傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

「土下座」が話題になったが?「土下座」は謝罪か、懇願か・・・・謝罪の難しさ(雑感)

2013-10-11 09:34:50 | 社会

ドラマ「半沢直樹」の影響なのか?、「土下座」をTV,ネットで諸々取り上げていたが、当方も「責任者と話をしたい!」、「誠意を示せ!」と客先から要求・叱責を受けた経験があるが、「まずは謝り、どう責任をとるべきか?」考えさせられますね。
ブログ「つぶやきかさこ」様のエントリー『土下座と坊主と自己犠牲を称賛するおかしな社会』に接して、一理あると思うが、世の中、それ程、クールに実利的に出来れば楽なのですが?

「土下座」に関しては、衣料量販店「ファッションセンターしまむら苗穂店」で、購入したタオルケットが不良品だと訴え、パート従業員の女性(32)ら2人に土下座をさせ、自宅に来て謝罪の念書を書くよう強要した疑いで、札幌市の介護職員の女(43)を逮捕がニュースになり、8日放送のNHK「クローズアップ現代」で『氾濫する“土下座”』、9日放送のフジTV「とくダネ!」、TBS「ひるおび!」でも取り上げており、社会現場で「土下座」が日常化には驚愕しました。
マアー、逮捕された介護職員の女性は、土下座の写真、土下座した従業員の個人名までネットUPするとは、クレームが事実でも度が過ぎており、強要罪での逮捕は納得できますね。

当方は、学生時代に出先で不祥事を起し父親が呼び出しされた時、即、土下座し父親に謝罪した苦い思い出があり、また、「土下座」ではなかったが、社会人時代に、指定納期まで作業完了せず納品できず、客先の会議室にて事情説明中に、「あなたは座る資格がない! 納品できるまで立っていろ!」と叱責され、客先の事務所で立たされた事があります。
客先の担当者は、納品遅れで社内に迷惑をかけ上司から叱責されることになり、当方が立たされることには当然として受け止めましたね。
翌日早朝に納品でき大事に至らなかったが、個人ではどうしようもない事案で、まずは謝罪するが善後策はどうすべき悩んだことがありますね。

当方が現役時代に、同僚に「消費者相談室」の室長がおり、クレーム処理の苦労話を聞かされてきました。
窓口の女子社員が対応できない事案、「上司を出せ!、責任者を出せ!」を言うクレーマーと対応する際は何時間でもクレーマーが疲れるまで話を聞き続けたとか、電話、会議室に監視・録音設備を施したとか、元警察管を顧問として採用し恐喝まがいのクレーマーには同席させたとか、来訪するクレーマーには難渋してきたと。
 また、当方の身内にファッション販売店員がおり、世の中には”「図々しい人間がいる」”と怒っていたことを覚えています。
身内の言うのには、購買品を後日返品サービスをしているが、時々、新品でなく、明らかに洗濯された製品を持ち込み、領収書は紛失したが自分には似合わないと返品を要求する人間がおり、店側は,恐縮した顔で「ハイ、わかりました。またの来店をお願いします」と対応せざるを得ないと。
「しまむら」に土下座強要した女性の逮捕は当然であるが、「しまむら」の従業員が会社方針に忠実に実行し、土下座で事を治めたのはご立派ですね。
後刻、善後策を講じればよいですから。
マアー、当方だったら、「いい加減にしろ!」と揉め事になり始末書モノか、警察沙汰でしょうね。

ブログ「つぶやきかさこ」様のエントリー『土下座と坊主と自己犠牲を称賛するおかしな社会』は賛否両論あり、実利的には一理あるが、「謝っても済まない問題」、「謝れても済まない問題」などで「誠意を示せ」と言われても、皆が納得できる釈明・謝罪は難しいですね。

「つぶやきかさこ」様のブログ『土下座と坊主と自己犠牲を称賛するおかしな社会』を転載すると、

”「衣料品店しまむらの商品にクレームをつけ、店員に土下座させてその写真をツイッターに投稿した女性が、強要容疑で逮捕されたという。

強要罪とは、人に危害を加えると言って脅したり、暴行を加えたりして無理やり義務のないことをやらせることだという。

土下座といえばみなさんご存知、大人気ドラマとなった半沢直樹を思い出すだろう。
ドラマとして土下座はおもしろかったが、
ただ土下座したり、させることにこだわるのは、正直、無意味だと感じている。

例えば半沢直樹が銀行への復讐に燃えるきっかけとなる体験として、
親が雨の中、銀行員に土下座して金を貸してくれと、
泣きつくシーンが何度も出てくるが、
はっきりいってそんなこと、何の意味もないどころか、
むしろ金貸しの心証を悪くしかねない。

だってそうでしょう?
土下座すれば融資してもらえるんだったら、
世の中の債務者はみな平気で土下座をするだろう。
私はサラ金で融資を担当していて、
金を貸してくれと土下座されたことはないが、懇願する人はいっぱいいた。


でも審査が通らなければ金は貸せない。
懇願とか土下座なんてはっきりいって何の意味もない。
そんなことするなら返済能力証明できるもん、何か持ってこいよという話だ。
土下座するということは「私は無策です」といっているようなもの。
だから半沢直樹の父が土下座しているシーンは違和感を覚えた。
土下座なんかせず、金を借りても返せる事業計画なりを出せと思う。
それは非情でも冷徹でも何でもない。

今回のしまむらの土下座のように、
相手に恥をかかせ、屈辱を味あわせるために、
他人に強要するという人は意外に多いのかもしれない。
半沢直樹も土下座にこだわる前近代的な価値観の持ち主だが、
10倍返しが土下座なら安いものだ。

