傍観者の独り言

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陸山会事件:地裁 調書を不採用・・・司法改革の潮流?

2011-07-02 05:00:50 | 検察・メディア

小沢元代表の陸山会の政治資金を巡る事件で起訴された石川知裕衆議院議員ら元秘書3人の裁判で、東京地方裁判所は検察が作成した3人の供述調書の一部について「信用できない」と判断して証拠として採用しないと報道。
地裁は、東京地検特捜部の取り調べを批判しているが、東京地検特捜部の固有の問題でなく、警察・検察の調書の透明化には可視化の導入が急務なのに、刑事司法制度改革の議論の開始を着手した段階とは、遅過ぎますね。

NHKニュースが記事『調書却下 小沢氏裁判に影響か』(7月1日 11時59分)で、
”「民主党の小沢元代表の政治資金を巡って、収支報告書にうその記載をした罪に問われている元秘書3人の裁判で裁判所は、小沢元代表に報告したことを認めた元秘書の捜査段階の供述調書を証拠として採用しないことを決めました。小沢元代表本人の裁判にも影響を与える可能性があります。」”
と報道。その後、記事『裁判所 特捜部の取り調べ批判』(7月1日 18時43分で、
”「民主党の小沢元代表の政治資金を巡る事件で、起訴された元秘書らの主な供述調書のほとんどが証拠として採用されないことになりました。決定の中で裁判所は、「心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら、巧妙に供述を誘導した」と指摘し、東京地検特捜部の取り調べを厳しく批判しました。

この事件で、収支報告書にうそを記載した罪に問われている衆議院議員の石川知裕被告(38)ら小沢元代表の元秘書3人は、裁判で無罪を主張し、検察は起訴の内容を認めた捜査段階の供述調書38通を証拠として採用するよう求めていました。これについて、東京地方裁判所はこのうち12通を「信用できない」として、証拠として採用しない決定をしました。
NHKが入手した決定文の中で、裁判所は、石川議員の取り調べを担当した検事が、「特捜部は恐ろしいところだ、何でも出来るところだぞ、捜査がどんどん拡大していく」と脅すような言葉を述べる一方で、「調書にこれぐらい書いても、小沢さんは起訴にならないから」と安心させるような言葉も伝えていたと認めました。
そのうえで、「威迫とも言うべき心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら、巧妙に供述を誘導した」と指摘し、特捜部の取り調べを厳しく批判しました。今回、証拠として採用されなかった供述調書の中には、石川議員らが「小沢元代表に報告、相談した」などと供述した調書も含まれています。
裁判所の決定は、ことし秋にも判決が言い渡される見通しの石川議員らの裁判だけでなく、今後の小沢氏の裁判にも影響を与える可能性があります。
一方、検察は、調書に対する評価が不当だとして、近く東京地裁に異議申し立てを行うことを検討しているということです。検察幹部の1人は、「客観的に見て、収支報告書にうその記載があったことは間違いないので、無罪になることはありえないと思っている。バタバタしてもしかたがないので、淡々と判決を待つしかない」と話しています。
元秘書らの弁護団の関係者は、「自分たちも驚くほど検察の調書が採用されなかった。検察が主張したかった内容はすべて削られたと言える。裁判長の怒りのようなものも感じる」と話しています
。」”
と報道。
検察は、収支報告書の虚偽記載を問題視していますが、仮に、虚偽記載が法律違反としても微罪程度であり、微罪程度に、現役国会議員を強制逮捕する必然性などなく、問題を転嫁していますね。

NHKニュースは、記事『刑事司法制度改革 議論始まる』(6月29日 20時52分)で、

”「厚生労働省の局長だった村木厚子さんの無罪が確定した事件や大阪地検特捜部の一連の不祥事を受けて、刑事司法制度の抜本的な改革に向けた法制審議会での議論が、29日から始まりました。取り調べの録音・録画を法制化するかどうかや、供述調書に依存しすぎた捜査や裁判の見直しなどが焦点となっています。

検察改革を議論してきた法務省の検討会議が「新たな刑事司法制度を構築すべきだ」と提言したことを受けて、法務大臣の諮問機関である法制審議会に設けられた特別部会には、村木さんをはじめ、法律の専門家や民間から26人の委員が選ばれました。
29日開かれた初めての会合で、江田法務大臣は「今回の諮問は国民生活にも影響するもので、時代に即した新たな制度の構築に向けて幅広い議論をお願いしたい」と呼びかけました。
部会での議論は、国民の関心の高まりを考慮して初めて公開されることになり、取り調べの録音や録画を法律で制度化するかどうかや供述調書に依存しすぎた捜査や裁判の見直し、という諮問の内容が示されたほか、海外の刑事司法制度が紹介されました。
部会は、当面、月1回ほどのペースで開かれ、今後は、各委員が意見を出し合うほか、専門家へのヒアリングや視察を行うかどうかを検討しながら本格的な議論を重ねることになっています。
特別部会の委員で元警察庁長官の佐藤英彦さんは「60年経った刑事司法の制度を変えるのにはよい機会だと思う。ただ可視化だけを議論するのではなく、新たな捜査手法も含めて総合的に検討していくことが必要だ」と話していました。
特別部会の委員で元検事総長の但木敬一さんは「部会には、専門家だけでなくいろいろな立場の人が参加しているので、しっかりと議論することが大切だと思う。60年ぶりの大改正になるかも知れず、聖域を作らずに新しい刑事司法の手続きを作らななくてはならない」と話していました。
特別部会の委員に選ばれた厚生労働省の元局長の村木厚子さんは、会合が始まる前に、「自分が実際に体験した事実を大事にしながら、積極的に議論に参加し、誰もが公正な裁判を受けられるような制度作りをしたい」というコメントを出しました
。」”

