傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

人形峠のウラン鉱床跡の後遺症・・・他人事でした!

2011-07-08 05:48:05 | 社会

毎日新聞が人形峠のウラン鉱床跡の後遺症を記事『ザ・特集:鳥取・岡山県境のウラン鉱床跡 人形峠から福島見れば』で報道。
日本は戦後、原子力の利便性と危険性の二律背反の問題を、経済性優先で経済大国になったが、東日本大震災で地震・津波の天災に、放射能汚染という人災に、安全・安心とは何かを再考させられました。

毎日新聞が国内で発見されたウラン鉱床の人形峠のその後を、記事『ザ・特集:鳥取・岡山県境のウラン鉱床跡 人形峠から福島見れば』で、報道しています。転載すると、

”「◇はぐらかし、先送り、後手後手の対応…「原子力村」変わらず
 鳥取・岡山県境の人形峠。そこで1950年代、原子力発電の燃料となるウラン鉱床が国内で初めて発見された。坑道が閉鎖された後も放射性物質を含む残土が放置され、住民らは撤去を求めて法廷闘争を続けた。今、彼らの目に福島第1原発事故はどう映るのか。【宍戸護】

 茶筒型の鉛製ケースのふたを外すと、直径7~8センチの岩石が現れた。くぼみに、黄緑色の粉末のようなものが散っている。ウラン鉱石だ。

 「紫外線を当てると黄金色に光ります。放射能は体を突き破りまっせ。記者さん、今ちょっと被ばくしました」


榎本さんが所有しているウラン鉱石 鳥取県湯梨浜町方面(かたも)のナシ農家、榎本益美さん(75)がさらりと言う。放射線の線量計(ガイガーカウンター)を当てると、針が振り切れるそうだ。

 鳥取・岡山県境の人形峠で大規模なウラン鉱床が発見されたのは1955年。原発燃料の国産化を目指し、発足したばかりの原子燃料公社(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が採掘を開始。峠から北へ16キロの方面地区では58年に作業が始まった。

 多くが二十世紀ナシの栽培で生計を立てていた25戸の小集落は「これで未来が開ける」と沸いた。周辺の土産物店では、ウランの粉末をうわぐすりに使った焼き物「ウラン焼き」や「ウランまんじゅう」も売り出された。

 「宝の山」発掘に集落総出で協力し、榎本さんも59年から3年間、坑内で働いた。ダイナマイトの爆煙が漂う中、泥だらけになってウラン鉱石を運び出した。人体への影響については「天然の放射能だから大丈夫」という公社の責任者の言葉を信じた。防じんマスクも配られなかった。

 榎本さんと一緒に、ウラン鉱山跡に向かった。山中には竹林が広がるが、折れたり枯れたりしているものが多く、荒れている印象だ。「春、良いタケノコが採れたもんだけど、放射能が出てからは誰も探す者はおらんから……」

 森林を登り続けると、コンクリートに覆われた大きな壁に出くわした。かつての坑道入り口は完全に閉鎖されていた。榎本さんは、壁の前にある貯水マスのふたを無造作に開けた。底に、水が少したまっていた。「地中のウラン鉱帯から染み出たもん。放射能をたくさん含んでおる」

 坑道で働いていた榎本さんは、鼻血が出やすくなったことに気付いた。髪を指ですくと大量に抜ける。数年後、重症の胃潰瘍にかかり、坑内で働くことを断念した。

 「振り返れば、公社の連中は立派な防じんマスクをつけておった。健康被害の恐れを知っておったと思います」

 ウラン含有率が低く、採算が合わないと判明した「宝の山」は63年に閉山した。

榎本さんら住民の闘いが始まったのは88年。山陽新聞が「ウラン採掘に伴い排出された放射性物質を含む土砂(残土)が、人形峠周辺の民家近くに放置されている」と報じたのがきっかけだった。

 ウラン残土は全体で45万立方メートルにも達した。うち1万6000立方メートルを占めた方面集落では、閉山後にがんを発症したり、体調を崩す人が続出していた。住民らは「原子力開発という国策に貢献したのに、後始末もしないのか」と憤り、公社を引き継いだ動力炉・核燃料開発事業団(動燃)に全面撤去を求めた。

