群馬県前橋市朝倉町4丁目9-3、広瀬川右岸の台地縁辺にあります。
八幡山公園内に保存されています。
「朝倉八幡山古墳」とか「上川淵村67号墳」とも呼ばれています。
全長132m、 後方部一辺長64.5×70m・高さ11.91m、 前方部先端幅59.5m・高さ7.85m の前方後方墳です。
東日本最大の前方後方墳です。
前方部を南に向けています。
(後方部)
(前方部)
墳丘の周りには幅26.7~35mの方形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
墳丘には特殊器台埴輪の配列がなされていました。
後方部にある埋葬施設は未調査につき不明ですが、竪穴式石室とみられています。
言い伝えによると、大正5~6年ころ村人らによって掘られたそうです。
約1.5mほど掘り下げたところから、長さ数メートルの河原石積みの構造帯があり粘土槨も確認されたということですが、詳細は不明です。
大刀や玉杖などが出土しています。
朝倉・広瀬古墳群を構成していて、古墳群中唯一の前方後方墳であり盟主墓的古墳でもあります。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和27年7月13日、国の史跡に指定されています。
平成15年8月27日、周濠部分が追加指定されています。
八幡山公園内に保存されています。
「朝倉八幡山古墳」とか「上川淵村67号墳」とも呼ばれています。
全長132m、 後方部一辺長64.5×70m・高さ11.91m、 前方部先端幅59.5m・高さ7.85m の前方後方墳です。
東日本最大の前方後方墳です。
前方部を南に向けています。
(後方部)
(前方部)
墳丘の周りには幅26.7~35mの方形をした周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
墳丘には特殊器台埴輪の配列がなされていました。
後方部にある埋葬施設は未調査につき不明ですが、竪穴式石室とみられています。
言い伝えによると、大正5~6年ころ村人らによって掘られたそうです。
約1.5mほど掘り下げたところから、長さ数メートルの河原石積みの構造帯があり粘土槨も確認されたということですが、詳細は不明です。
大刀や玉杖などが出土しています。
朝倉・広瀬古墳群を構成していて、古墳群中唯一の前方後方墳であり盟主墓的古墳でもあります。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和27年7月13日、国の史跡に指定されています。
平成15年8月27日、周濠部分が追加指定されています。
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