傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

消費増税:正義・大義は野田首相か、小沢一郎氏か?・・・「怨念から脱却」できるか?

2012-06-26 07:35:51 | 民主党(野田政権)

小沢一郎氏が26日の消費増税関連法案の採決に反対票を投じると明言し、反対票が民主党が過半数の分岐点の54票に到達するかメディアが喧騒し、反対票を投じることを「造反」に扱いにして報道しているが、果たして、造反なのか疑問ですね。
民主党執行部の立場にたてば「造反」になるが、民主党に投票した人間にすれば民主党政権は約束不履行の「背信」であり、正義・大義は小沢一郎氏にありますね。
問題は、正義・大義があっても政治改革・社会変革への原動力になるかどうかですね。

23日の朝日新聞の社説『小沢氏の造反―大義なき権力闘争だ 』を転載すると

”「民主党の小沢一郎元代表がみずからのグループを率い、来週の消費増税関連法案の衆院採決で反対票を投じる構えだ。
すでに約50人が離党届に署名し、小沢氏とともに集団離党して新党結成をめざすという。
それならそれで仕方がない。
 だが、小沢氏が「私どもの大義の旗は国民の生活が第一だ」と、造反を政策論で正当化するのは納得できない。私たちには、今回の行動は「大義なき権力闘争」にしか見えない。

政権交代した09年総選挙で、民主党が掲げた「国民の生活が第一」の旗印は色あせた。
「予算組み替えなどで16.8兆円の新たな財源を生み出す」という公約が実現不能なことは、この3年の挫折で明白だ。
自分が首相なら実行できる、と言いたいかもしれない。ならば具体的に説明してほしい。
消費増税なしに持続可能な社会保障をどう築くのか。どうすれば16.8兆円もの巨額の新規財源が生み出せるのか。


小沢氏は「選挙になれば反増税と脱原発を掲げて戦える」と側近議員に語ったという。
 だが、反増税はともかく、脱原発や原子力政策のあり方について、本人の口からまとまった主張は聞いたことがない。
結局、反増税も脱原発も、小沢氏にとっては実行すべき政策論というより、次の総選挙で一定の「数」を確保し、キャスチングボートを握るための道具ということではないのか。

あきれたのは、離党届に署名した衆院議員たちが、それを小沢氏に預けたことだ。
最後まで自分で判断し行動する姿勢を放棄し、「親分」に身の処し方を委ねるかのようだ。小沢氏に世話になっているのが事実でも、民主主義国の国会議員のふるまいとは思えない。

この3年、小沢氏の公約実行に向けた努力は見えない代わり、時の政権の足を引っ張る権力闘争ばかりが目についた。
震災の痛手が生々しい昨年6月、小沢氏は、菅内閣に対する不信任案に一時賛成しようとした。春には、グループの議員たちに野田内閣の政務三役や党役職の辞表を次々と出させた。
その小沢氏がいま「公約こそ大義」と叫ぶのは、驚きを通り越してこっけいですらある。

離党者が54人以上なら与党は過半数を割り、野党と組めば内閣不信任案が可決される。自民党はますます野田首相の足元を見るだろう。
首相の置かれた状況は厳しいが、妥協は不可能だし、すべきでもない。たじろぐことなく採決に臨むしかない
。」”

と、小沢一郎氏の採決反対を「大義なき権力闘争」の「造反」という論評です。

小沢一郎氏は、輿石幹事長との会談後に、”「大増税だけが先行するというやり方は、国民皆さんに対する背信行為であり、裏切り行為であると。」”、”「我々の主張が正義であり大義である、ということを我々は確信しております」”と挨拶したそうですが、小沢一郎氏の消費増税への反対の主張には正義・大義があります。
問題は、正義・大義があっても副次的には権力闘争の側面もあるが、造反ではなく、先輩議員としての野田首相の国民との約束不履行の背信行為への反面教師の忠告でしょうね。

