傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

東日本大震災:被災者は「同情するなら金をくれ!」では?

2011-06-16 10:32:58 | 民主党(菅政権)

東日本大震災発生し、3ヶ月経過し、復興構想の7原則が提示され、6月末に第一次提言が発表される予定だが、何か、現実離れしたパラダイスでも作るとしか思えないですね。
仮設住宅を辞退する被災者の心情を察すれば、「同情するなら金をくれ!」ではないでしょうか?

復興構想会議が公表した7原則に、「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す。」と日本経済の再生の同時進行を掲げ、「地域社会の強い絆を守りつつ、災害に強い安全・安心のまち、自然エネルギー活用型地域の建設を進める。」と脱原発、自然エネルギーへの移行を示唆しており、「被災地の広域性・多様性を踏まえつつ、地域・コミュニティ主体の復興を基本とする。国は、復興の全体方針と制度設計によってそれを支える。」と地域共同体を意識しながらも、地場産業の再興に国が基本設計に携わるとありますね。

公表された7原則の内容は妥当とは思うが、日本の経済再生に、東日本大震災の被災者を踏み台にする匂いがしますね。
脱原発から自然エネルギーへの路線変更は、福島県の次元の話ではなく、日本のエネルギー政策の路線変更であり、国家戦略室の考えるテーマであり、実現には長期間を要し、仮設住宅を辞退しなければ生活できない被災者、家を流失・職を失い・生活保護の受給や他府県に職を求めなければいけない被災者にとっては、鎮魂の森など「同情するなら仕事をくれ!」と叫びたくなるのでしょうね。

当方は、本ブログ「東日本大震災:まずは、生活再建・産業再建が緊急課題では」で、
”「被災地は、高齢少子社会で、自力で再建が困難な状況である一方、政官業が「復興・復興・復興だ」と声だかに叫んでいますが、なにか現実と遊離しているのではないかという印象を持っていました。」”
と政府の復興の取り組みに疑問をもっており、「社会科学者の時評」様がブログで紹介していた長周新聞の記事『外資が収奪する全国モデル 政府の東北「復興」計画 農地や漁業権奪い企業化』に共感しました。

長周新聞の記事『外資が収奪する全国モデル 政府の東北「復興」計画 農地や漁業権奪い企業化』の結語の、
”「日本の将来かかる問題 産業の復活が要

 この間、大手商業メディアなどが「オールクリアで復興にあたるべきだ」「従来の規制や制度にとらわれていては復旧も復興も進まないことは明らか」「日本の土地利用は都市計画法や農業振興地域整備法、漁港漁場整備法など様様な法律で規制されている。地域を一体で再生するためには個別法の枠をこえた仕組みが要る」「現在の漁業法を見直さない限り、漁業権の開放も幅広く民間資金を集めることもできない」などと書き立て、財界が唱える復興路線の太鼓持ちをしてきた。

 東北で人人が暮らしていくために、真っ先に生活を立て直さなければならず、産業の復活が要になっている。
そのなかで資本力勝負で放置するなら、すべてを失った東北現地の企業や生産者は大資本によってなぎ倒されることが目に見えている。義援金が届かない、宅地規制をかけて住む場所すら与えない残酷さの背景に、震災をきっかけにして規制緩和・新自由主義政治のモデル地域にしようとする狙いがあること、16兆~25兆円ともいわれる復興需要に外来資本が目の色を変え、その資金を増税によって国民生活から巻き上げようとしていることとあわせて、復興路線の正体を問題にしないわけにはいかない。
先駆けとなる東北地方だけでなく、日本社会全体の行方とかかわった重大問題になっている
。」”
と同じ印象を持っています。

原発事故の被災と三陸沿岸の被災との復興は、次元が違うと思いますね。
「JB-press」の英エコノミスの記事『日本の復興:指導者なんて要るのか?』の「計画立案と資金」(P6)で、
”「だが、港が津波に流された名取市の佐々木一十郎市長(佐々木市長は創業140年の酒造会社も失った)のような首長たちは、すべての地域に当てはまる画一的な政策を当てにするのではなく、各地域が個々の地域社会のニーズに合わせて復興努力を調整できるようにすべきだと主張する。

佐々木市長は、1980年代の日本のバブル期には、各地でばつの悪い建設計画が進められ、市町村に債務と醜い建物を残したことを認める。だが自治体はこうした失敗から学んだという。実際、一握りの先駆的な立案者たちは最近、コンパクトで持続可能な生活環境を促す封建時代のアイデアを復活させ、大きな前進を遂げている
。」”
と現場の佐々木市長のコンパクトで持続可能な生活環境の町つくりの意見を紹介しています。

当方は、佐々木市長の意見が現実的と思いますね。
ブログ「月明飛錫」様のエントリー『高齢化と人口減少を先取りする被災地は、コンパクトシティで21世紀型都市を』で、”「大切なのは、どうすれば衰退や高齢化の影響を小さくし、財政が破綻しない範囲内で住みやすい街づくりができるかを考えることだ。」”の意見は現実的でしょうね。
被災者の我慢・犠牲の上での復興構想会議が公表した7原則は、現場(人間の営み)と遊離した内容としか思えないですね。

赤字国債依存の高齢少子の老人性骨粗鬆症の日本が、東日本大震災の復興を契機に、日本の経済が復興再生するなど「被災者を踏み台にした経済原理」で、当方が最も嫌う「常識論めいた正論」「正論めいた常識論」であり、現実は、ビジネスパワーゲームにすぎないのですね。
当方は、生成発展には「破壊と創造」が不可避という考えですが、破壊するのは既得権の権力構造であり、政官業の既得権を破壊なくしての創造は下々の人間が犠牲になるだけです。

復興構想会議の7原則の第一にある”「失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である。この観点から、鎮魂の森やモニュメントを含め、大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する。」”は、今までに築いてきた生活基盤を全て失った被災者に、 戦時標語の『欲しがりません勝つまでは 』を暗に要求しており、限界・疲弊している被災者には、過去のTVドラマ「家なき子」の安達 祐実が発したセリフ”『同情するなら金をくれ』の心境ではないかと思いますね。 
 



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