古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

和歌山市・大谷古墳

2013-06-15 08:02:31 | Weblog

            (後円部から前方部、和歌山平野をみています)

和歌山市大谷824、標高50mの丘陵尾根先端にあります。
和泉山脈から南に延びる半独立丘陵上です。
大谷東自治会館近くです。

全長67m、 後円部径30m・高さ6~10m、 前方部先端幅48m・高さ6~10m の前方後円墳です。
前方部を南西方向(平野部)に向けています。

後円部後方から、円筒埴輪46個や朝顔形埴輪・蓋形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

昭和32~33年(1957~58年)、京都大学考古学研究室による発掘調査が行われています。
後円部中央で、阿蘇凝灰岩製の組合式石棺が見つかっています。
20歳から30歳くらいとみられる人物の人骨が出土しています。
石棺内部は盗掘を受けていたそうですが、棺内外から様々な副葬品が見つかっています。
内部から、倭製素文鏡(直径26mm・31mm・34mmの小型銅鏡3面)・鉄製横矧板留式衝角付冑・挂甲小札・鉄刀・鉄剣・金銀製垂飾付耳飾・ガラス製勾玉21個・ガラス製丸玉・ガラス製小玉・碧玉製管玉・滑石製玉 などが、棺の外回りからは馬具類(馬甲小札・金銅装鞍・壺鐙・金銅鏡板付轡・金銅鈴付杏葉・金銅雲珠・辻金具 など)や短甲・鉄矛・U字鉄鋤・鉄鎌・鉄手斧 などが出土しています。
馬具類とともにほぼ完全な形で見つかった戦闘用の馬に装着する鉄製の「馬冑」と「馬鎧」は、当時東アジアで唯一の出土品として注目を集めました。
朝鮮半島からの渡来品と考えられています。
これらの出土品から、被葬者は朝鮮半島の軍事活動にあたった武人(紀氏一族?)と考えられています。

昭和53年11月15日、国の史跡に指定されています。
また出土した副葬品は、昭和57年6月5日に一括して重要文化財に指定されています。

前方部からは、素晴らしい和歌山平野を眺めることができます。


          (後 円 部)


          (後 円 部)


     (前方部から後円部をみています)

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