部助手(京都大学工学部助手(原子核工学)の荻野晃也氏が、番組で、
”「支援者になったことを問われ、
 「原発推進の教育の場の人間でありながら、原子力発電所はどうなのか調べ始めたのが率直なところ」”
 異と唱える事で、そこからを飛び出すこと、覚悟
 「覚悟をするかしないかを苦悩、若かったこともあり、しょうがない
」」”
と、覚悟があったと答えていました。

また、原告側弁護団長の藤田一良氏は、専門外でありながら、
”「原発推進が挙国一致の雰囲気の危なさは、自分の物の見方の固定観念にある。
他人がしなくても、自分には良いう思いがあった
」”
と語っていました。

一方、国は、内田秀雄・東大教授をはじめ原子力政策の根幹に携わる人々らのそうそうたる証人を揃える。
裁判では、
・設置許可した根拠は何か?
・重大事故の規模は?
・大地震の可能性(活断層、中央構造帯)は
が論争になる。

設置許可の根拠は、政府側(当時の日本原子力研究所職員:村主 進氏)は、
”「事故が発生しても、周辺住民の健康に影響をしないようとする。
被爆ゼロを言っていない。
立地の妥当性を評価するまで
。」

重大事故の規模・審査には、
内田秀雄教授は、
”「放射能の流失は、原子炉の総量の100万分の1程度」”
”「事故で、冷却水を失ってもECSS(非常用炉心冷却装置)が機能する」”
と、
”「事故時に注水することで、圧力、温度を設計条件以下にすること
 工学的安全施設もっていることが肝要
」”
に対し、
藤本陽一氏(当時、早大教授(原子核物理))は、
”「最悪の可能性を考えれば安全装置が働かない場合、深刻な事態に発展すると指摘?」”
と問題提起していました。

重大事故の危険性については、内田秀雄教授は、
”「想定する必要がないほど主張 100万分の1」”と「想定不適当」事故とし、著書で「無視できる程度のリスクは受容可能であるということで、原子力発電の利用が容認・推進されるということの認識が大切である」と。

大地震の可能性については、活断層(中央構造帯)が「安全性の報告書」に記載がないとの質問に、国側の大崎順彦教授(東大工学部)が、
”「松田委員から、活断層の存在の報告が無いので報告書に記載していない」”
との証言を、番組では、国の依頼で、活断層調査した地震地質学者 松田時彦委員の話として、
”「それはうそですよ。ひどいですね」”とし、
「地質学論集」第12号に「伊方原発に近くに活断層が推定できる」と掲載されていたと、「地震の可能性は、何故か、封印されたか」と放送。

伊方原発の提訴、行政不服審査、控訴審の20年間の裁判は、1992年の最高裁の敗訴判決で終息し、安全審査の妥当性は司法の道を閉ざされ、”「原発を国策とした推進する行政、その裁量権をみとめた司法」”と伊方原発裁判を結んでいます。

番組では、国側の証人になった佐藤一男氏が、
”「安全委員会で安全の研究するな、そんなこと国民を不安に陥れするだけだという風潮に。
安全を銘打った研究は日の目にあわないと。
安全をとなえると 原子力ムラから村八分に
。」”
と語っており、番組では、「原子力の重大事故は100万の1」という安全だという暗黙の了解が定着してきたと。

また、原発推進に政策転向について、原子力船「ムツ」の放射線漏れ事故で科学技術庁と運輸省とが責任を押し付けあう、スリーマイル島原発事故で危険性を訴える研究者を排除させる事態、原発の稼働率の低さの問題により電力会社は新しい標準化された原子炉設置へ注力、1975年のインドの核実験でアメリカが核拡散の危惧により核燃料サイクルの確立へと内外の環境変化があったが、国、産業界、学会は経済性至上の原発ありきで、安全性を軽視し、安全性を反原発として、原子力専門家を「錦の御旗」にし、安全性を敵視してきた「原子力ムラ」は責任大ですね。

番組での弁護団長・藤田一良氏
”「専門家的な裁量が、工学的専門家が人の命、財産に関わる裁量は存在しない」”
は意味深長ですね。

番組では、「島村原子力政策研究会」は後輩が引き継ぎ「原子力政策研究会」を現在も続行しているが、研究会のメンバー全員は、「日本のエネルギー政策には、原子力は不可欠」という思いがあると結んでいました。
当方は、ETV特集を視聴し、資源のない日本が原子力を導入には一理あり、寛容的であるが、日本のエネルギー政策において原子力発電は絶対性では無いという思いです。

福島原発事故以来、冷遇されてきた熊取六人衆(京都大学原子炉実験所原子力安全研究グループの6人の科学者)の小出裕章助教らや、原子力資料情報室を設立した故・高木仁三郎氏らが脚光・注目され、「webDICE」の「骰子の眼」の小出裕章助教の対談『経済的に疲弊した地域が狙われ、放射性廃棄物処理が押し付けられている』が日本エネルギーの方向性の一つではないかと思うこの頃ですね。

世の中、「寄らば大樹の陰」、「出る杭は打たれる」が処世術であり、経済性優先になり、社会は硬直化するが、社会の生成発展には、「破壊と創造」の新陳代謝が不可避で、その担い手(異端者)は、番組での荻野晃也氏の言葉ではないが、”「(体制に)異と唱える事で、そこからを飛び出すこと、覚悟するしかない」”と社会の変革には覚悟が必要になるのです。


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