傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

自民党の「保守」は民主党の「友愛」を超越できるか?(雑感)

2009-10-13 15:21:09 | 政治

自民党が下野し、「保守」を標榜し、政権奪取に活動着手しているが、果たして、民主党の「友愛」精神を超越する理念形成し、政策立案できるのか疑問ですね。
新陳代謝が世の常で、自民党の出番も登場する機会は到来すると思うが、自民党結党時から世の中、激変しており、新たな「保守」(革新性のある保守)とは何かという理念の見直しを肝要と思っています。

終戦後の混乱期に、自由民主党が結党され、今日まで、「保守」を掲げる自民党主導で政権運営してきたが、世の中の変化への追随を怠り、自民党自体も、社会も硬直化し、下流社会(格差・貧困)に陥り、国民が自民党政治に食傷気味になり、鳩山首相の唱える友愛精神による(自主と共生社会)へ淡い期待をしたのでしょう。

下野した自民党は、「皆でやろうぜ」と全員野球を唱える谷垣禎一・元財務相を新総裁に選出したが、果たして、友愛精神に基づく「自主と共生社会」を超越する将来像を、自民党は描けるのか疑問ですね。
敵失攻撃、各論の政策論争だけで、政権奪取できても、どういう社会を目指すのか曖昧で良いのか疑問ですね。

谷垣総裁は、「社会の絆」を強調し、まだ、「自民党よ!頑張れ」の支持者の声を大事にしたいと言っていたが、「社会の絆」とは、自民党政治で恩恵を享受してきた類を意味し、昔は良かったという懐古主義的であり、それが「保守」なのでしょうか?
終戦で、過去が否定され、経済活動は破壊され、マイナスから出発には、自民党政治が反共産・親米路線で、今日の日本の繁栄に貢献したことは認めるが、東西冷戦が終焉し、グローバル化になり、多極化と併行し民族主義が台頭、宗教間の争いが顕在化する、一方、核・温暖化が地球規模の問題と論じられる時代になり、自民党の言う「保守」とはなにか、意味不明ですね。
政権与党の立場を「保守」とし、野党を「革新」に称する相対の「保守」ではないでしょうね?
もし、そうであれば、自民党は「保守」を目指すのでなく、「革新」なりの新たな理念が必要でしょうね。

自民党は、舛添前厚労相や、総裁選挙に立候補した河野元法務副大臣と西村前外務政務官など15人程度のメンバーで、「政権構想会議」を設け、「自民党は国民のために何をする政党なのか」という理念や、政権奪還に向けての党運営や組織改革の具体策、それに来年の参議院選挙に向けた地方組織との連携などについて年内に提言をまとめたいと報道がありますが、革新性のある保守理念より、党運営や選挙対策や民主党批判など政権奪取のテクニカル部分に終始するのでないかと予想しますね。

一方、鳩山首相の掲げる「友愛」ですが、本ブログでも書きましたが、今一歩、消化不良ですが、「自立と共生」を繋ぐのが「友愛」精神であり、歴史的な成果物ですね。

NHKラジオの深夜番組で、女優の吉行和子氏の対談で、一人芝居の「青山光子」が話題になり、青山光子は、明治25年(1892)に、ウィーンのハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と初の正式な国際結婚した人物で、対談に、「友愛」、「鳩山」の名前がでてきたので、「友愛」に興味をもちましたね。

ブログ『七五白書 (白けないために)』様の「友愛」によれば、

”「友愛は、フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛-。鳩山代表はこう説きおこし、柔弱どころか、革命の旗印となった概念だとする。
欧州統合の運動を提唱したオーストリアのクーデンホーフ・カレルギー伯爵も、この友愛を説いて回った◆今の欧州連合(EU)につながる欧州経済共同体(EEC)の生みの親とも言われる政治家だ。
第1次世界大戦後、戦火のない世界をめざして欧州統合を構想したという。
鳩山代表の祖父で自民党をつくった鳩山一郎元首相はカレルギーに共鳴し、自らの政権の旗印に友愛を掲げた
」”

とあり、明治の先進性のある一人の女性も関係していました。

また、「松岡正剛の千夜千冊」の『クーデンホーフ光子の手記』によれば、一部の経営者もクーデンホーフ・カレルギー伯爵には関心をもっていました。

高野 孟氏の解説では、

”「私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという「個の自立」の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという「他との共生」の原理を重視したい。
そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない

 西欧キリスト教文明のなかで生まれてきた友愛の概念は、神を愛するがゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、神との関わりにおいて人間社会のあり方を指し示すもので、そこでは人間と自然の関係は考慮に入っていない。
しかし東洋の知恵の教えるところでは、人間はもともと自然の一部であって、一本の樹木も一匹の動物も一人の人間も、同じようにかけがえのない存在であり、そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が成り立ちうる。

そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台にして、その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある
。」”

とあり、含蓄のある内容であり、また、便利な言葉ですね。

本ブログ「「和諧社会」と「友愛と共生社会」について」で、中国の胡錦濤政権は国民に対して、「和諧(わかい)社会」(調和の取れた社会)づくりを掲げており、鳩山首相の「友愛」を足して2で割るのが「和諧社会」の理想形と論じており、「和諧社会」は生成発展中の中国社会の歪、「友愛社会」は高度経済成長した日本社会の歪への新たな社会への方向性と書きました。

世の中、成長第一から、調和が必要な時代になってきたのでないかと思うこの頃であり、果たして、自民党は、どういう政治理念を再考するのか関心があります。
正直、麻生前首相のいう「子供には夢を、若者には希望を、年寄りには安心を」の安心・安全社会を目指すことは正解でした、それを実現する道筋には、自民党は、過去は過去として、捨てる覚悟が必要でしょうね。
「友愛」を超越できる政治理念を、さて、自民党はどうするのかなー?。



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