 京都大学原子炉実験所の小出裕章助教や市民団体が支援に乗り出し、その調査で、土壌やわき水、栽培した稲などから放射性物質のラドン(気体)が次々に検出された。ウラン残土が積まれた土地のそばでは、国内平均値(1立方メートル当たり5ベクレル)の数千倍の濃度を記録した。

 ただ、一方では特産のナシへの風評被害を懸念する声もあった。90年には、放射線量が比較的高い3000立方メートルを動燃の人形峠事業所(現・岡山県鏡野町)に移す案が持ち上がったが、岡山県は受け入れを拒み、搬出は中止に。10年間の停滞の末、00年、方面自治会は残土撤去を求める訴えを起こす。

 1、2審ともに住民側が勝訴し、04年、最高裁で判決が確定した。

 動燃はこの間、核燃料サイクル開発機構(核燃機構)、日本原子力研究開発機構へと名前を変える。05年、特に放射線量が高い残土290立方メートルを米国ユタ州の先住民居留地に搬出。残りは08年からレンガへの加工を進め、6月末、最後の1個が搬出された。


 「自分が別に起こした訴訟では、ウランと住民のがんとの直接の因果関係は認められんかったが、私らが放射性物質を吸ったことは間違いない。今、盛んに議論されている『内部被ばく』じゃないかと思っとります。原発労働者の被ばくには労災認定もあるが、ウラン鉱山での被ばくは完全に無視された。そりゃあ悔しいですよ」

 榎本さんは今、そう語る。採掘現場で雑役をしていた妻も94年に肺がんで失った。現在に至るまで、全身の内部被ばく量を測る「ホールボディーカウンター」の検査を勧められたことは一度もない。

 榎本さんは今、福島第1原発事故後の東京電力や国、研究者ら「原子力村」の対応をこう感じている。

 「核燃もそうだが、何をしようが、しまいにゃ政治が面倒をみてくれるちゅう甘えを感じる。こちらが指摘せん限り、自ら対処しようとせん。先を読めん、いや、読めても言わんだけかもしれんな。結局、やっていることはわしらのときと変わらん。同じ穴のムジナだな……」

 住民らを支えた鳥取短期大学名誉教授(食品学)の石田正義さん(72)は「地元の人たちは被ばくや農産物への風評被害を恐れ、一刻も早い残土撤去を願っていた。だが、動燃、核燃の対応は撤去先として同じ町内の別の場所を提示するなど、はぐらかしや先送りばかりで誠実さが感じられなかった」と述懐する。

 住民らは、国の原子力開発に「使い捨て」にされたと言えないか。「福島」で繰り返されないことを願う。

 榎本さんの著書「人形峠ウラン公害ドキュメント」に、地元の言い伝えを紹介した一節がある。

 <方面の奥の山にも昔からの言い伝えがありました。ここの所にはあまり手を出してはならない(略)“月の輪”と呼んでいるところで、入っちゃならん、掘っちゃならん、いろったり(いじくったり)したらタタリがある……>

 採掘から半世紀。戒めを破って掘り出したウラン鉱石が放つ放射能は、今もなお完全には取り除けていない
。」”

と、人形峠ウラン公害は過去の何処かの話の他人事でしたね。

団塊世代の当方も、人形峠のウラン鉱床発見は記憶にあり、当時は、理科系大学には「原子力学科」が花盛りであり、学業優秀な人間は「原子力」分野を選択し、適当な人間は「電子計算」分野に行きましたね。
福島原発事故による放射性汚染が社会問題になり、人形峠のウラン鉱床はその後どうなったか関心がありましたが、毎日新聞の記事によれば、「臭い物は蓋をしろ」で、ウラン公害として限定的な問題で推移してきたと思いましたね。
ウラン公害も放射能汚染も同質の公害ですね。

63年に閉山、残土問題に、00年告訴、04年勝訴、解決には、一部海外搬出、08年からレンガ加工、11年6月完了と、放射能汚染された残土処理に、50年近くの時間を要したことは、福島原発事故の終息を考えると滅入ってきますね。


福島原発事故で、「原子力ムラ」から村八分されてきた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教が脚光をあびてきたが、人形峠ウラン公害でも支援活動しており、小出裕章助教は地道な活動がしていたのですね。

