京都府八幡市志水女郎花43の段丘傾斜面にあります。
史跡・松花堂庭園の出口近くです。
全長94m、 後円部径53m・高さ?m、 前方部先端幅30m・高さ?m の前方後円墳です。
小山(墳形)が公園の景観に取り入れられたため、一部損傷を受けています。
墳丘には葺き石が施されていました。
墳丘に埴輪(種類ははっきりしていません)の配列がなされていたようです。
主体部は二つ確認されています。
後円部にある埋葬施設は、どんなものだったのかはっきりしていません。
倭製ダ龍鏡(径21.5cm)、倭製六神獣鏡(径16.7cm)、中国製長宜子孫内行花文鏡(径22.3cm)、硬玉製勾玉2個、鉄剣、直刀、素環頭太刀、鉄鏃、草綴短甲、斧頭 などが出土しています。
前方部にある埋葬施設には、木棺が直葬されていまいた。
中国製三角縁尚方作二神二獣鏡(径22.7cm)、鉄剣 等が出土しています。
古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。
昭和27年(1952年)、国の史跡に指定されています。
(史跡・松花堂庭園)
この地はかって個人(西村芳次郎氏)の所有地でした。
そこにあった小山(東車塚古墳)をメインの景観として庭園が築かれました。
寛永の三筆の一人と言われた「松花堂昭乗」が、男山の山中に建てた方丈を松花堂と言います。
明治の廃仏毀釈のさい、泉坊書院、玄関とともにこの地に移築され、松花堂庭園として公開されました。
松花堂と言えば京都・吉兆の高級弁当が有名です。