傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

小沢幹事長への説明責任の要求は、痴漢容疑者への弁明要求と同質

2010-02-07 09:54:11 | 検察・メディア

小沢幹事長の不動産疑惑で不起訴について、メディア・野党は嫌疑不十分の不起訴は「政治的・道義的責任」があり「説明責任」を求めているが、当方には、痴漢容疑で事情聴取をうけ、嫌疑不十分で不起訴の人間に、過去に胡散臭い噂があるので、嫌疑を払う弁明しないと社会は許容しないと強要しているとしか思えないですね。
弁明内容をメディア・野党が納得しなければ、今の社会生活を継続することは、世間が許さないという様相に写りますね。

当方は、小沢幹事長のシンパではなく、過去は過去と割り切り、現在を重視する「長い物には巻かれろ」の適当な人間であるが、小沢幹事長の西松建設献金事件、不動産疑惑については、守旧グループが画策の「小沢潰し」の一連の事案と思っております。
小沢幹事長が「金権政治家」体質の「数は力」の考えであろうと、検察の独善的正義や権力に媚をうるメディアのほうが「罪悪」と思っています。

今回の小沢幹事長の嫌疑不十分による不起訴で、メディア・野党が小沢幹事長に、嫌疑不十分は疑わしさが晴れたのでなく、疑いをかけられた「政治的・道義的責任」があり、疑いをはらす「説明責任」があると声高に騒いでいますが、なにか痴漢容疑者に、「被害者から届けがあり、事実はどうなんだ!」「過去に、諸々の問題を起こしており、本当は痴漢行為をしたのだろう!」と要求しているように思えますね。
痴漢容疑者に「弁明せず、今までのとおりに、暮らせると思うのか?」と弁明を強要し、「世間が許さない」と「社会の声」の代弁(詭弁)をしているがごとく写りますね。

痴漢行為は許されないことではあるが、痴漢事件で冤罪も発生しているのも事実です。
痴漢容疑をかけられたら、凡人の場合には、現人生は破壊し、将来もなくなりますね。
昨年のフジテレビで放映された冤罪ドラマ『誰かが嘘をついている』のように、ハッピイエンドで終息するのは例外でしょうね。
現行犯でなく、被害届けで痴漢容疑にされたら、真相は別にして、世間から白い眼で見られ、人生はガタガタになりますね。
もし、真実は冤罪で、冤罪を晴らす努力は、常人には出来ないことですね。

小沢幹事長については、金権政治家の体質で、「数は力」の考えであることは、事実であるが、一方、政治改革には精力的であり、当方は、金権政治家であろうと、「数は力」で、政治改革を目指している方向性は期待しています。
小沢幹事長が「金権政治家」で、過去に胡散臭い部分があるから、蓄財疑惑があるから、地元で影響力があるから、大金の不可解な出入れがあったから、水谷建設から資金提供の供述があるからと言って、嫌疑不十分は「政治的・道義的責任」があり、説明責任があるとし、説明もなく現職を続けるの許させないというメディア・野党の論調は違和感がありますね。

嫌疑をかけ、嫌疑不十分で不起訴は、検察側の論理であり、嫌疑をかけられた人間が嫌疑不十分を晴らすために説明することは、不自然ですね。
やはり、嫌疑不十分で、小沢幹事長に多大な迷惑をかけ、風評被害を与えたと、検察側に説明責任をあると思いますね。

今日の「サンデープロジェクト」で、宗像弁護士と郷原弁護士が激論すると番組案内にありますが、両者とも検察の健全性を願っているが、小沢幹事長の不動産疑惑については、宗像弁護士氏は検察擁護で、郷原弁護士は検察批判の立場の違いですが、検察権力の問題は宗像弁護士が指摘していますね。

週刊朝日」の山口編集長自社HPで、保坂展人氏がブログ「宗像元特捜部長が「検察が議員の生殺与奪を握る」と危惧」で、宗像弁護士が2月5日付の朝日新聞(朝刊)への談話、

”「政治資金規正法は改正が繰り返されて厳罰化が進み、政党助成金が導入されるようになったことから、違反に対する認識が変わりつつあるのは事実だろう。だが、虚偽記載の起訴だけで捜査を終えるなら、見通しのない捜査だったと批判されても仕方がない。同法違反で簡単に逮捕できるとなれば、検察が議員の生殺与奪を握ることにならないかも心配だ」”

の部分を引用し、政治資金規正法が議員の「生殺与奪」を握ることになる危険性を指摘しています。

同様に、痴漢の被害届け痴漢容疑され、事情聴取され、嫌疑不十分で不起訴になっても、容疑をかけられた人間は悲劇ですね。
もし、作為的や誤解・誤認による被害届であり、嫌疑不十分で不起訴になっても、嫌疑不十分だったでは世間は許容されないでしょうね。
まして、前科があり、その後、更生し、現業に、真面目に一生懸命に働いていても、容疑をかけられたら最後でしょうね。

小沢幹事長にとってみれば、痴漢の被害届で、事情聴取させられ、家宅捜査され、過去を暴かれ、挙句の果て、嫌疑不十分で不起訴の上、やれ「政治的・道義的責任」があり「説明責任」があるとし、現職を続けるのは、許容できないというのは、「冗談じゃない」という思いでしょうね。

当方は、小沢幹事長、検察、メディアも、皆、グレイという印象をもっており、小沢幹事長のグレイより、検察権力の独善性、権力に同調した報道で世論をミスリードするメディアが悪質で、検察・メディアが正義ぶっていることに怒りを感じますね。
やはり、嫌疑・嫌疑不十分の説明責任は、検察なり、メディアにありますね。

世の中、全てパワーゲームであり、水面化で諸々の駆け引きがあるとは思うが、下賎な当方には、堀江貴文氏のブログ「小沢・朝青龍の一日」で、

”「小沢金権政治がどうのとか、蓄財がどうのとか色々言っているが、結局彼は別に金持ちになりたくて政治家やってるわけでもなく、自分の理想を政治に求めているだけなんだろうから、別にいいんじゃね?とか思ってしまう。政治家が清貧でなければいけないということでもないだろう。どっちにしろそれを見せびらかしているわけでもなく、勝手にマスコミが騒いでいるだけだからそれこそ要らぬお世話だ。」”

に共感しますね。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。