当方は、原子力行政・原子力発電には無知・無関心であり、原発事故まで、東電の隠蔽体質・下請けいじめ体質、東電と政府(経済産業省:保安院)との共存共栄関係、官邸の原子力委員会が原子力推進勢力など関心がありませんでしたが、原発事故の終息への多大な時間と費用を考えると原発不要となり、自然エネルギーで原発の代替すべきという考えです。

とはいえ、菅首相が拘っている「再生可能エネルギー買取法案」については、拙速で、まずは、現実的解決が先決という考えです。
本ブログ「孫正義氏の「メガソーラー」構想は拙速の感ですが?」で、孫正義氏の脱原発を自然エネルギーに代替する着眼・スピード感に驚嘆で、凡人にはメガソーラー構想は拙速の感と書きました。
拙速ではないかと思うのは、事業成算ありやの実業家のスタンスでなく、人間・孫正義の現われではないかと思われるからです。

2年前、本ブログ「御立 尚資氏の日経ビジネスに連載コラムが最終回・・・・残念ですね!」で、御立 尚資氏は、

”「経済成長に対して、本音では「ネガティブ」な思いを持つ層が拡大している状況下、現在のリーダーの皆さんにとって必要なのは、「環境論議」とリンクづけた感情論、あるいは「成長は悪」という感情論を廃し、Graceful Decline(優雅な衰退)論に与するべきか、そうではなく適切な経済成長を通じてより豊かな日本を作ることを目指すのか、論理とデータで語っていくことではないだろうか。」”

と結んでおり、当方は、

”「国民が安心・安全で暮らせる社会は、まずは、第一次産業が国の基幹と思っております。温暖化で環境破壊が進行しても、石油が枯渇するエネルギー問題が深刻化しても、食糧危機が最悪の事態になろうとも、自給自足で最低の生活ができることことが第一で、第二は、社会保障制度の充実での安心さで、その上での自由競争社会という国造りが必要で、人材育成が肝要と思っております。」”

と書き、「成長は悪」でも、「Graceful Decline(優雅な衰退)論」という考えではないが、経済成長第一より、成長率ゼロ(現状維持保持)でも、国民が安心・安全で暮らせる社会を目指すべきだという考えで、東日本大震災で、復興・復興・復興と騒いでいますが、地方と都会、自然と共生社会の生涯現役・全員参加型の「スローライフ」を目指すべきと思うこの頃ですね。


3 コメント

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後進国のウラン採掘場も人形峠状態のようです (gaboraron)
2012-05-05 22:38:54
先月でしたかTBSテレビで「イエローパウダー」という英国の?ドキュメントを少し流しました。豪州(アボリジニの居住地)やナイジェリアのウラン採掘鉱山での鉱夫の被曝被害をリポートしたものです。先進国が安く手にいれているウランが途上国の人々の犠牲の上に成り立っていることが改めて思い知らされました。化石燃料や他の環境エネルギーに比して安いと言っている日本人は、この現実を直視すべきです。途上国の健康被害コストを上乗せしたウラン輸入原価となれば、あるいは当該途上国自体が採掘を辞めれば日本の原発はアウトです。今後国際的なウラン取引阻止の運動を盛り上げることが大事だと思います。地中にある不安定物質は利用してはならないということです。パンドラの箱を開けて箱の中に最後に残ったのは「希望、夢」ですが、ウランを空中に出したら人類の絶滅だけです。
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Unknown (ぽか)
2012-10-02 11:34:50
人形峠のお話はお恥ずかしいですが、良くしりませんでしたので、考えさせられました。今日の状況を見るに政治の体質も原子力ムラの本質も基本的には変わらないのだと感じました。また、コメント欄のgaboraron様の最後の言葉に強く賛成いたします。
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Unknown (ウラン問題)
2012-12-11 14:47:38
その解決の二代柱が、ゴミすら燃やしてなくす「もんじゅ」の開発と、海水からのウラン回収でした。
前者は、日本のムラ体質を考えると、根本からして無理なのが目に見えてます。危なくて仕方ない。
後者は続けてもいいかも知れません。お隣中国や韓国が、自国の原発のためにウランを欲しがってますし、アボリジニに迷惑をかけなくて済みますから。
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