私に対して何か悪いことをして土下座をされても、
はっきりいってムカつきが倍増するだけだ。
土下座なんかしなくていいから、もっと実利的な補償をするなり、
こちらにメリットのある具体的なことをしてほしいと思う。
芝居で土下座している可能性だってある。
「こいつは土下座すれば許してくれるから、頭を下げておこう」と、
何も反省も謝罪の気持ちがなくても、その場をやりすごすために、
土下座をする人だっているだろう。

土下座と似ているのが坊主だ。
坊主にすれば、何か不祥事の責任をとったような感じになったりする。
または不祥事の責任をとらせるために坊主にしろと命令する。

これもほんとに何の意味もない。
せいぜい床屋が儲かるだけだ。
坊主にして、恥をかかせ屈辱を与えればいいという罰なのかもしれないが、
頭を丸めればそれでいいって、何の反省にも何の謝罪にもなっていない。
でも日本は土下座し、頭を丸めて、謝り倒せばそれでよしとされてしまう。

極めつけは、自己犠牲だ。
たとえ犬死であったとしても、自分の命を犠牲にして、
何かをした人間は称賛される。
日本では死なないと表彰されないのかと思う。

何も犬死なんかせずとも、生きて立派なことをやった人はいっぱいいる。
でもそうした人を首相が感謝状を送ることはない。
なぜなら死んでいないからだ。

例えば踏切に立ち入った人を助けて首相から表彰されるなら、
自分が死んでしまった人間ではなく、
非常ボタンを押して、自分も死なず、相手も助けた人こそ、
称賛され、表彰されるべきだろうが、そういう人を首相は表彰したりなんかしない。
なぜなら死んでいないからだ。

もしJR横浜線の踏切で、老人を助けようとした女性が死なずに生き残ったら、
首相は感謝状を送るのだろうか?
絶対に送らないだろうし、そもそもこんなにメディアは取り上げないだろう。
でもそれっておかしくないか?
救出した女性が死んだから感謝状を送り、死なないから送らないって。
つまり死なないと美談にならないし、話題にならないし、尊ばれない風潮が、
日本社会には根強いということだ。

津波でも同じ。
自分も助かって、他人も助けた。これが最も理想的な行動で、称賛されるべき人のはず。
でもそういう人より、自分が死んで、他人を助けた人の方が美談になる。
死なないと価値が上がらない。
これがこの国のポイントだ。

土下座や坊主と同じ。
自己犠牲の精神で実際に死ぬことが大事であって、何をしたかなんかは関係ない。
死ねば立派な人と称えられる。
そう、土下座をしただけで許されたり、坊主になって許されるように。

責任をとって切腹して死んだ人は偉くなれるが、
生きながらえて、その後処理をたんたんとこなす人はダメだみたいな。
でも無責任に死んでしまう事より、生きて少しでも何かの役に立つことの方が、
目立たないかもしれないが、立派なことだ。
でも生きている人間は誉めない。
死なない限り、ダメなのだ。

自己犠牲を尊ぶ精神がブラック企業の温床にもなっているのだろう。
「おまえら、死ぬまで働け!」
ブラック企業は本気で死ぬまで働けと命令し、
実際に過労死などで社員に死人を出す。
死ぬ覚悟がない自己犠牲精神がないやつは、
気合いと根性と忍耐が足りないということで、
体罰、土下座、坊主などなど、パワハラが何でも許される。

でもそんなことして誰がトクするのだろうか?
土下座しても欠陥商品は治らない。
坊主になっても不祥事体質は改められない。
自己犠牲が美しいと無謀に突込み、死んだところで、犬死でしかない。

でもそれを褒めたたえることによって、
さもそれが重要であるかのような錯覚を起こさせる。
もういい加減、土下座とか坊主とか自己犠牲とか、
一部の前近代的な輩が自己満足するための価値観を称賛するのはやめたらどうか。

はっきりいって何の意味もないし、誰もトクしないし、何の生産性も発展性もない。
そんなことするなら、頭を使って実際に相手や社会に役立てることをした方が、
はるかにいいと私は思う
。」”

と、ブログ「つぶやきかさこ」様は、サラ金で融資を担当経験から、”「金を貸してくれと土下座されたことはないが、懇願する人はいっぱいいた」”の意見は当方も見聞きしており納得できますが、「土下座」は懇願、謝罪の両面があり、実利的側面で結論めいた意見は極論でしょうね。

福島原発事故の主犯の東電の経営者が、土下座して謝罪するのは違和感を覚えないが、被災者・避難者が、東電に、土下座して元の生活に戻して欲しいと懇願された場合、東電が誠意(責任)ある謝罪を示すにはどうすれば納得させられるのか、ブログ「つぶやきかさこ」様の意見を聞きたいと思いましたね。
被災非難者は、”「東電の釈明はもういい、土下座の謝罪より、具体的に元の生活に復帰できる時期、その間の我慢させられる生活を面倒を見て欲しい。将来の健康不安無いことを約束して欲しい」”と悲痛な懇願に、「誠意ある回答」とは何かを思案しますね。

ブログ「つぶやきかさこ」様の言う
”「土下座なんかしなくていいから、もっと実利的な補償をするなり、
こちらにメリットのある具体的なことをしてほしいと思う
。」”
が現実的な謝罪になるのでしょうか?。

それにしても、みずほ銀行の釈明・謝罪は見苦しいですね。
現場が仕事をしており、現場は現実を知っており、問題が発覚したら、現場に確認したら事実は把握できるのです。
トップが責任を取ると明言すれば現場は情報開示できるのです。
トップが保身姿勢だと現場は情報隠しし、見苦しい会見を何回もする羽目になるのです。
日本社会は、権限移譲でなく責任移譲の体質であり、安土敏氏の造語と言われる「社畜」体質でもあるのでしょうね。



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