傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

国会事故調:官邸の過剰介入を認定・・・常識的な見解

2012-06-10 07:04:41 | 政治

東京電力福島第一原発事故を検証する「国会事故調査委員会」(黒川清委員長)は9日、政府の初動対応を「責任回避に主眼がおかれ、住民の健康と安全は顧みられなかった」と認定した。当時の菅直人首相らの介入も、混乱の原因だと批判。菅氏ら官邸側に厳しい内容となっていると報道
公開された国会事故調の論点整理は常識的な見解で、野田首相が安全策を強調し大飯原発の再稼動の判断は性急ですね。

NHKのニュース記事『国会事故調“官邸の過剰介入が支障に”』(6月9日 21時22分)では、

”「国会の原発事故調査委員会は9日に行った論点整理で、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、「総理大臣官邸が過剰な介入をしたのではないかと考えている」と指摘し、当時の政権幹部が必要以上に関与したことで事故対応に支障を来した可能性があるという見解を示しました。

国会の原発事故調査委員会は、今月にも提出する報告書の取りまとめに向けて、9日、公開で委員会を開き、これまでの調査を踏まえた論点整理を行いました。
この中で、報告書の取りまとめに当たっている野村修也主査は、「総理大臣官邸と発電所が直接やり取りするという、本来、法律が予定していないと思われる情報伝達が行われ、発電所に対して情報入手のために頻繁に電話が入るという事態が起こったことに対し、問題意識を持っている」と指摘しました。
そのうえで、「場違いで初歩的な質問もなされるなどしたため、発電所で現場対応に当たる者が余分な労力を割かれる結果になったと考えている。今回の事故の対応においては、官邸が過剰な介入をしたのではないかと考えている」と述べ、当時の政権幹部が必要以上に関与したことで事故対応に支障を来した可能性があるという見解を示しました。
 また、菅前総理大臣ら当時の政権幹部が、東京電力側から作業員全員の撤退を打診されたという認識を示していることについて、「今回の事故で、東京電力が全員撤退を決定した形跡は見受けられないという結論だ。菅前総理大臣が東京電力の全員撤退を阻止した、という事実関係を理解することはできないというのが委員会の認識だ」と述べ、菅前総理大臣らの認識を否定しました。
 さらに、事故発生後の政府の情報発信について、「緊急事態にあたって、事故現場で事態の確認ができないとして、確実な情報のみを発信するという平時の対応をし続けたことが、被災住民の避難にも甚大な混乱を引き起こしたのではないか」と指摘しました。
 そして、今後の課題について、「官邸を含めた危機管理体制の抜本的な再構築が必要ではないか。特に初動の重要性から、事故発生時に直ちに対応できる危機管理体制作りが求められているのではないか」と述べました。
委員会では、こうした内容を盛り込んだ報告書を今月中にもまとめ、衆・参両院の議長に提出することにしています
。」”

と報じています。

朝日新聞の10日朝刊記事『「政府、安全顧みず」 国会事故調「過剰介入も批判」』では、

”「東京電力福島第一原発事故を検証する「国会事故調査委員会」(黒川清委員長)は9日、政府の初動対応を「責任回避に主眼がおかれ、住民の健康と安全は顧みられなかった」と認定した。当時の菅直人首相らの介入も、混乱の原因だと批判。菅氏ら官邸側に厳しい内容となっている。

 今月末までにまとめる最終報告書に向け、同日開かれた国会事故調で、野村修也委員が事故調の見解として発表した。
 原発事故の影響で避難している住民約1万人を対象にしたアンケート結果も公表。政権から住民への情報伝達や避難指示の遅れが、混乱に拍車をかけたことも指摘した。そうした実態をふまえ、菅政権の情報発信のあり方は「住民の健康と安全確保の視点が欠けていた」と疑問を投げかけた。

 事故直後に東電が官邸に要請した撤退問題では、「全面撤退を検討した形跡は認められない」と改めて認定。東電の清水正孝前社長を参考人招致した8日の国会事故調で、東電側の情報として明らかになった「最悪の場合に10人の作業員しか残らない」との想定は、野村委員が「(福島第一原発の当時の)吉田昌郎所長が漫然と思い浮かべた仲間の人数。東電が残留人数として決定したのではない」と説明した。
 そのうえで、菅氏が昨年3月15日早朝に東電本店に乗り込んだことについては「全面撤退を阻止したとは理解できない」と指摘。民間人による事故調の「福島原発事故独立検証委員会」が2月にまとめた報告書では、菅氏が東電本店で「撤退はあり得ない」と迫ったことを「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価したが、逆の見解を出した。
 さらに、菅氏が直接、吉田所長らに連絡したことについては「場違いで初歩的な質問」があったとし、「発電所で現場対応にあたるものが余分な労力を割かれた」と批判した
。」”

と、菅前首相の東電本店への乗り込みについては、国会事故調査委員会は民間人による事故調の「福島原発事故独立検証委員会」の報告書とは逆の見解を発表したと報じています。

