前福島県知事汚職事件の二審の判決は減刑と報道されたが、一部の専門家から事件そのものを疑問視されていますね。
当方は、5期にわたり、知事職に長期在任が汚職の土壌を醸成した事件程度の記憶で、過去のものでしたが、郷原 信郎氏の論調を読み、 前福島県知事汚職事件も検察組織の劣化を垣間見した思いですね。
郷原 信郎氏が「JBpress」に、控訴審判決前に寄稿した『どうした!東京地検特捜部 “手柄を焦る”組織の疲弊~福島県知事汚職事件』で、前福島県知事の佐藤栄佐久汚職事件は不可解と取り上げており、そういえばそんな事件があったなーと記憶を思い出した。
郷原 信郎氏は、当事者である佐藤栄佐久氏が『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)を出版し、特捜部の捜査や取り調べの実態を明らかにしており、現在の特捜検察の迷走を如実に示す生々しい体験が冷静な筆致で綴られていると紹介していました。
郷原 信郎氏は、不可解な点が多過ぎる収賄事件として、
”『現在の特捜検察は、当初から明確な政治的意図を持って知事を「抹殺」するということを行う余裕もなければ、その力もないように思える。
マスコミ等から提供されたネタで捜査に着手し、何とかそれなりの成果を挙げて捜査を終結させようとして迷走を続け、無理な強制捜査・起訴に至る、というケースが相次いでいる。佐藤栄佐久氏の事件が、その(佐藤栄佐久氏)主張通りだとすれば、それは、政治的意図による捜査で「抹殺」されたというより、むしろ、そういう特捜検察の苦し紛れの捜査の犠牲になったと見るべきであろう。』”
と検察の劣化を指摘し、
”『1990年代以降、日本の経済社会において、企業、官庁などあらゆる組織が構造変革を迫られる中、組織内で自己完結した「正義」に依存し、旧来の捜査手法にこだわり続けた特捜検察は、社会・経済の変化に大きく取り残された。そして、面目と看板を何とか維持しようとして「迷走」を続けてきた。
そうした「迷走」が限界に近づきつつある状況で行われたのが福島県知事をターゲットとする東京地検特捜部の捜査だったが、それは、結局、土地取引を巡る疑惑を報じて捜査の発端となった週刊誌の記事とほとんど同レベルの事実しか明らかにできず、その事実を無理やり贈収賄の構成に当てはめただけという結果に終わった。』
と閉ざされた検察組織だけで政治・社会・経済を判断するのは難しくなったとし、「かつては特捜検察が起訴した事件について裁判所が消極判断を示すことはほとんどなかったが、最近は、裁判所の特捜検察に対する見方は次第に変わってきているようにも思え、今回の事件に対して東京高裁がどのような判断を示すか、控訴審判決が注目される」と結んでいます。
そして、東京高裁の判決は、『前福島県知事、二審は減刑 「無形のわいろ」のみ認定』(朝日新聞)が、
”『福島県発注のダム工事をめぐって収賄の罪に問われた前知事佐藤栄佐久被告(70)の控訴審で、東京高裁(若原正樹裁判長)は14日、懲役3年執行猶予5年とした一審・東京地裁判決を破棄し、改めて懲役2年執行猶予4年の判決を言い渡した。
土地を時価より高く買ってもらった差額がわいろだとする検察側の主張は退け、前知事らが得たのは「換金の利益」という無形のわいろだけだとする異例の判断を示した。・・・』
と減刑の報道しています。
神保哲生氏が、『「物言う知事」はなぜ抹殺されたのか』で、ゲストに被告の佐藤栄佐久氏(前福島県知事)を迎え、郷原 信郎氏の司会での討論の概容を紹介しています。
その概容に、「わいろ」でなく、「無形のわいろ」という不可思議な判決とし、
”『「換金の利益」だの「無形の賄賂」だのといった不可思議な論理まで弄して裁判所が佐藤氏を二審でも佐藤氏を有罪としなければならなかった最大の理由は、佐藤氏自身が取り調べ段階で、自白調書に署名をしていることだったにちがいない。・・・・
郷原信郎氏は、「佐藤氏のような高い地位にあった方が、罪を認めていることの意味はとても重い。自白があるなかで裁判所が無罪を言い渡すことがどれほど難しいか」と、とかく自白偏重主義が指摘される日本の司法の問題点を強調する。
しかし、佐藤氏はこの点については、苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをしたと言う。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができたと、自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいないと言い切る。』”
と「検察の劣化」と「自白の偏重主義」を問題しています。
当方は、前福島県知事汚職事件については、マアー、長期在任の歪が出た程度の認識でしたが、郷原信郎氏などの見解を接すると、検察の劣化を思わざる得ないですね。
当方の知人の話だと、佐藤栄佐久氏前知事の辞任により、福島県内部は、佐藤前知事に近い人間は一掃されたと話をしており、5期在任は、長すぎで人事の硬直化する弊害も生じるが、国とすれば、物言う知事を抹殺したくなるでしょうが、郷原信郎氏の言われるように、検察が高度な政治的な見識をもっているとは思えず、検察全体の劣化現象で、佐藤栄佐久氏はその犠牲者でしょうね。
ただ、郷原信郎氏の問題視している「自白の偏重主義」は考えさせられますね。
福島県知事汚職事件では、佐藤栄佐久氏は自白調書にサインしたのは、お世話になってきた人達の気遣いと弁明しており、足利事件で無罪確定した菅家利和様の自白誘導・強要の録音テープが開示されたり、鹿児島・富山の冤罪事件も自白が大きな要素になっていますね。
足利事件の報道を接して、事柄に辻褄が合わないのが明白なのに、何故、自白を誘導し、犯罪者に捏造するのか、その神経が解せないというより、脅威を感じますね。
郷原信郎氏が警鐘している「思考停止社会」を検察組織にも見る思いですね。
捜査の可視化の必要性と「天下り」が無くならない官僚風土、責任を取らない官僚組織も、組織に染まってくると問題意識も罪悪意識も希薄になるのでしょうね。
検察の自浄努力を期待していいのかなー。