ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

インドへの道

2017-07-18 22:47:11 | 映画のレビュー

映画のDVDを買うことはほとんどないのだが、デヴィッド・リーン監督の「インドへの道」はこの度Amazonで購入した。(一緒に買ったのは、これも中学三年生の時観て、強く心に残った「ホワイトナイツ(白夜)」。バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ主演のバレエ映画である)

この「インドへの道」――中二の時、初めて観て以来、深く深く、心に残っている作品。リーン監督独特の壮大なスケールと、格調がありながら息もつかさぬ面白さを兼ね備えた作品である。「アラビアのロレンス」、「ドクトルジバゴ」、「ライアンの娘」……好きなリーン作品は、いくつもあるけれど、これが一番思い出深い。

植民地時代のインドを舞台に、英国人とインド人のアイデンティティと文化の相克を描いているのだが、映像の美しさは、優雅な英国文化と灼熱のインドをくっきり際立たせる。互いに分かり合えないものとして。
と、難しく書いたけれど、このドラマ、たいがいのリーン作品がそうであるようにメロドラマ的な要素を多く持ち、その人間臭い葛藤がとても面白いのである。私は、E・M・フォースターの原作も読んだけれど、やっぱり映画版の方が面白かった。

 英国娘アデラ・ケステッドは、未来の義母(これを、英国の名女優、ペギー・アシュクロフトが演じている)モア夫人に連れられて、はるばる海を渡ってインドにやってきた。この地で判事として働く婚約者ロニーに会うため。(このロニーをすらりとした鹿のような美青年ナイジェル・ヘイバースが演じていて、久方ぶりに彼に会えるのもうれしかった)
内省的で、うちに激しいものを秘めたアデラ。彼女は、与えられた若妻の役割に落ちつくかと見えたが、ある日自転車で遠乗りした時、ジャングルの合い間に朽ちかけた遺跡を見てしまう。
それは、古代インド人たちの性の交歓を描いた彫像で、それはアデラの心にカルチャーショックを与える。現地で知り合いになった英国人の教授フィールディングやインド人の哲学者など個性的な人々との出会いの中で、知り合った親英派のインド人医師アジズ。彼の案内で、アデラとモア夫人は、景勝地マラバー洞窟を訪ねることとなった。

ふいに、他の人々と離れ、一つの洞窟に入っていったアデラ。彼女の姿が見えないのを心配したアジズが、洞窟の中をのぞきこんでいった時、暗闇の中から現れたのは半狂乱になったアデラだった。
彼女は、植物のいばらで服が裂け、傷つくのもかまわず斜面を転げ落ち、逃げてゆく――そして、彼女が語ったのが、「自分はアジズに乱暴された」という衝撃的な言葉。
果たして、この事件は本当にあったことなのか? 慣れぬ異国で心のバランスを崩しかけた若い女性の妄想なのか――アデラの告発をめぐって、在インドのイギリス社会と、英国人への憎しみに燃えるインド人の対立は深まってゆく。


おおまかなストーリーは以上のようなものだが、何といっても、アデラ演じる女優ジュディ・デイビスが出色! 東洋の異国の風土の中で、自らの性的幻想のために、周囲を振り回し、自らも破滅してしまう女性の姿を、実に生き生きと浮かびがらせているのだ。
もちろん、アデラのような女性がいたら、迷惑なばかりだし、アジズや婚約者ロニーなど周囲の人々を深く傷つけてしまうのは、間違いない。
しかし、この映画が深い余韻を残すのは、エピソードの何とも言えぬ深みのせいだ。
英国側とインド側を巻き込んだ裁判で、アデラは自分の過ちを認める。だが、アジズの心は容易に修復されず、慕っていたフィールディングにも告げることなく身を隠してしまう。そうして、時をへた後、フィールディングと再会したアジズは、ようやく「英国的なるもの」を許す気持ちになり、アデラに手紙を書くこととなった。
「フィールデング夫妻に会いました……しかし、二度と彼らと会うことはないでしょう。あなたが、あの時、どれだけ勇気が必要だったかやっとわかりました」
あの時――裁判で、自分の過ちを認め、英国人たちの冷たい軽蔑を受けることを選んだアデラ。私は、今もはっきり覚えているのだが、裁判所の椅子に座った彼女が、上を向いた時天窓に雨が降り落ち、窓の汚れを洗い流していくシーンがあった。あの時こそ、アデラの心のうちが浄化された瞬間、として深い印象に残ったもの。
 そして、ラスト――アジズの手紙を受けとり、読むアデラ。彼女が、さっと窓を開けると、そこにも雨が降っていて、彼女の表情をゆっくり覆い隠していく。人の人生や和解、というものをふかく感じさせてくれた、心に残る名シーン!
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