当方は、東電を擁護する気は毛頭ないが、東電側が事故現場に携わる人間を全員撤退を政府側に申し入れがあったとの政府側の主張には容認できない意見です。
どの世界に事故現場の沈静化に携わる人間を全員撤退させてくれと申し入れする経営責任者がいますか?
まして、原発に携わる人間にとって、廃炉云々より放射性物質の放出・汚染を最大限に回避することが責務・使命であり、逃げたくても逃げないのが現場の人間の特質であり、現場の人間が職場放棄の撤退などありえないのが常識です。
原発事故発生の起因を別問題とすれば、現場が沈静作業を放棄し、全員撤退など常識的にありえず、当時の政府官邸の過剰反応に過ぎず、東電の撤退騒ぎで、東電と政府との統合対策本部を設置したなどで当時の政府を無罪放免などできないという考えでした。

東電の撤退さわぎについては、1年前、本ブログ「NHKスペシャル「事故はなぜ深刻化したのか」・・・責任分散、責任不在」(2011-06-07)で、2011年6月5日に報道されたNHKスペシャル『事故はなぜ深刻化したのか』を視聴し、

”「番組では、15日朝に、菅首相が東電に乗り込みだ件については、東電が撤退したいと申し入れが契機と吉田所長が現場作業員の整理の場面があったが、本ブログ「原子力発電事故:50名の現場作業員に国難を賭ける馬鹿さ!(追記)」で書きましたが、15日に、吉田所長が「福島第一原子力発電所の職員の移動について」と戦線整理を発表しています。
11日の事故発生から15日まで、残った現場作業員が不眠不休で事故沈静化に従事してきたが、放射能漏洩が防げず、清水社長から原子炉の立ち入りの禁止が命令され、現場責任者として戦線整理するのは当然の措置で、それを清水社長に伝達し、清水社長が官邸に現場の状況の報告を菅首相が「撤退」と過剰反応したのです。
マアー、結果論として、東電と政府とで統合対策本部が形成されたのに過ぎないのです。
当方に言わせれば、現場に責任を転嫁させ恫喝するのは最低の人種に思えますね
。」”

と、当初から官邸側の過剰反応と書きました。

また、本ブログ「福島原発事故独立検証委員会:撤退拒絶は菅前首相の功績?・・・素人の過剰反応!」(2012-02-28)で、福島原発事故独立検証委員会の某委員が3月15日 早朝 東電から官邸へ、現場から撤退要請について、菅前首相が拒絶し、東電に乗り込み、政府対策本部と東電対策本部とを統合し、統合対策本部を設置したことより、情報が共有化でき、菅前首相の功績と評価していることに違和感を感じたとし、

”「菅前首相が東電に乗り込み、東電の対策本部に、現場と本店とでテレビ会議システムが運用されたのに、びっくりしたと報道があったを記憶していますが、政府対策本部が東電・事故現場との情報共有する仕組みを本部設置とともに作業着手していなかったことです。

当方は、事故の沈静化は現場に任せ、対策本部は現場作業の後方支援に徹するべきで、まずは、現場全体像把握し、現場作業体制と外部電源の確保が先決と書いてきましたが、まさか、政府対策本部と東電と情報は共有一元化されていないとは思っておらず、現場と対策本部間での通信手段の整備は常識と思っていました。
15日に、菅前首相が東電に乗り込み、東電側の対策本部の情報設備・陣容に驚愕するとは、お粗末も度が過ぎて呆れます。
更に、政府対策本部には、当初、日立・東芝らのメーカーが参画しておらず、菅前首相が東電・政府対策本部を統合本部にしたことなど評価に値などせず、現場知らずのど素人の本部長の後手後手の不手際が責められる事柄ですね
。」”

と、政府対策本部の初動はお粗末と書きました。
菅前首相の東電への乗り込みについては、素人の過剰反応に過ぎず、総合対策本部の設置し情報共有化できたことで無罪放免する心情になりませんね。

大飯原発再稼動については、本ブログ「大飯原発再稼動:暫定的な安全判断を前提に、限定的な適切の判断とは?・・・再稼動順延では?」(2012-06-01)で、「JBpress」に掲載された烏賀陽 弘道氏が寄稿『福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者無視され、死蔵された「原子力防災」の知見』(2012.05.31)で、2007年2月に発刊された『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』の著者の松野 元氏との対談で
”「「15条通報」があった時点で「住民を被曝から守る」=「原子力防災」は始まっていなくてはならなかったのだ。」”
を知り、『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』が原発防災の教科書が活かされていれば福島原発事故の被曝被害は軽減できたのです。

野田首相が大飯原発の再稼動の前提となる安全性について、”「福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防止できる対策と態勢はできていると」と説明したが、詭弁としか思えないですね。
もし、『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』を活かすには、事故調査検証の報告書、それを踏まえた原子力規制組織の設立し、新たな安全性基準を確立してから、再稼動の是非を問うべきです。
暫定の環境下で、「国民生活を守るため」を掲げるのであれば、再稼動順延の政治判断が「理」に適っていますね。
また、関電は、福島原発事故後、原発停止を前提に、電力供給不足にどれほど「国民生活を守るため」に努力してきたかも大いなる疑問で、政府頼り、原子力ムラ頼りですね。



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