傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

朝日新聞の小沢氏無罪への社説・・・・相変わらず高慢な体質

2012-11-14 02:55:40 | 社会

13日付け朝日新聞の社説「小沢氏無罪 政治とカネ、いつまで」は、無罪は想定されたが、小沢一郎氏の国会説明ない説明不足は、”「国民と政治と距離を広げただけでなく、小沢氏への失望を呼び、活動の幅をせばめる原因にもなった」”と小沢一郎氏の自業自得と論評しておりますね。
朝日新聞の相変わらずの否小沢論調は朝日新聞の勝手ですが、意図的な誇張は報道機関として疑問ですね。

13日付け朝日新聞の4面記事『裁判闘争、政治力そぐ 無罪・小沢氏 第三極結集を模索』は、

”「政治資金規正法違反罪で強制起訴された「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が控訴審でも無罪になった。政権交代前に民主党の党首を追われ、その後もマイナスイメージに苦しめられた小沢氏。少数野党の党首として今度は第三極の結集を模索する。

民主党の輿石幹事長は12日の記者会見で語気を強めた。
「小沢氏の問題を取り上げられたの政権交代からだ。報道を含め小沢パッシングをしてきた。検察のあり方、報道のあり方を冷静に振り返ってほしい」
 東京地検が小沢氏の事務所などを強制捜査したのが2009年3月。近づく衆院選での政権交代が現実味を帯びていた。小沢氏は08年6月の朝日新聞のインタビューで「総選挙に勝てば嫌でもやらなければいけない」と述べ、首相に就任する考えを示していた。
 だが、強制捜査が衆院選に影響することを懸念し、09年5月に民主党代表を辞任。記者会見で「政権交代実現に向け、挙党一致の態勢を強固にするため、この身をなげうつ」と悔しさをにじませた。
 政権交代後、党幹事長に就任した。だが、10年1月、東京地検が小沢氏を事情聴取。「政治とカネ」の問題で小沢氏は6月に鳩山由紀夫首相とともに辞任した。検察は不起訴処分にしたが、検察審査会が「起訴すべきだ」とし強制起訴された。
 鳩山首相の後任の菅直人氏は就任前、小沢氏に「しばらく静かにしていただきた方が本人にも日本の政治にもいい」と述べ、党内は「脱小沢」路線が強まった。小沢氏は9月の代表選に立候補したが菅氏に敗北。菅執行部は小沢氏の強制捜査を受け、判決確定まで小沢氏の党員資格停止処分を決定した。
 小沢氏は野田政権の消費増税路線を批判。今年7月、民主党を集団離党して国民の生活が第一を決党した。今回の無罪判決で小沢氏は政界での影響力を強めることができるのか・・・・。
 衆院選が近づく中、小沢氏は第三極の連携に意欲を示す。
・・・・・・・
 だが、第三極の結集は簡単ではない。みんなの党の渡辺喜美代代表は12日、「無罪判決が出たからといって、国会で説明しなくていいという話ではない」と指摘した。一方、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は「捜査機関側の発言をどんどん報じたら、国民がどんなに賢明でも有罪の心証を抱くのは間違いない」と述べ、小沢氏に同情した。ただ、今後の連携については触れなかった。
(松村真次、星野典久
)」”

の報道は、「政治とカネ」事案に係る政治家の小沢一郎氏の表層的な変遷の概容として客観的に許容できる範囲かなという印象でした。

しかしながら、13日社説『小沢氏無罪 政治とカネ、いつまで』には、朝日新聞の体質は、「反小沢」「否小沢」は不変と思いましたね。
社説を転載すると、

”「政治資金収支報告書にうその記載をしたとして強制起訴された小沢一郎衆院議員が、東京高裁であらためて無罪となった。
 追加の証拠調べがなく、結論は予想されていた。高裁は、実際に報告書をつくった元秘書らについても、わざとではなく、認識不足から一部誤って書いた可能性があると結論づけた。
 元秘書らは検察によって起訴され、一審で虚偽記載の故意が認められた。高裁の別の裁判長のもとで、あすから二審が始まる。そこではどう判断されるのか、行方を見守りたい。

 刑事責任の有無をはなれ、事件は「政治とカネ」をめぐる多くの疑問や不信を招いた。
 今回の判決も、問題となった土地の取引が本来報告すべき年に報告されなかったこと、元秘書が公表を先送りする方針を決め、不動産業者らと調整したこと――などを認めている。
 金や資産の流れをそのまま明らかにして、国民の不断の監視の下におく。それが法の精神ではないか。何億円もの動きについて、事実と異なる報告がされていた点に変わりはない。

 疑惑が指摘された当初、小沢氏は会見で身の潔白をあかす書類を示して追及をかわした。後にそれは、日付をさかのぼって急きょ作成したものであることがわかった。捜査や公判を理由に国会での説明から逃げ続け、一審の法廷では「関心は天下国家で、収支報告書は見たこともない」と述べた。
 こうした行いは国民と政治との距離を広げただけでなく、小沢氏への失望を呼び、活動の幅をせばめる原因にもなった。
 その自覚と反省を欠いたまま、新しい政党をつくって「第三極」の結集をうったえたとしても、広範な支持を得るのはむずかしいだろう。