と報道。
郵便不正事件で大阪地検特捜部の閉鎖・独善性の権力乱用体質が顕在化し、柳田前法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」の提言もあり、「取り調べの録音や録画を法律で制度化するかどうかや供述調書に依存しすぎた捜査や裁判の見直し」が刑事司法制度改革の焦点になっているが、何を今更の感じがしますね。

当方は、本ブログ「TV朝日の『検証!検察の”大罪”』・・・冤罪の先導者は現役中」で、
”「冤罪を遂行した元主任検事が実名(市川寛氏)で、組織的な冤罪だったことを告白し、犯人扱いされた遺族に謝罪したが、冤罪を先導した次席検事は、現役で検察組織に在籍していることには驚愕で不愉快です。」”
”「組織的犯罪は、まずは、組織に長い物には巻かれろという雰囲気があり、「マアー、固い事は言うな、皆、やっているのだから」という暗黙の土壌があり、自分だけが正義感をもって正論をいえば、誰かが傷をつくことになり、異端児扱いになり「村八分」されるでしょうね。
この組織的な体質は、官民問わず、学業の世界に存在するのです
。」”
と、元検事の市川寛氏については許容できるが、総括せずに涼しい顔で、冤罪を先導した現役検事には不愉快であり、結局は、互助組織を形成し、互助組織に参画していれば、無難に世渡りできるのです。

冤罪を遂行した元主任検事の市川寛氏は、「週刊現代」に記事『新人検事は「自白調書」の捏造を教えられる』で、
”「新人の調書が上司の意に添わないものなら、調書の取り直しを命ぜられます。私は上司に「ノー」と言えるような強い人間ではありませんでした。心の中では、これはおかしい、違うだろうと思いながらも、次第に検察庁に〝望まれる〟検事になっていきました。結局この、おかしいと思っても言えない弱さが、辞職の原因となる大変な過ちにつながっていきました。

 その過ちとは、私が佐賀地検にいた'01年に立件された「佐賀市農協背任事件」です。この事件の取り調べの最中、私は被疑者を罵倒し、脅しあげて調書を取り、冤罪事件をつくり上げてしまったのです
。」”
と語っておます。

「自白の偏重」については、本ブログ「検察の劣化:前福島県知事汚職事件の裁判・・・問題意識が希薄に?」で、

”「郷原信郎氏は、「(前福島県知事の)佐藤氏のような高い地位にあった方が、罪を認めていることの意味はとても重い。自白があるなかで裁判所が無罪を言い渡すことがどれほど難しいか」と、とかく自白偏重主義が指摘される日本の司法の問題点を強調する。

しかし、(前福島県知事の)佐藤氏はこの点については、苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをしたと言う。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができたと、自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいないと言い切る
。」”

と、検察の自白の偏重主義の問題を紹介しました。

自白強要については、本ブログ「枚方副市長への自白強要は「密室の悪質な行為」で、自白を強要された枚方副市長の小堀隆恒氏の「無罪判決を受けて」の書簡を紹介しました。

一方、調書を署名した元枚方市長の中司宏氏は、畠山理仁氏のブログ「調書に一回サインをしてしまったら、それが足かせになる」で、
”「同じ談合事件で無罪になった小堀さんとの違いは、調書を取られているか、いないかの差。検察は調書を取ろうとしていろいろ仕向けてくる。『自分に近い人間を逮捕するぞ』と揺さぶって、『これ以上、逮捕者を増やしたくない』という心理的プレッシャーをかける。『ここを切り抜けたら、きっと裁判官がわかってくれるだろう……』。そう思って調書に一回サインをしてしまったら、それが足かせになる」”
と語り、取り調べの全面可視化の必要性を訴えたと紹介していました。

郵便不正事件は氷山の一角であり、江田法務大臣が「今回の諮問は国民生活にも影響するもので、時代に即した新たな制度の構築に向けて幅広い議論をお願いしたい」と呼びかけ、「取り調べの録音や録画を法律で制度化するかどうかや供述調書に依存しすぎた捜査や裁判の見直し」の議論を始めたことは、何を、今頃であり空々しさを感じ、司法分野に関わる互助組織が体裁を整えているとしか思えないですね。
排他的な独善的な互助組織は、原子力ムラだけでなく、司法ムラにもあり、根源は営々と築かれた官僚組織でメディアが協働しているのです。

この度の東京地裁(登石郁朗裁判長)は、検察の閉鎖・独善的な権力の乱用に、問題意識を持っていたと思えば、当然の理であり、検察が”「調書に対する評価が不当だとして、近く東京地裁に異議申し立てを行うことを検討中」”とは、営々と築かれた司法官僚組織の組織保全の域から脱していないとしか思えませんね。

検察の改革は時代の潮流であり、可視化は早期実施することが、「より良い社会」の実現となりますね。
ちなみに、石川議員らは「期ズレ」の微罪程度で、微罪程度の共謀容疑の小沢元代表が無罪になったら、国政を浪費させた責任を誰がとるのでしょうか?

報道にある検察幹部の”「客観的に見て、収支報告書にうその記載があったことは間違いないので、無罪になることはありえないと思っている」”とは、一見「正論めいた常識論」「常識論めいた正論」であり、こういう論調が自己正当化する内容で、自省なき話ですね。

  


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