朝日新聞の社説でいう
”「自分が首相なら実行できる、と言いたいかもしれない。ならば具体的に説明してほしい。
消費増税なしに持続可能な社会保障をどう築くのか。どうすれば16.8兆円もの巨額の新規財源が生み出せるのか
」”
と、小沢一郎氏に、新規財源をどのように捻出するのか問うていますが、作為的な問いの投げかけですね。
小沢一郎氏は、消費増税を反対しておらず、増税の前にやるべきことがあると、それは、国民と約束した統治機構の改革、社会保障の改革、デフレ脱却の履行努力が先決ではないかと問うており、要は、政治・行政との改革であり、現下の社会変革です。

当方は、何事も生成発展には新陳代謝が不可欠で、硬直化した日本社会も「破壊と創造」による社会変革を期待し、先の2009年総選挙には、民主党に投票しました。
小沢一郎氏は、西松献金事件で代表を辞任しておりましたが、小沢一郎氏の政治理念「自立と共生」に共感したが、子供体質の民主党には不安を持っていたことは事実で、政権交代後、鳩山元首相の政務・党務分離に疑問でしたが、案の定、政調復活動きで小沢一郎氏への批判勢力が形成され、菅前首相は「政治とカネ」を問題化し反小沢路線で政権運営し、野田首相は「怨念からの脱却」とノーサイドと発言し、政権運営をスタートしたが、現実の民主党は反小沢・嫌小沢の体質改善は変わらず、小沢一郎氏の活躍の場が無く今日に至っていますね。

深読みすれば、俗に言われる小沢一郎氏の自民党の金権体質を嫌う「嫌小沢」、「壊し屋」の「反小沢」は想像できるが、執念深い憎しみ「怨念」を持ち続けた「憎小沢」は野田首相だけでしょうね。
野田首相は、理念一徹の小沢一郎氏が代表の新進党時代に重複立候補を認められず最小記録で敗北(惜敗率:99.85 %)で落選した体験をもち、小沢一郎氏に深く心に刻み込まれた怨みを持ち続けたいたことは衆知の事実です。
怨念」からの脱却、ノーサイドは、野田首相自身の自戒であったのです。

本ブログ「野田・小沢会談:並行線は時間軸の差ではなく、政治の大義の次元の差」(2012-05-31)で、野田首相は、”「小沢氏は、『消費税引き上げ自体は反対ではない』と言っていた。私は、待ったなしで、小沢氏は、行政改革などをやり遂げた後にという時間軸の問題で差があると思った」”と述べ、小沢一郎氏の主張する「消費税増税の前に、国民と約束した事項の必達努力」が第一で、統治機構の改革・地方主権、政治・行政改革、デフレ脱却」の実現努力が先決とは、野田首相の言う時間軸の差ではなく、政治理念の次元での差ですね」と書きました。

野田首相は、政治生命をかけると公言した消費増税を猛進せざるを得ず、小沢一郎氏は、消費増税の前に国民と約束した事柄の必達努力が真情であり、両者、ここに至っては協調できる時期を逸したのです。
ただ、言えることは、メディアが論評するような消費増税反対は造反ではなく、政治家として歩みの違いから政治手法の相違ですね。

野田・小沢会談に同席した輿石幹事長は、会談後、『「野田総理大臣も小沢元代表も2人の考えを十分述べた。結果的によい会談だった」と述べました。そのうえで輿石氏は「何としても党内が一致結束して、避けて通れない大きな課題にきちんと応えていく。そういう点で、さらに汗をかいていきたい』と発言は、素直な感想であり、党を割らないという思いを強くしたのであり、今日、党議拘束をかけた採決で、反対・棄権も最終的には無難な決着になると想像しますね。
メディアの喧騒している新党騒ぎは、民主党の自壊を促進するだけであり、次期代表選までに、野田首相が真に「怨念から脱却」するかどうかが民主党政権の寿命の鍵でしょうね。

排他的な反小沢・嫌小沢の民主党の一部の意見は、現行体制を堅持したい既得権勢力と同類であり、消費増税は時間軸か、順序の相違ではなく、硬直化した日本社会の新陳代謝の序幕になるこを切望しますね。



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