 なげかわしいのは、他の政党や国会議員も同じだ。
 事件によって、「秘書に任せていた」「法律の知識がなかった」ですんでしまう制度の不備が、再び浮かび上がった。ところが、かねて課題の企業・団体献金の廃止をふくめ、見直しの動きは起きていない。
 抜け穴の多いしくみの方が楽だし、どうせ国民は忘れてしまうさ。そんな甘えがないか。
 氏が政治の中心にいるときは思惑ぶくみで事件を利用し、後景に退けば知らんふりを決め込む。政局優先のご都合主義が、既成の、とりわけ大政党への不信となって表れている。
 衆院の解散が近い。政治とカネというこの古くて新しい問題に、各政党はどう取り組むか。国民はしっかり見ている
。」”

と論じており、違和感を覚えます。

東京高裁の無罪判決理由(要旨)については、朝日新聞でも報道しているが、森ゆうこ議員が判決要旨を紹介しており、高裁は所有権移転の先送りを石川氏は登記名義の移転と所有権の移転を区別して認識せず、石川氏は自ら要望通りに所有権の取得も先送りできたと思い込んだこともありえ一審の判決は是認できないと。
土地取得費の支出について小沢氏は適法と認識できるとし、一審判決は、交渉に失敗した石川氏が小沢氏の不興を恐れて報告しなかったとしたが、その部分は認めがたいと。
4億円の簿外処理についても、小沢氏は4億円の簿外処理を適法に実現することを前提として了承していた可能性もあるとした一審判決は不合理といえないが、一審判決が石川氏について、銀行融資で決裁するという当初方針と反することを報告すれば小沢氏の不興を買うと考えたとした部分は是認できないとしたが、総括として一審判決は是認できると。
要は、高裁は、石川議員らの清算処理について一審判決は是認できない部分はあるが、小沢氏の故意や共謀についての証明不十分で小沢氏を無罪とした一審判決は是認できると無罪判決しました。

この高裁判決を、朝日新聞の社説は、
”「今回の判決も、問題となった土地の取引が本来報告すべき年に報告されなかったこと、元秘書が公表を先送りする方針を決め、不動産業者らと調整したこと――などを認めている。」”と、高裁は土地取引に関する収支報告を問題視したとして、
”「金や資産の流れをそのまま明らかにして、国民の不断の監視の下におく。それが法の精神ではないか。何億円もの動きについて、事実と異なる報告がされていた点に変わりはない。」”
と、高裁も不透明な決裁を問題視し、小沢氏は事実と異なる報告していた点は事実であると論じていますね。
高裁は一審の判決理由を全面的に是認できないが小沢氏無罪判決は是認できるという判決要旨を朝日新聞の社説では高裁は不透明な清算処理であったが無罪判決したという記述に違和感を覚えますね。

更に社説では、
”「疑惑が指摘された当初、小沢氏は会見で身の潔白をあかす書類を示して追及をかわした。後にそれは、日付をさかのぼって急きょ作成したものであることがわかった。捜査や公判を理由に国会での説明から逃げ続け、一審の法廷では「関心は天下国家で、収支報告書は見たこともない」と述べた。」”
と記述し、過去の記者会見時での土地取得に関する書類を取り上げ、国会での説明を回避し、法廷では収支報告書は見たことも無いという発言を持ち出し、
”「こうした行いは国民と政治との距離を広げただけでなく、小沢氏への失望を呼び、活動の幅をせばめる原因にもなった。
 その自覚と反省を欠いたまま、新しい政党をつくって「第三極」の結集をうったえたとしても、広範な支持を得るのはむずかしいだろう
。」”
と、小沢氏は自ら国民の失望を買い活動範囲を狭め、「第三極」の結集を掲げても支持を得られないの自明で自業自得と論じていますね。

社説で取り上げた”「小沢氏は会見で身の潔白をあかす書類を示して追及をかわした。後にそれは、日付をさかのぼって急きょ作成したものであることがわかった」”とあるが、本件は、小沢一郎氏が2007年(平成19年)2月に記者会見した際、「便宜上、個人名義とした」ことの根拠としての「確認書」をさすのでしょうね。
この確認書については、本ブログで、産経新聞の記者(阿比留瑠比?)のブログ 「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」 様のエントリー「小沢不動産」に関する各紙の報じ方と確認書」を紹介し、小沢一郎氏の不動産物件の確認書の日付が幾つもあったとし、本ブログで、小沢一郎氏が出演したインターネット動画サイト「ニコニコ動画」での発言について、
”「当方が、唯一、引っかかっていた内容は、メディアが金権政治家とし小沢追及のネタの「資金管理団体「陸山会」が購入した土地や不動産の原資は。小沢氏個人所有ではないことを明らかにしたという「確認書」は(指摘に対する釈明のための)記者会見の直前に作られたのではないか」で、小沢一郎氏は、この度、”「今言った確認書、何カ所か事務所あるので、その中で、僕は必ずそれを作成しろということを全部、いってまして、たまたま、1つズレておった、忘れてたというのがあっただけだ。」”と弁明しており、真相は不明ですが、説明は果たしたことになりますね。」”
と書きました。

要は、小沢一郎氏の不動産物件の確認書の作成日が複数あり、従来から確認書を作成していたことは推察でき、小沢一郎氏の弁明を是認できますね。
むしろ、疑問であるのは、何故、メディアは確認書の作成が日付をさかのぼって急きょ作成したわかったのでしょうか?
作成したPCは後日、検察に押収されていたのに?
検察側からのメディアへのリークしか思えないですね。

朝日新聞の社説では、「政治とカネ」を曖昧にしていると、”「なげかわしいのは、他の政党や国会議員も同じだ。」”と検察批判の語句は一切ないが、東京新聞の社説『小沢代表無罪 検察の“闇”を調べよ 』では、検察の暴走を根源的な問題としており、毎日新聞は社説『小沢代表判決 「秘書任せ」ゆえの無罪 』では、小沢一郎氏の説明不足も問題であるが捜査報告書を偽造した検察批判をし、読売新聞は社説『小沢氏再び無罪 検察審制度の見直しは早計』では、小沢一郎氏は合理的な弁明はなかったが、今回の裁判で、批判されるべきは、検察審に虚偽の捜査報告書を提出し、起訴議決に疑念を抱かせた検察である。検察官による供述の誘導や強制も判明した。検察は猛省しなければならないと各社は検察批判をも書いております。
朝日新聞の社説は、産経新聞の社説『小沢氏2審も無罪 政治責任は変わらず重い 』の”「裁判が小沢氏の政治家としての資質への疑問や、規正法の不備を明るみに出したことは評価できる。」”程度以下の偏向な論評と思えますね。

当方は、本ブログ「小沢幹事長への説明責任の要求は、痴漢容疑者への弁明要求と同質」で、
”「小沢幹事長の不動産疑惑で不起訴について、メディア・野党は嫌疑不十分の不起訴は「政治的・道義的責任」があり「説明責任」を求めているが、当方には、痴漢容疑で事情聴取をうけ、嫌疑不十分で不起訴の人間に、過去に胡散臭い噂があるので、嫌疑を払う弁明しないと社会は許容しないと強要しているとしか思えないですね。
弁明内容をメディア・野党が納得しなければ、今の社会生活を継続することは、世間が許さないという様相に写りますね
。」”
と書きました。

朝日新聞の論調は、まさに、痴漢容疑で嫌疑不十分で不起訴の人間の弁明を、朝日新聞が納得できなければ世間が許さないというスタンスに見え、更に、不起訴の人間を検察審査会に申告した怪しげな申告者を擁護し、刑事裁判結果を問わず、資質を裁くのは朝日新聞であるという高慢な体質と思えますね。
この高慢な「ペンは剣より強し」体質は、子会社の、「週刊朝日」の橋下市長の連載記事について、第三者委員会「報道と人権委員会」よりの見解により、朝日新聞出版社長を辞任の引責人事し、橋下市長に面会し謝罪をしなければならない事態になったのです。

過去の朝日新聞の社説を鑑みすれば、この度の社説の論調も想像できたが、当方には、「報道の自由」「言論の自由」を錦の御旗にした商業報道機関に成り下がったとしか思えないですね。
この度の小沢一郎氏の陸山会裁判は、西松献金事件が発端の小沢一郎抹殺の一連の事案の氷山の一端に過ぎず、その刑事裁判を無視して資質を問うことは、朝日新聞は何様か?と言いたくなり、良識ある現場記者を意気消沈させますね。

マアー、石川議員らの控訴審が始まり、この度の高裁は石川秘書らが悪意なく誤認してた可能性を指摘していましたので、無罪判決の可能性もあり、もし、無罪判決になれば、検察、検察審査会、裁判所は総懺悔モノで、それに協働してたメディアは、それこそ、第三者委員会「報道と人権委員会」(東京大法学部教授(憲法)の長谷部恭男氏、元共同通信論説副委員長の藤田博司氏、元最高裁判事で弁護士の宮川光治氏)程度での身内のメンバーによる見解では納まらないでしょうね。
昨日の予算委員会で、滝法務大臣が小沢無罪判決に問われ、検察は捏造なく公正・公明に処置したと空々しい答弁していたが、小沢弁護団は、無罪が確定してから見解を表明するそうですが、解散云々などの次元ではなく、国家総懺悔モノの統治機構の改革モノと追及するでしょうね。
硬直化した統治機構改革に一石を投じる事を期待しますね。




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